8-(4) 特等席の絵を!
お兄ちゃんは、自分は青い顔した弱虫のくせに、決闘しろなんてマリ子を けしかけた。ぶあつい本をとってくると、マリ子に開いてみせた。
「決闘するにゃ、作法があるんじゃ」
「作法?」
「最初は、手ぶくろを相手になげて、相手がそれをひろうたら、決闘を承知した、ちゅうことなんじゃ」
ふうん、マリ子は引きこまれた。
「決闘するにゃ、理由がいるんじゃ。名誉を傷つけられたり、ぶじょくされて、がまんできん時にするもんなんで」
お兄ちゃんはもったいぶって、そう言った。
「うち、それじゃ! ぶじょくされとるもん、ひいきじゃ言うて」
お兄ちゃんは、そうだったのか、とやっとのみこめたらしい。
「そうか。ほんなら、本気でやれ」
というわけで、マリ子は今までに見たことも聞いたことも無い〈決闘〉を、お兄ちゃんから伝授されることになったのだった。
「この暑いのにズボンはいて! 昨日のスカートの方がにあうよ」
次の日の朝、おかあさんはマリ子の青いズボンに、ねずみ色そでなしシャツ姿に、がっかりの表情になった。マリ子はいつものごとく、聞いてないふりをする。これでいいの!
汚れてもいい服でなくては! ズボンの2つのポケットは、ぷっくりとふくらんでいた。準備はよしと、ハンカチと赤チンも持った。
おかあさんはそれ以上は何も気づかないままだった。なにしろ、自転車での通勤の快適さと緊張で、きのうから興奮状態が続いていたから・・。これまでの徒歩1時間の出勤が、20分ほどのハラハラで、目的地へ着くのだ。
マリ子の方は、その日、決意もかたく教室へのりこんだ。ところが、うしろの黒板を見たとたん、にげ出したくなった。なんと、また、ひいきと呼ばれる口実がふえていたのだ。
きのう提出したマリ子の絵が、うしろの黒板の中央に、金色のテープでかこまれて、はりだされていた。特別にすぐれた絵だって。まさか、田中先生はこの絵を選ぶはずがない、とマリ子は自信があったのに、どうして? マリ子は地団駄をふみたくなった。
だれが見たって、マリ子の日頃の絵とは、まったくちがっていた。それに〈アサガオ観察日記ノート〉の中の絵とも、大ちがいだった。
青い大きなアサガオが、画面半分近くをしめていて、つるが細い竹にまきついている。線は流れるようだし、色はあざやかで、しっかりしていた。だって、おとうさんが描いた絵を、そっくりまねして、写しただけだから。
ああ、いつものマリ子流に、へたくそでも自分の絵をかけばよかった。 そうすれば〈特等席〉なんかに張り出されることもなかったのだ。
「お、マリッペじゃ」
かん高い声が、教室に入って来た。昭一がさっそくからんできた。
「やっぱ、ひいきもんじゃあ。特等席じゃが!」
そのとたん、マリ子は自分でも、思いがけないことをしてしまった。その絵にとびつくと、ひっぺがして、ビリビリと引きさいたのだ。ごみ箱にパラッと捨てると、マリ子はパンパンと手をはらった。
どう、これでもまだ文句ある! マリ子はせいせいしていた。
昭一ばかりか、クラスじゅうがしんとした。
「はげタヌキが怒るでえ。知らんでえ」
だれかがそう言うと、昭一はあわてた。
「わしじゃあねえど。マリッペがやったんで。ひいきじゃけん、何しても 怒られんことがわかっとんじゃ。ひいきじゃもんのう」
よけいなひとことだった。マリ子はズボンのポケットから、白い軍手の片方を取り出した。ものも言わずに、昭一の顔をめがけてバン! とたたきつけてやった。
「何しよんなら!」
昭一は顔にかぶさった軍手をはらおうとして、手にとった。マリ子は声を 強めて大きく宣言した。
「決闘じゃ! あんたは手ぶくろをとったけん、承知したんと同じじゃ。うちをぶじょくして、許さんけん、うちとあんたと決闘じゃ。外でやろう」
昭一はぽかんとして、何を言うとんじゃと言う顔でマリ子を見たが、クラスじゅうがさわぎ出すと、ふてくされた表情になった。
その時、鐘が鳴って、朝のホームルームの時間を告げた。マリ子は早口で、昭一に言った。
「こんどの休み時間に、外で! ええな?」
昭一は首をかしげながらも、目でうなずいた。
空っぽの〈特等席〉が目に入ったとたん、はげタヌキは怒り声を上げた。
「だれじゃっ。人の作品をはがしたやつは」
みんなうつむいたまま、しんと静まった。
マリ子はいせいよく手を上げた。
「戸田が? 自分でか? なんでじゃ」
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