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「かわいい」という感情

電車の中でふと、本から顔を上げるとボアのフリースにコーデュロイのワイドパンツを合わせている女の子が目に入って、そういえば最近若い子(自分も若者ではあるが)がこの組み合わせを着ているのをよく見かけるなあと思った。そしてそれと同時に、息をするように、「ああ、とってもかわいいなあ」と思った。それは久しぶりに抱く感情で、とても大切なものだったことを、あたたかな電車の中で思い出した。

以前、「女の言う『かっこいい』と男の言う『かわいい』は重みが違う」と友人が言っていた。男女の違いはさておきとして、それは「かわいい」が「愛す可し」と書くからなんじゃないかとその時思った。「かわいい」という言葉には「愛おしい」という気持ちが多分に含まれている。だから重みが違うんじゃないかと。

久しぶりの「かわいい」はしみじみとしながらも不思議な幸福感と高揚感で満たされ、胸がぎゅっとした。それはたしかに「愛おしい」だった。

そのゆるいシルエットと素材感の組み合わせはもちろん、コートの代わりにモコモコしたフリースだけというその寒そうな格好が、なんだか良かったのだ。これがこのファッションの完成形で、ここには何も足してはいけないんだなというのが、僕にでも分かった。あー。かわいいな。かわいいよ。

思い返してみれば、少し前まではもっと頻繁に「かわいい」という感情を持っていた気がする。心の調子を崩す前は世界はもっとかわいいものだらけで、つまり愛おしいものがいっぱいあって、天気のいい日には、生きるのって悪くないな、なんて考えていたのだ。

少しずつ「かわいい」という感情が帰ってきている。もっともっと帰って来て欲しい。世界はかわいいものだらけで、愛おしいものでいっぱいであるといい。「かわいいなあ」と思いながらかわいいものを見つめる時の多幸感が、僕はとっても好きなのだ。

#日記 #エッセイ