「我が愛しの侵略者」第9話
英伍さんから『会わせたい人がおるんよ』とメッセージが届いた。……久しぶりにちゃんとまともに読めるメッセージが来た気がする。仕事がひと段落ついたのかも。製薬会社って忙しそうだよな。薬学部に行って、薬剤師の資格を取って就職、もありだったか。手に職系の学部は強い。
俺と英伍さん、英伍さんとその人とで予定をすり合わせ、お盆休みに合わせる。
その〝会わせたい人〟が誰なのかは『当日のお楽しみやで』とはぐらかされたまま、俺は上野駅の中央改札にいた。翼の像を見上げて「誰なんだろ?」と問いかけても返事はない。待ち合わせの時間の十五分前。
なお、おばあさまとモアは自宅で待機している。あの日英伍さんが購入したたこ焼き器は、四方谷家の台所の戸棚に放置されたまま。そんなに頻繁にはたこ焼き作らないし。お好み焼きならたまにあるぐらいで。関西の方はそうでもないのかも。毎日たこ焼き生活……?
今日は久しぶりの登板となるかもしれない。いやまあ、英伍さんがどういう段取りを組んでいるのか、もう一名がどんな人なのか、俺には内緒のまんまだからどうなるのか知らないけどさ。
「拓三」
俺の名前が聞こえた。が、英伍さんの声ではない。女性の声だから聞き間違いようがない。英伍さん、ロン毛だから遠目で見ると女性っぽいけど、声は男の人のそれだからさ。
タクミなんてよくいる名前だから人違いだってある。でも、大学の知り合いやバイト先の人かもしれないし、だとしたら無視するのは心象良くないので、俺はそちらに顔を向けた。
声の主は、そのどちらでもない。
ボリューム感のある白い髪に、上下紫色のスーツ姿。モノグラム柄のハンドバッグを持っている、初老の女性。背筋をしゃんと伸ばして立っていて、顔から受ける印象よりも実年齢は若いんじゃあ――と、その瞳を見て、どきりとした。
「……どちら様ですか?」
唾を飲み込んでから、訊ねる。
その女性はオレンジ色の瞳をしていた。俺と同じだ。俺が、母親から、唯一、遺伝したとされる、オレンジ色の瞳。何度「カラコン?」と言われたか。数えてはいないけど、他の色素薄めな目の人と比べたらだいぶ多め。
「アナタのママですよ」
視界が歪む。ママ。ママ……?
その二文字が脳内で処理しきれなくて、混乱する。
「会いたかった」
待ってくれ。近づいてくるその、俺の母親だと言い出した女性から距離を取る。俺の耳がおかしくなっちゃったかな。こめかみが痛い。
「ハヤトが亡くなったと聞いて、アナタを引き取りに来ました」
ハヤト。
参宮隼人は俺の父親だけど、今更何?
「これからはママと、ママの家で暮らしましょう」
何言ってんの?
人目を憚らず、俺は「何言ってんの?」と言い返す。思うだけでなく、口に出していた。お盆休み、上野駅、周囲に人は多い。何事かと、視線が集まる。
構うもんか。
「お前は! 俺を、捨てたんじゃあないか! 俺をその、ハヤトに、父親に押し付けてさ!」
叫んでいた。
俺が、俺たちが、参宮拓三と参宮隼人が、この十八年間、どんな想いで過ごしてきたかも知らないくせに!
ありふれたご家庭を見て「なんでうちにはママがいないの?」と口走って、父親に申し訳なさそうな顔をされた。あの時の父親は代わりの宇宙人じゃあなくて、本人だろう。何も言わなかったけど、今にでも泣きそうでもあった。この人に余計な負荷をかけてはいけない。俺の父親は父親ではあるけど、同時に一人の男でもあって、彼の中でも自問自答が繰り返されていたんじゃあないかな。だから、そこを突かれたくなかったって部分はあって。俺が黙って、うちはうちでよそはよそだと、納得できていればいいだけの話。
真尋さんとの再婚はあちらさんを救うべく、転がり込んできた縁談だったけど、もちろん参宮隼人にも拒否権はあったはずだ。それでも三度目の結婚を選んだのは、どっかに俺の疑問があったのも、あるんじゃあないかと思っていた。――まあ、本人はいないから、憶測でしかないのだけど。
亡くなったからって、何。
「タクミ!」
モアが、モアが俺とそいつの間に立つ。モアは家にいるはずなのに。今、俺の目の前に現れた。両腕を目一杯広げて、仲裁するように。
モアの、その大きな瞳に映り込む俺は、自分の顔とは思えないような表情を浮かべて、そこにいる。自分が自分じゃあないみたいで、頭から冷や水を、バケツ一杯分、ぶっかけられた気がした。
「何故タクミの前に現れた?」
モアは俺の代わりに、ソイツと向かい合う。俺も落ち着かないと。公衆の面前で、おばさんに掴みかかろうとしてしまったし。何の事情も知らない人が見たら、確実に俺が悪いって言われるパターンだよ。
ただ、ソイツがモアの左手薬指を見て「それはこちらのセリフですよ、アンゴルモア」と憎々しげに言うもんだから、状況がうまく飲み込めなくなった。
「ハヤトは、拓三を『大学卒業』までは育てるつもりでいました。ワタクシもそのつもりでいましたし。アナタが邪魔したんでしょうよ、アンゴルモア」
……?
俺は苦虫を噛み潰したようなモアの顔を見る。ハヤトこと俺の父親が、拓三に大学を卒業してもらいたかったのは事実だからさ。なんでこいつが知ってんのかは、さておいて。モアの次の言葉を待つ。
「アナタはハヤトたちを襲って、ハヤトを助けにきたワタクシをぶつ切りにした。拓三の前ではヤマトナデシコを演じているのでしょうが、アンゴルモアは野蛮ですよ。英伍の協力がなければ、この姿まで戻れなかったでしょうね」
話が見えなくなってきた。俺が持っている情報を整理しよう。英伍さんの名前が出てきたってことは、英伍さんが俺に〝会わせたい人〟はこの人なんだろう。英伍さんは、この間、モアを『タコの怪物』扱いしていた。この人までそう言うのか。この、弐瓶准教授に酷似した姿をした、俺のモアのことを。
「黙れフランソワ」
「フランソワ?」
「タクミ。帰ろう」
「今、フランソワって言った?」
フランソワ。
俺の父親の最後の言葉にあった、人名と思しき単語。
「フランソワが、俺のママなの?」
最後の最後に助けを求めた相手。俺は改めて、ママを名乗る生命体の顔を見た。彼女は俺の目を見て「はじめからこうしておけばよかったんでしょう、ハヤト。ワタクシが拓三のママとして、そばにいればよかった」と語りかける。……そうか。そうかもしれない。そうすれば、俺は俺の母親を失ってはいないし。辻褄はうまいこと合わせてくれ。生まれてすぐ別れたけどやっぱり育てることにしましたとか、放っておけませんでしたとかさ。
「タクミ! そいつの話に耳を傾けるな! 帰るぞ!」
モアが必死に俺の腕を引っ張っていこうとした。だから俺は「このフランソワさんが、モアの話していた、俺の父親の姿をしていた偵察隊の人なんでしょ?」と念には念を押す。モアなら知っているはずだよな。
「あ、ああ、そうだとも……」
モアは俺の腕から手を離して、左右の人差し指をくっつけたり離したりしながら答えた。嘘はついていないと思う。嘘はついていないけど、言いたくないこともあるんだろう。怯えているようにも見えた。
「我は、あの、良かれと思ってやって……その、ママ、ああ、違う違う、おばあさまも、寂しがっていたから……前々から偵察隊には目をつけてもらっていて……スマホはケーサツに渡ると証拠になるから壊して……」
面白いぐらいに目を泳がせながら、ただでさえも背が低いのにさらに縮こまってごちゃごちゃと言っている。面白くはないな。はっきりと言わないんだろうし、俺も言ってほしくない。実際にその姿になったところを目撃しているわけじゃあないしさ。言いがかりもいいところだよな。
「うぅ……フランソワが復活するとは……エーゴに破片を渡したのが悪かったか……エーゴからタクミにバラしてほしくなかったから……」
とうとう髪の毛をかきむしるような仕草をし始めたから、見ていられなくなって「モア、あのね」と話しかける。
「モアがたとえ何をしたんだとしても、俺はモアのことが好きだよ」
「え」
え、と反応したのはフランソワさんのほうだ。モアはなんでだか、その目を見開いている。驚くことじゃあないじゃん。
「だから、俺の帰るところはママのところじゃあなくて、モアのいるところだ」
「何を言っているんだ?」
「帰ろう、モア」
フランソワさんが「待て、拓三! アンゴルモアはお前の家族を奪ったタコの怪物なんだ!」と不確定な情報を投げつけてくる。知らないよそんなの。
俺のモアは、俺のことをこの世界で一番想ってくれる最高に可愛い彼女なんだ。
宇宙の果てからやってきた侵略者だとかここまでの過去に起こったこととか、そういうことはどうでもいい。目に見える現実が、俺にとっての真実で、ここから先の未来にあるもの。これから新しい〝家族〟を作るんだ。これまで俺にはなかったものを。……まあ、あれだな。父親の言いつけ通り、大学は卒業したいから卒業するんだけどさ。そこは動かせないけど。
「うん!」
【fin.】
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