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それからの人生のほうが長いと気がつくのに10年かかった(1)

見栄っ張りなわたしは気づくのに10年かかったんじゃなくて思い出すのに10年かかったんだ、viele Sache durch gemachtのあいだにただ忘れてしまっていただけと言いたくなる。いずれにせよ15で社会との関わりを断絶してから25かそこらまで、そんな大切なことを忘れていた。あの頃のわたしはあそこでの人生が終わったというだけですべてこの世の終わりのように感じていて、その「前世」での業績が芳しくなかった故に地獄にでも落ちたかのように希望を見いだせず、希望を見いだすという概念さえ欠落した状態で生きていた。生きていたというより、時間だけが過ぎていった。体は大きくなったが世の中は相変わらず知らないことばかりで、自分の気持ちも意思も好みもわからないまま、ただ外に出るとヒカリエができてTSUTAYAが潰れておかしのまちおかが増えた。

いい大学に行きたいという15歳までに培った価値観は残っていたが、磨りガラスを通したようにおぼろげな視界では150円のLサイズポテトくらいしか現実味をおびていなかった。予備校のテキストはマーカーと付箋だけがついていた。

当時はお金をたくさん稼ぎたいなんて思っておらず、実家でごろごろしながらバイトしてれば欲しい物は手に入るし、というかわたしの欲しい物、欲しかった物はもう一生手に入らないんだから、あれが手に入らないなら別に全部どうでもいい、と思っていた。だからなにもがんばらなかったけど、がんばらない自分が嫌で嫌で嫌で嫌でたまらないことを思い出してしまって、たまらなくなった。現実の世界で生きようかと顔を上げた頃にはわたしの小さな共同体はヒビだらけで、なんというかわたしの持っていた最後の小さな小さなパンジーさえも枯れてしまった。

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