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どちらかといえばアナフィラキシーショックだから

//中距離走なら人並みにできるのに、って思いながら50mを息を切らしながら走っているような人生だった。これまでずっと、そして恐らくこれからも。

//自分のことを『何かができる人間』だと思えたことは、あまりないような気がしている。リソースをそこそこに投入して、夢中になったようなふりをして、多分脳死で「わかんない!」と言い放つ連中よりは上手くやれるけど真面目にやってる人間の足元にも及ばないような、自分にはずっとそんなことしかなかった。

//誰としたのかは忘れたが、『自分は初速を上げ損ねると斜に構え始めるから真面目に取り組めなくなる』という話をした記憶がある。部長だったかもしれない。自分自身が行動を始めるに際して条件でバインドがかかったりはあまりしないので、とりあえずやってみることそれ自体に抵抗は無い。だが、取り掛かった初手で引き下がれない程度のリソースやモチベーションが掛かってこないと、恐らくそのコンテンツに夢中になることは一生ないだろう。自分はいつだってそうだった。

//そもそも短距離走がやれないなら走らなければいいのだ。でも、自分はいつも、走らない中距離走に思いを馳せながら走れない短距離走をやっている気がする。「初速を上げ損ねちゃったんです」って頭を掻かないと、そこで生きていてはいけないような気がしている。そんなことを言わないでいいフィールドを、本来は選ぶべきなのにも関わらず。


//読書感想文を書こうとしたら読書メモがすごいことになって、A3の白紙2枚を丸々埋めたその図があまりにもシュールだったのでそれをTwitterに載せたら、思いの外アレを肯定的に受け取る人間がいてやや驚いた。

//あの読書メモは、別に自分が色々考えることができたり言語化能力が発達していたりすることの証左にはなりえない。自分にとって、感じたことを活字で書き留めてそう感じた理由を突き詰めることは、どちらかというとアナフィラキシー症状だ。目で掬って脳で読んだテキストが自分の理解の範疇を超えていると、何とかそのテキストを解体して理解の範疇に収めようとする。そうでもしないと、気持ち悪くて仕方がないのだ。

//だからどうか、というのも変な話だが、どうか大目に見てほしい。自分はいつも、結局自分の為にしか動くことができない。だから、今これを読んでいるあなたにとって、自分が、自分の文章が面白くなくても、大目に見てほしい。いや、意味わからんとか気持ち悪いとか別に思って頂いて一向に構わないけれど、それを自分には伝えないで欲しい。自分だって、これでも牡蠣は食べないように気をつけてはいるから。

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