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それは倉庫ではなく、バックバーのような

//昔から、母には『活字中毒』と呼ばれていた。

//わたしはもともと『脳内で音読した活字』に対する記憶力が強く、今でこそ他人の発言やログやTwitterのIDを覚えることくらいにしか使い道がないが、昔は字も読めないうちから読み聞かされる絵本の一言一句を記憶した挙句読み手の誤読を指摘するような子供だったらしい。覚える活字は、必ずしも音声刺激である必要も、または必ずしも視覚刺激である必要も、なかった。とにかく何らかの形での入力を受けて、脳で反復する。刺激そのものではなく、その脳で反復した音そのものを、わたしは簡単には忘れなかった。

//明確にいつからかは不明だが、ある時からわたしは『脳が暇』な状態を受け入れられなくなっていた。活字の入力がないと極度に無気力になってしまうのだ。Twitterを始め、noteを始め、ブログを始め、年々その傾向は顕著になっている気がする。タイムラインに誰もいない時にTwitterやLINEで他人との会話のログを読み返す程度で済んでいた頃は単にわたしの他者依存傾向が高いだけだと思っていたが、どうやらそうでもないらしいことが分かったのはそれがわたしが独力で綴ったテキストでも代用がきくと気づいた時だ。あれからは本当に、未来のわたしの読み物にするために、まとまったテキストを残すことに尽力している。思っていたよりも、わたしは『活字中毒』であった。


//読み聞かせを母や祖母によくされていたこととの因果関係は不明だが、当然本は、というか物語を記した本は好きだった。小学校3年生の時にハリーポッターにどハマりし、買い与えてもらったわたしは繰り返しそれを読んだ。もう4~5年は開いていないが、反復の量は他の本の比ではない。今でも、ストーリーはだいぶ思い出せる方だろう。

//部屋の本棚にもある程度の本はある。ただ、わたしにとって長らく本は物語を記したものでしかなく、本棚は読み終わった本を置く倉庫でしかなかった。

//故に、だ。積読、というものが長らく理解出来なかった。本というものは物語が綴ってあるもので、その物語に強い関心があるから本というものを購入するのであり、それを読まずに積んで置くとは何事だ。ましてやそれを積むことに価値があるだなんて。わたしにはずっと、全く理解が出来なかった。

//わたしから本に対するその認識を大きく変えたのが、後輩から借りた一冊の本だ。物語本でもないが、電車の中の広告にあるような『宗教』じみたハウツー本でもない。ジャンルとしてはいわゆるエッセイ集というものだった。

//そのテキストが何か示すものがあるかといったら、それぞれ主題が別の所へあるせいか、テキスト全体の背後に示唆されるような何かは見つからない。読書体験を通して獲得されるような何か学びのようなものが予めセットされているかと問われると、そんなものは無いとしか言い様がなかった。

//だが、かといって価値がないのかと問われると、そんなことは全くない。むしろこんなに本のテキストを追うのに夢中になったのは久しぶりだった。

//飲み物のようだ、と思った。もっと正確に喩えるなら、ジュースとか炭酸とか、そういうものだろうか。何か栄養があるから摂取するという訳ではなく、摂取した瞬間の快感情のためにそれを摂取するという、そういう感覚だった。テキストを読んでそんな感覚を得たのは、本当に初めての事だった。

//今までの読書体験にそのような感覚が一度もなかったかといえば、それ自体は嘘だろう。ただ、個々のエピソードが脳に染みつく訳でもなく、想起する手がかりも残らず、ただそのテキストが目を通して脳に入っていくその瞬間の刺激(当該書籍中では頻繁に『笑い』と表現されているもの)がひたすら心地良かった。その心地よさのために、どこまでも追いたくなる文体をしていた。奇妙な読書体験だった。

//テキストを読んで、概要が脳に残らないのは初めての体験だった。

//読書感想文読書メモを見た人にはなんとなく分かってもらえるかもしれないが、わたしはテキストを読んで背後にある概念をなんとなく掴んだり、それを時系列順に整理して記憶したり、あるいは自分の言葉や体験でまとめ直すみたいな脳の動かし方が好きだ。もはや癖の域かもしれない。

//でもここでは、それができなかった。Rewordingをしてしまってはまったく意味がない、文体そのものに『飲む』価値があったのだ。そういう本だと、わたしは思った。

//これは読破することに価値がある本ではない、とわたしは直感した。こうしたテキストから得られる快楽を自分が求めている時、『飲みたい』と思った時に手を伸ばして吸収したい。つまりわたしがこの本に対してすべきことは直ぐにでも読み切ることではなく、必要な時に手の届く範囲にこの本を置いておくことだと思った。そして気づいたのだった。これこそが『積読』だと。

//後輩からはこのシリーズの本を3冊借りているので、この3冊に関しては自分の仮説を検証する目的で手早く読み進めて返却しようとは思っている。

//だが幸いにも、この著者の本は非常に多くある。そして全く同じ構造でなくとも、このような本はこの世にはまだまだ存在することだろう。今までは倉庫のような本棚しか持っていなかったわたしだけれど、これからはもっと『自分の読みたい本』『自分に必要な本』を集めた本棚を作ってみたいと、そんなことを考えている。



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