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しあわせの定義/余談、告白

 しあわせとはなにか、って?
 内包的に言うならそれは、「生命活動にかかるコストを上回る充足を得る」ことをしあわせっていうんじゃないかな。え、生命活動にかかるコストの意味が分からない? ええと、今の人類は昔に比べてだいぶ平和だっていうのはなんとなくわかるよね。いきものは縄張りとか優秀な遺伝子を持つ個体を巡って同種族間で生存のために争うことがあるんだけど、人間はその必要がだんだんなくなってきたんだ。生き残るために殺しあわなきゃいけないとか、イマドキ日本じゃ漫画以外でなかなか聞かないでしょ。いまは苦労して狩猟にいそしんだり得た素材ですべてを一からハンドメイドしたりしなくても、日本だったらある程度生命活動を安全に維持できる。そう、本当なら狩りをしたり素材から作らなくちゃいけなかったっていうのが「生命活動にかかるコスト」の意味。今だと税金を納める代わりに安全なコミュニティで暮らすことができたり、店へ行けば食べ物が売っていたりするから、コストっていうのは多くの場合でお金のことになるかもしれないなぁ。その支払ったコスト相応の見返り以上のものをもらったとき、ひとが感じる感情をしあわせっていうのかな、って思う。
 じゃあたとえば何がその「生命活動にかかるコストを上回る充足」にあたるのか、何がしあわせの外延的意味なのかっていうと、五感が満たされることとかかな。視覚ならタワーの展望台から綺麗な夜景を見るとか、聴覚なら好きなアーティストのライブに行くとか、嗅覚ならお気に入りのアロマを嗅ぐとか、味覚ならおいしいごはんをいっぱい食べるとか……触覚ってなんだろう。どでかいビーズクッションを買って帰ってそれにダイブして「ああ、買ってよかった」ってなる、みたいな?ビーズクッションってあれね、人をダメにするとかで有名なやつ。触覚の例で合ってるのかは分かんないけど、あれ気持ちいいよね。
 しあわせの対義語は何かって?まあ、さっくり言えば「ふしあわせ」がそれなんだろうけど……まじめに考えるならそうだな、しあわせの反対概念は自分がコストを支払っていると認識しているにもかかわらず充足することができなかった、つまり欠乏の状態のことだろうね。
 そうそう、欠乏感もそうだけれど、しあわせって概念は、位置づけでいえば状態っていう上位概念のうちの一つなんじゃないかな。しあわせっていうのは人の状態の一種で、楽しいとか嬉しいとかいう感情の概念はしあわせの下位概念に当たると思う。つまり、楽しい状態だからしあわせ、っていうのじゃなくて、幸福感に満ちている状態の中に楽しいという感情が生起している、みたいなね。
 しあわせは人によっていろいろな状況や現象が関与してきて、その幅は正直ほとんど無数だと思うんだ。でもたぶん、しあわせは大きく二つの部分に分けることができて、ひとつは「他人がいないと成立しない幸福」、もうひとつは「他の人間を介さずに成立しうる幸福」になる、と思う。友人づきあいへの努力、というコストを支払ったひとがそのメンバー全員に誕生日を祝ってもらうという充足を得てしあわせになるかもしれないし、僕は家に一人しかいなくてもマリアージュフレールのマルコ・ポーロという素敵な香りの紅茶を飲んでいる時間はとてもしあわせだと思っているし。
 だから、一口にしあわせといってもいろいろあるよね。しあわせの性質や属性にもいろいろあって、個人の価値観に沿って供給量が期待値を超過するケースもあるし、特定の社会環境下においてのみしあわせだと認知可能な出来事とかもあると思う。あのさ、すっごくくだらないんだけど、僕小さい頃にやってみたかった贅沢があったんだ。なんだと思う?
 ——さけるチーズを裂かずにそのまま食べる。
 あ、今ちょっと笑っただろ。本当だってば。まだ月の小遣いが500円とかだった頃からしたら、さけるチーズだって高級品さ。とにかく、結局そういう日は来なかったけど、あの頃の僕がさけるチーズをいくつか同時に手に入れて、「一個ぐらいさかずに食べても勿体なくないよ」なんていわれたら、当時の僕はそりゃしあわせだったろうね。あ、今?もうだめ。味覚が変わったのかな、どうしてもアレを旨いとは思えない。だからやっぱり、価値観に依存するしあわせにはいろいろあるよ。同じ人についてだって、時がたてば変わるもんだ。
 しあわせが何のためにあるかって……? そりゃ、しあわせの目的なんて人生を何十年も生き抜くモチベーションとするより他にありえないよ。あのさ、僕が最初に言った話覚えてる?人類は平和に生きてるって話。ほかのいきものについてはよくわかんないけど、結構その日暮らしをリピートして子孫を残したら寿命がいつの間にか来てる、みたいな感じだと思うんだ。でも人間はそうはいかない。いつだったか聞いたことがあるんだけど、人間の体って本来は50年くらいしか持たないらしいよ。いやマジで。それだって結構長いと思うのにさ、医学の進歩とやらで今の平均寿命いくつよ、みたいな。たしかそこからプラス20~30年は行ったよね。冗長すぎるよ。僕なんか30歳で死んでいいと思ってるのに。閑話休題。だからそれを飽きずに、役割を遂行していくってなったら、やっぱり充足みたいな娯楽で定期的に自分を緩めてあげないと、ね。バテちゃう気がするし。
 ええと、あとは……そうか、因果関係。まあこれはかんたんで、しあわせってのは自分の行動と因果関係があるよね。自分が何かしたことに対しての見返りの大きさで充足するっていうのが内包的定義なんだし。え? 何もしなくても親や環境から手に入るものはある? うーん、言いたいことはわかるんだけど、コストを支払うってのは何もお金を出すって意味じゃないんだよね。僕が金を出して享受するものの例ばかり挙げておいてなんだけど。例えば、君が何かを手に入れているってことは、君はそこに存在するんだろう? 当たり前かもしれないけど、でも大事なことだよ。日本語だとぴんと来ないかもしれないけど、英語ではbeも動詞、「存在する」っていうのは立派な君の行動なんだ。君が存在しているだけで、「そこに存在する」という君の支払ったコストに対して誰かが何かを差し出して、それで君がしあわせになれたって、そういうことなんだ。伝わるかな。伝わるといいな。


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