トイレ

大学3年生の頃まで、自分の部屋がなかった。父の部屋、父母の服と父の宗教の仏壇がある部屋、あとは洋室と和室が接続されたリビングで、父が自室に籠るとき以外は、家族全員がリビングで過ごしていた。寝るときもリビングの和室部分に布団を並べ、家族4人で寝ていた。

父は仕事が忙しくほぼ家庭にいなかったので、母と兄と私の3人で過ごすことがほとんどだった。物心が付いたときには、兄はよくキレて暴れ、私は半年に1回ほどのペースで死にたくてパニックになり暴れていた。母は大変だったと思う。ただ、母は「理想の家庭」像を守るため、怪しい自然食品を取り入れたり、パンを焼いたりして彼女なりの丁寧な生活を実践した。

それでも私達兄妹の難儀なことは変わらず、フラストレーションを溜めていたのだと思う。そのフラストレーションは家庭内のヒエラルキーで一番下である私に向かった。


生活音がうるさい、おこづかいで買った漫画が気に入らない、飯をもっと食え、お前は親の気持ちを分かっていない、お前は気持ち悪い等、母の地雷は様々で私には予測できなかった。夜中まで怒鳴られることもしばしばあり、母が怒ると兄はそれに乗じて私を罵った。

こうなると、逃げ場がない。外に出てもアテはない。中途半端な田舎なので夜は特に誰もいないし、誰もいないくせに包丁を持った人はよく出没するので外は怖い。

鍵がかかる場所、誰も入ってこない場所が必要だった。



私はトイレに籠るようになった。

外から怒鳴られるけれど、 ドアを叩かれるけれど、何故かこじ開けられることはなく、安定して母と兄から逃れることができた。

トイレにいる時間が長くなり、お尻が痛くならないように、便器ではなく床に座るようになった。


トイレは便利だ。吐くときは便器に吐けばいいし、涙と鼻水はトイレットペーパーで拭けばいい。かなり都合がよかった。

トイレットペーパーで涙を拭いて鼻をかむ。溶けるのが少し気になるけれど、少し気になるだけでそんなに問題ではなかった。


気づけば怒鳴られるとき以外にも、死にたくなったときや眠れない夜等、いつもトイレにこもるようになった。時間がわからないので、夜が永遠に思えた。


初めてのリスカも家のトイレでした。
便器の前で生まれてきたことを呪った。

便器はいつも白かった。親が磨いていた。



高校に上がり、学校のトイレでもリスカをするようになった。特に止血しないのでシャツに血が付く。血のついたシャツは母が何も言わず洗っていた。

こうしてみると生活自体は母に頼りっぱなしだったと改めて思う。その点は間違いなく感謝すべきだが、就職に際して、家を出て独立したいと話すと「お前には何もできない」と怒鳴られた。母は、親であることに囚われ続けていた。


死にたくてのたうち回っていても母は横でテレビを見て笑っていた。


家を飛び出して勝手に独立した今、リスカについて親に詰められるよりはずっとマシだったのかも知れないと思う。母もけろっとしている。


大学のとき、彼氏との避妊に失敗し、アフターピルを飲んだ。アフターピルには種類があり、安いが副作用が強いヤッペ法、高いが副作用が出にくく避妊率も比較的高いノルレボ、この2種類から選ぶことが多い。

急いで予約した病院ではノルレボがやたらと高く、お金が出せなかったのでヤッペ法を選んだ。

案の定吐き気に襲われ、飲んだ次の日に寝込んだ。


気がつくとわたしはトイレにいた。ドアが外から少しずつ開かれる。
その隙間から母が現れた。ハートの胸当てがついたフリフリのエプロンを着た、笑顔の母がいた。

恐ろしいという感情が追い付く前に目が覚めた。全部夢だった。汗だくになっていた。



親元を離れて、今ではトイレに籠る必要がなくなった。でも、やっぱりトイレが一番安心する。
今でも一番よく見る夢は、トイレのドアをこじ開けて誰かが入ってくる夢だ。

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