12がつ4にち(金)

晴れ

昨日は大変だった。体調が悪く終始ダルいなかで問題が多発した。今日はその回収をしたが、そんなに難しいことではなかった。知らずのうちにまた不安がっていたのかもしれない。今日は上司の上司の上司がいなかったので騒ぎにならなかっただけかもしれないが。

ただ、今日は同じ班に二人ほど休みがいたので、そのぶんの仕事もしなければならなかった。単純作業が多いのでむしろ頭を悩ませる問題から逃げるにはちょうどよかった。ただ、疲れはした。

ある程度残業をして、休んだ二人に来る月曜日に仕事を残さないようにする。こういうところできっちりすると恩が売れる。イメージが大事だ。

仕事が終わって、カフェにいった。最近までは昼に一度入った際のレシートを見せれば仕事終わりのコーヒーが半額程度になるシステムがあったが、なくなったらしい。それでも行ってしまうだろう。まんまと乗せられた。乗せられる。それでいい。

喫煙ブースに煙草を吸いにいって、席で本を読んで、今度は本を読みながら煙草を吸いにいった。喫煙ブースでは飲食が禁止だが、読書は禁止されていない。よかった。

今日は金曜日だから、明日の昼ごはんを買わずに帰れるのがうれしい。明日の昼ごはんなんて考えたくないのだ。最近じゃ適当に前と同じパターンのものを買っている。これは気が滅入ることだ。でも今日は金曜日だ。よかった。

帰りの電車で座ることができたので、日記が書ける。立っていると最寄りに着くまでがなんとなく長く感じて、気をまぎらわすために本を読むしかなくなる。なにか文章を作る気にはなれない。でも今日は座れた。お陰で日記が書けたので、よかった。

本のことを思う。新書を読む気にならないのはなぜか。言い換えると、生活のなかで読むのは小説が一番だというのはなぜか。
新書のような本は、自分になにかを教えられているような構図になる。知識がある、それを読む、という構図だ。
しかし、小説は、すれ違いざまに生活を見せられているようなものである。その内容にはわたしがいない。これがいいのだ。わたしが関わらないものを読みたい。
これはオタクとしてのスタンスにも言える。創作のジャンルとして夢小説というものがある。読者が物語の登場人物となり、キャラと関わっていくものだ。そしてわたしは夢小説は読まない。
創作内で登場人物が完結しているもの、特にBLものは読む。そのなかには読者である自分が入る隙はない。BLにはなおさらない。完全他人事である。それがいい。
このBL愛好的スタンスを読者の自己肯定感の低さと結びつける論調もある(詳しくはないが)が、それとはまた違う、他人事のよさ、どうでもよさ、気楽さがあると思う。娯楽として完成していると思う。

商店街にはイルミネーションが光っている。光っているなと思う。他人事的な姿勢は真剣に考えることを拒否して楽をしている、と言われたらそれまでだが、他人事を厚い皮でつつんでおくことで、自分の輪郭が侵食されないように守っている。こちらは必死だ。必死に生きている。

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