歩く

わたしは毎日歩く。

裸足で、靴下を履いて、その上に靴を履く。

歩くことは体の運搬とも言える。冬は特にそうだ。
コートのなかに体温、さっきまでいた部屋の空気、匂いなんかを詰めて、運ぶ。

洋服にパッケージされた人間たちが町を歩く。それぞれのぬくさやつめたさや匂いをパッケージして、人間は生きているだけで、歩いているだけで運搬業だ。

部屋に君が運んできたぬくさつめたさ、匂いが放たれる。私のそれと混じりあう。タバコを吸う。話をする。眠る。

そしたら朝になって、またその部屋の空気、君とわたしの体温やにおいをパッケージして、しっかりコートでパッケージして、部屋を出る。ドアを閉めたら、ひとりだ。歩く。それぞれのなかのひとりになる。

毎日運びながら生きている。たまに混じりあう。その瞬間ぱちっとはじけた生の儚さたるや、生きているものだ。わたしは生きている。きみと混じって生きている。

あのとき運んだ空気はどんなだったろう。9月になっても暑かった。クーラーのなかでまどろんで、午後三時がすぎる。赤いワンピースを着て、あのときは熱を運んでいただろうか。熱は混じっただろうか。あの熱はどこかに残っているだろうか。残っていないかもしれないし、残っているかもしれない。残っていたらすこし残酷だと思う。でもこの感触はなんだろう。手を握って確かめるしかできない。生きるってむなしいことだと思う。思うことしかできない。むなしい。

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