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新幹線の座標を逆転させないでください

「SNSで知り合った人と会ってはいけない」というルールがまだ機能していた頃。
(別に今も機能していてほしい。なぜならSNSには危険がいっぱいだから。)

2016年、初めてTwitterの人間と生身で邂逅した。



高校2年生 5月。

片耳が上手く聴こえなくなった私は、毎日死ぬことばかり考えていた。
昨年死んだ祖父の法事のために田舎に戻って、特にすることもなく「授業についていけなくなるな」「なんか部活の子に心配かけちゃって通知がいっぱい来てるな」ということを薄ら考えながら、透明水彩で絵を描いて時間を潰していたら、名古屋から来た誰かのお嫁さんに ″ひとりで部屋にこもってて楽しい?″ となんかちょっと怖い笑顔で言われた。

聴力のせいで他人の言葉を上手く受け取れないくらいなら、知ってる言葉が知らない言葉みたいに聞こえるくらいなら、何度も聞き返して相手の顔を曇らせるくらいなら、ずっとひとりでいたかった。
祖父の法事の席なのに、誰も祖父のことなんか口にしないでお酒を飲んでいるのも、そこに祖母や叔母が黙々と料理やお酒を運んでいるのを見るのも嫌だった。

ひとりで居たってちっとも寂しくなかった。誰かに呼ばれたら1階に降りてたし、少しは家の手伝いもしていたし、2階は蒸し暑くて誰も使わないから篭ってたのに、それの何がいけなかったんだろう。
気を遣われるのが嫌だったから、身体がおかしくなっていることはなるべく人に言わないようにした。
僧が私の目をまっすぐ見ながら死について話してくるのも嫌だった。早く死のうとしているのを見透かされてるみたいで、嫌だった。

居間で遊ぶ幼い従兄弟達の笑い声は、茶の間でくつろぐ客人たちの笑い声は、仏間で唱えられる僧の説法は、音から痛みに変わって、壊れた鼓膜の奥に刺さった。



午後。ふとTwitterを開いたら、リプライが来ていた。
私の投稿した「全く知らない人と話してみたい」というツイートに、″話しませんか″と来ていた。
アカウントを見に行く。過去のツイートを遡る。年齢は分からないが、文章から推測するに男性だと思った。

″通話を目的としたアプリや掲示板を使わない″ 、というルールを自分に課した上で、インターネットの人間100人に、自分で決めた質問内容からいくつか選んでインタビューする企画をしているらしい。たった1人で。始めたきっかけは ″コミュ障を治すため″ 。
少し違うけど、決まったフォーマットの100問を1人が答えるリレーが一昔前のネットで流行っていたことを思い出した。

変な人だな、面白いことをしているな、と思った。
発声せずに、その人が声で質問して、自分はチャットで回答することも許してくれた。
是非お話したいという旨を返信し、SkypeのIDを交換した。

どんなことを聞かれたか、あまり覚えてない。
相手が私より2つ年上で、名古屋に住んでいることが分かった。

ネット将棋を指した時、やけに深刻そうに「考えて指してますか?」と言われたり、ネットラップを沢山教えてくれたり、ポエトリーリーディングについて教えてくれた。
彼が教えてくれなければ、恐らく私の人生は、ラップにもポエトリーリーディングにも縁がなかったと思う。



同年 秋。

知り合いのお姉さんにお願いされて、コスプレイベントに参加した。レイヤーの方で。
最初で最後だったな、と今でも思う。何のキャラだったか忘れてしまったけど、PSPのゲームのキャラクターで、ヤンデレのピンク髪のロリだった。

イベント会期がちょうど、Skypeで話した彼が東京に遊びに来るタイミングだった。
オフ会するなら後で待ち合わせたらいいのに、何故かイベント会場まで見に来てくれた。
会場は海辺で、その日は快晴だった。
どこにも隠れる場所がないし、コスプレと縁のない人に初めてのコスプレを見られるのが本当に恥ずかしかったので、遠目で軽く挨拶だけして、後で待ち合わせしましょうと伝えた。

待ち合わせ場所に着いて声をかける時、振り向いたこの人に刺されて死んだら面白いな~と思った。
別に刺されも殴られも罵倒されもしなかった。
飲み物をもらった。ポッカが出してる甘い紅茶だった。
その人は、静かな声で淡々と話して、目つきのせいで怒ってるみたいな戸惑ってるみたいな表情をしていて、包帯みたいに色が白かった。清潔そのものが服を着ているみたいだと思ったことを覚えている。(本人に伝えたら曖昧な表情をしていた。)

三軒茶屋まで出て、コインランドリーや、線路沿いの公園を散歩した。私のカメラで写真を撮ってくれた。

東京に来る前日、夢の中で私に「″ 寝た? ″とか聞かないで、そういう面倒な事を聞く人は嫌い」と言われたこと、現実では敬語で話し合う仲だから少し嬉しかったこと、自分のルーツを話したら軽蔑されるのが嫌で人にあまり言えないこと、初めての東京に相当緊張していたらしいこと、直前に床屋に行ったら新鮮だったこと、もう携帯のバッテリーが切れそうなことを教えてくれた。

品川駅まで見送った時に、″ひとりで食べてください″と、12個入の名古屋銘菓をもらった。
帰って全部ひとりで食べた。
あの会合が、最初で最後だったな、と思う。





高校3年生になる頃、その人から
″カーテンか毛布を贈りたい″と言われた。
部屋にカーテンも毛布も無くて居心地が悪い、と言ったのを気にかけてくれたらしい。
なんだかとっても情けなくなって
「生活必需品は自分で揃えるからもっと特別なものをください」と言った。嫌な女だった。その人は珍しく、少しだけ悲しそうにしていた。


秋頃、受験するのでしばらくお話できなくなってしまいます、と言ったら″友達はできるんですか″ 、″負けないでください″と言ってくれた。


しばらくして、指輪をもらった。最近、大切な人達に贈っていると言っていた。この人は少なからず私を大切だと思っているんだな、と思った。人からもらったアクセサリーを付けると失くしてしまった時とってもかなしいので、銀の指輪は花瓶の底に沈めている。


私から彼に渡せたものは、チェーンのコーヒー店に置いてある再生紙の紙ナプキンに、三軒茶屋から名古屋への帰りの電車の経路を書いたメモだけだ。

受験が終わって、久しぶりに話しましょう、と声をかけたら、″今の自分は最低だから、あなたと話せることは何もない″ と言われた。″あと、来世では俺と付き合ってください″とも。こういう時、私は突き放されたにも関わらず、頑なに相手のことを諦めきれず、相手に執着し、拘泥する悪い癖がある。だがそれは1年も続かない。


2019年 彼がブログにもやい結びの写真を上げていた。

2021年の10月まで、気が付けなかった。
そんな首輪わたしが千切れればよかった。



小学生ぶりにきた名古屋駅前は、偽物みたいな花が沢山散っていて、やや暗い白色が空いっぱいに流れていた。
コロナのせいか人が少なくて、小学生の時よりも、幾分か怖くなかった。
適当に入った喫茶店のご飯は、急いで食べても美味しかった。時刻に間に合わせるために飛び乗ったタクシーの運転は、少し荒かった。




もう書けない。書いたら消費してしまうから、ずっと書けずにいた。名古屋にいる間、思い出がちらつく度に立っていられなくなりそうだった。

6月の初めに三軒茶屋の、あの公園に行って、知り合いに写真を撮ってもらった。まだ何も痛くなかった。

私は私の思い出への、今の自分や他人の介入を、拒みたいと思った。指1本も触れられたくないと思った。
思い出さないでいると、忘れたくないことを忘れてしまう。久しぶりに、死んでしまえたらと思った。
私に触れる他人の指を、あなたに振りかかる火の粉を、どうか振り払えますように。

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