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何かを楽しんで生きている人を揶揄して足を引っ張るゾンビみたいな人

のことが理解できていなくて、何で人のしていることを「下らない」「稚拙だ」「どうせあきる」って一蹴できるんだろう。
(飽きたとしてもなんか関係あるのかな)
自戒としてですが自分のやっていることを昔から「プロみたいに上手くない」とか思っていて、今も思っている。
他人にきついジャッジを下す人が不思議です。
本人が楽しくて、他の人に迷惑もかけずにやっていること。
今は上手くなくても、積み上げたらきっといい形になると思うし。
ただ、石黒正数先生のまんがに出てきた”駄サイクル”も、ごもっともだと思う。

最近わかったのは、ゾンビ見たいな人は、なにかしている人を揶揄しないと、何もしていない自分が間違っているだとか否定されていると思うのかな?
と仮設を立てました。どうなんでしょう。

昔は何かを言われてびっくりしたり落ち込んだりしましたがそんな事言ってくる人はスルーするか適当な屁理屈かますかキラキラな返しをしています。
素直な幼女だった自分は様々な体験をして、いったん捻くれて、またまっすぐに戻りました。
真っ直ぐな方が生きやすい。
自分より卑屈な人を見たりすると、動かない理由に卑屈パワーを昔の嫌な体験を掘り下げたりするのは、同じところぐるぐるしちゃうのかなと思ったり。

そういう事に気が付かないまま生きていくのは、他人と深く関わらなかったり、色々理由があると思います。
でも、誰かが犠牲になる理由にはならないと思った。
他人やコンテンツや職業に嫉妬して起こった事件の、手記を読んだりすると、同じ人間だったり、リンクする感情、環境があったりして、そういうものを読むたびに自分もそうなってしまうんではないかという恐ろしさも感じる。
故意に起こされたものだけでなく、事故的に起こってしまう「忌み」「妬み」「憧れ」とか、ごちゃっと混沌した感情が一気に吐き出されたとして、最悪人が死んでしまったりしています。


何もしていない人が文句を言うのは、何も見えていないから簡単だと思った。
気をつけよう・・・


ちいさいうちから今も続く好きな事を見つけられたのは、すごくラッキーだったのかも。
マリオカートでいうと私はスターをゲットして、ゾンビみたいな人は亀の甲羅をぶつけるみたいな・・・。
なんか、うーん、偉そうな文章になっちゃったかな・・・。
なんであんな言い方されて怒らないの、と言われたので、なんか多分こういうことなのかなって、考えをおまとめしました。
どうでもいい事はどうでもいいままにして大事なことだけ大事にしていきたい。多分真面目に生きるとつかれるので・・・。

今の時期になると新入社員に物申す人、物申す人に皮肉を言う人、大喜利を始める人がいますが、ろくな人がいません。
自分は黙っているタイプのろくでもない人です。

おわり。

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