出張帰りの特急列車内で更新。確実にリソースマネジメントという領域が研ぎ澄まされてきているな、と思いました。私は偉大な先導者となるでしょう。

出張帰りの特急列車内で更新。
近い将来、会社を買収するので私が株主となります。代表取締役にも就任するのですが、その時に一緒に働ける人はどんな人だろうかとよく考えます。自分に近い人に入社してもらうのがマジで手っ取り早いですし、そうするつもりでした。でも何のために?と最近は思うようになりました。

ガバナンスってなんだろう?もし自分の身内が社内に溢れている状態って、ガバナンスという観点からみたらどうだろう?と。ぶっちゃけ知り合いだらけだから統治はできるだろうけど、じゃあ、経営の健全性は担保されてんの?とか。身内で溢れている状態って、不健全なのではないか?と疑問を持つようになり、今日の記述となります。というかおそらく不健全です。

確かに話は通しやすいし、仕事もやりやすい。しかしながら、それは社会的責務を背負った会社がやる事でもないような。なんであんな話が通るのだろう?と。社内の誰かが疑問に思った時、その会社は不健全なのではないだろうかと。そう考えると、社内を身内でかためるのはよくないかな、と思えるようになりました。この考え方は多分、あってると思う。理由は、わざわざ身内でかためる方法を選ばなくても、コミュニケーション能力を鍛える方を選べばよいかなと。その上でやりにくい人をわざわざ選定する必要はないのだけど、まずは自分に出来ることをやろう!スタンスで考えるとそうなります。まあ、こんな広い世界に生まれたんだから、わざわざ身内に依存すんなって感じですかね。

もう一つあります。
今まで人との縁を切る事になんの躊躇もなかったんですよね。ただ、自分の将来の展望を考えた時に、果たして本当にそのマインドでよいのか?と過去の行いが自分の未来まで見据えたものだったのかと考えるようになりました。

人はある役割にハマると、自覚していない領域で、その機能を全うしようとパワーを投下してしまいます。良い意味でもそうでない意味でも。それは別に自己成長の一つのプロセスだと考えているので、構わないのですが、そのような機能にピタっとハマっている数多くの人を統率し、目的まで辿り着こうと思うと、当人たちにある程度の裁量を与えないと無理だなってところに行き着きます。これは実際にマネジメントをしての体感ではありますが。その裁量を与えられた人間というのは必ず素晴らしくエクセレントなアイデアを生み出すんですよね。私じゃ思いつかないような。やっぱり他人ってすごいんです。当然ながら世の中をより良くするのは、その素晴らしくエクセレントなアイデアで。より多くの人により広い裁量を与えられる自分になる、というのがまず第一なんですが、次に必要なのは、広い裁量を与える相手です。自己中的な表現ですけどね。人は人と仕事をするという、至極真っ当な現実をやっとこの歳になって見れるようになったのかなと思ってます。めちゃくちゃ遅いですね。自分に絶望。

そう考えると、いわゆる、上手くやるってのは必要なスキルであり、これから私がラーニングしないといけない部分だなと感じました。今までは覚悟とパワーがあればいけると思ってましたが、きっとそうじゃない部分も世の中にはあるんですよね。剛柔、的な。

統治とはなんなのか?コントロールとは?健全性とは?統率とは?また、それらの範囲とは?
まだまだ勉強不足なので、こういった事を考える日々ではありますが、確実にリソースマネジメントという領域が研ぎ澄まされてきているな、と思いました。私は偉大な先導者となるでしょう。

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