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かわいそうなかわいいキャラクターは強力な感動を生むとかいうメソッドの構造の解剖

こういうメソッド、あるよね!

 「かわいそうなかわいいキャラクターは強力な感動を生む」、というメソッドのようなものが大昔からそれなりに存在しており、このメソッドはとてもつよいパワーを持つことが感覚的にも「そうだよね」となる程度には浸透していると思います。

 このnoteは、非常に使いやすく使い古されているとも言われるこのメソッドについて構造を分析しながら解説し、こいつはいったいどういうことなのか理解していこう、というnoteとなります。

 目次を見てもらえばわかるのですが、このなんとなく納得できそうなそれらしいメソッドをガチで解剖しつつ、その内容についてどれがどういう効果をもたらすかをゴリゴリに書いているものです。

 実践的なテクニックはあんまり書いておらず、僕の私見が多分に含まれておるため、これが正しい内容であるともなかなか言い切れんものではあるものの、それなりに分析は通っているので、意見がある方はぜひコメントをしてください。
 また、前置いておきますが、ネットミーム的な「かわいそうはかわいい」というものを解説するものではないため、その点はご理解ください。

「かわかわ感動メソッド」の構造


 さて、この「かわいそうなかわいいキャラクターは強力な感動を生む」という考え……長いな、とりあえず今後「かわかわ感動メソッド」と適当に名前をつけ以下はそう呼びますが、まずこのメソッドの構造をざっくり考えてみましょう。

構造の解剖


 「強力な感動」というものが最終的に物語のもたらす感情のひとつだとして、その感情をもたらしているのはキャラクター単品ではありえません(※1)。キャラクターや世界観を含む物語というパッケージに接触した体験が「強力な感動」を生み出しているわけです。

 そしてその物語の全部あるいは一部がキャラクターを「かわいそう」な目に遭わせており、それによって登場人物としての「キャラクター」に「かわいそう」という印象が付与されるわけですが、このときその「キャラクター」「かわいい」場合、「かわいそう」という印象がより強く想起され、結果としてその「かわいそう」な目に遭うシーン、あるいはそれ以降の物語に接触した際の情動を強くする、という構造であると考えられます。

 こうして書いてみるとなんとなく理順はわかったような気がしますが、では「かわいい」とか「かわいそう」というのはどのようなものであり、どのような作用を持つがゆえに情動を強くするのかについてははっきりした正体がふわふわ輪郭状態であることには変わりありません。

 そのため、まずは「かわいそう」「かわいい」という2つの要素についてざっくり&ぼんやり考えてみましょう。

読者あるいはユーザーとキャラクターの「立場」


 基本的にキャラクターというものは「観客との、あるいは受け手の知る誰かとの立場の差」によって様々な印象を観客に与えます。ここでいう「立場」とは便宜上の表現で、外見的・精神的・社会的・状況的・状態的など様々な要素を持っており、この要素の数だけ印象を与えうる何かが存在するわけで、たとえば今回取り扱う「かわいそう」とか「かわいい」についても、そう判断できる材料がわけわからんレベルで山盛りの種類が存在している(※2)と考えてください。

 そして観客はキャラクターたちに物語の中で接触したとき、キャラクターの様々な立場が観客、あるいは他者あるいは観客の知るキャラクターよりも下位である、上位である、あるいは同じである、という認識を元にして印象が生成されている(※3)と言えたりもします。

 堅苦しい内容ですがまあそういうことだとぼんやり理解できたところで「かわいそう」と「かわいい」はどのようなものであるかと考えてみますと、「かわいそう」という印象は登場人物を観客よりも不自由な状況に置くことで達成される場合が多く、「不自由な状況に置かれていく」過程を観客は観測し、大きな意味でその登場人物の所有しているもの、あるいはその登場人物自身の喪失によって達成されます(※4)。

 対して「かわいい」に関しては一般的な生来的及び心理学的作用としてのかわいいというもの(※5)とはまた少し毛色が違い、単純に「深く感情移入が出来る」(※6)くらいの要素で認識してもらって問題ないです。しかしながら今回の表題としている「かわいい」はおおむね「外見が優れている」という場合も多々あり、そう認識しても問題はないように思います。

まとめ

 つまるところ、「深く感情移入できる(あるいは見目麗しい)キャラクターが不自由な状況に置かれた場合、感情移入の作用によって情動が深まる」という話で、こうして改めてまとめてみると「それはそう」となるんですが、このような感じで構造を理解するとなかなか興味深いものががありますよねという話でした。

 たとえば、「かわいそうな目に遭わせる」という行為そのものについて、安直に使われる方法としてそのキャラを殺すという手段がありますが、効果的であるとはいえ「みんなが使いがちな手段」になっているので、前述した要素をうまく使ってキャラクターを不自由な状況に追い込みましょう

 キャラクターの心は強ければ強いほど折れた時にいい音がでます。クリスピーで味わい深い絶望をたしなみつつ、シャンパン片手にそれを楽しむことができれば、あなたもきっといい物語が作れます!

 いい創作ライフを!


(※ 以下注釈の解説)

(※1)感情をもたらすのはキャラクター単品ではない

 まあ当然といえば当然な話なんですけど、ストーリーのないキャラクターは存在せず、特に感動をもたらす場合はその感動を生んだストーリーがバックボーンにあるはずという話です。


(※2)「かわいそう」とか「かわいい」についても、そう判断できる材料がわけわからんレベルで山盛りの種類が存在している

 まあ「かわいそう」とか「かわいい」とかを語るにあたっていっぱい材料が存在しているんですが逆も然りだよねということも含めて考えてください。とある「かわいい」と「かわいそう」という要素に対して、それは「かわいい」とはいわんやろ、あるいは「かわいそう」とはならんやろ、という反論は間違いなくあります。そういうもんです。特にそれは個人的な嗜好によるもので、他者との知的境位には絶対的な溝があり、その溝を理解はできても埋めてしまったりすることは基本的に無理です。つまり何らかの要素に対する否定の否定もできないという意味であるから、まあ嫌いなもんは嫌いなもん、好きなもんは好きなもんで諦めつつ切り捨ててやっていく必要があります。


(※3)受け手よりもキャラクターが下位、上位、あるいは同じにいる

 このへんクソセンシティブな内容なんで面倒なんですが但し書きをすると、これはそのようなキャラクターと似たような属性や状態を持つと、受け手よりも偉いとか偉くないとか有利不利とか持ち上げられているとか虐げられているとかいう意味ではありません。これは単に作品の中のキャラクターと受け手の中だけで成立している関係性で、つまるところ「創作物」と「その消費者」のみが持ち得る状態及び関係です。そのため、現実に於いてそのようなキャラクター性を持っていると想定される受け手よりも弱いとか強いとか、そういう話をしていません。作品の中に存在する属性や状態及び関係性は作品の外には出てきませんし、誰かを侵害するわけはなく、そういう意図はこのnoteには一切ございません。

 正味こういう但し書きしないと何らかの面倒くさいイチャモンつけられそうな内容ではあるよね。予防線張るのも大変だ。


(※4)「かわいそう」はその登場人物の所有しているもの、あるいはその登場人物自身の喪失によって達成される

 これは登場人物の所有物として外見的・精神的・社会的・状況的・状態的など様々な要素があると考えてください。また、この喪失は観客が物語に接触し、登場人物に感情移入できる程度に関係値が成立されたのち発生される場合が多いです。よくわからん馬の骨が死んでもなんも情動が発生せんからそれなりにそのキャラクターを知ってもらってから丁寧に壊しましょうっていうそういうやつですね。


(※5)一般的な心理学的作用としてのかわいいというもの

 このへんは専門ではないので詳しくないんですが、我々人類にはある種の身体形状、特に幼い生き物のフォルムをかわいいと感じる生得的な傾向があり、これはベビースキーマと呼ばれています。加えて心理学的作用として「かわいい」という感情及び情動はこのベビースキーマとは少し異なり、幼いとは直接紐付かない(が関連性は一応ある)、接近的動機づけのフックになるとされています。このへんと物語のキャラクターに感じる「かわいい」はほんのり別モンということですね。


(※6)感情移入が出来る

 かわいいと感じるまでには色々な作用がありますが、それらを経由して最終的に「そのキャラクターの心情や精神等の構造の実在を感じ、そのキャラクターに感情移入ができる」というところまで来た場合、「かわいい」という単語を含む状態で表すことができることが多いので、ざっくりこう表しています。日本語における「かわいい」の幅が広すぎるためこのへん説明しだすと3日くらいかかるのでそのへんは各自調べてください。

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