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ぎゅーっとしたくなる人達が沢山いるコミュニティで過ごした9ヶ月。

私は何だかわからないけれど、ぎゅーっとしたくなる人がいる。歳上か歳下かも関係なく、長い付き合いでも、初対面の相手でも関係なく、患者さんだってそう。突然ぎゅーっとして愛をいっぱい伝えたくなる人に出会う事がある。POOLOはぎゅーっとしたくなる人が沢山いたコミュニティだったと思う。

仕事場でも退院前の子どもを抱っこしてぎゅーっとしてしまう事があるんだけど、その時に思うのは「これから辛い事も楽しいことも沢山あると思うけれど、あなたが幸せになってほしいと心から思う人間がここに1人いるからね、また会えないかもしれないけど逞しく育ってね」みたいな事だったりする。

入院している子どもたちに感じるような思いを、POOLOのみんなにも不思議と感じていて、卒業しちゃうけど何かあったらいつでも気軽に話にきてね、みたいな気持ちで卒業制作のnote を書いています。だから、みんな話したくなったら話にきてね。私の9ヶ月の振り返りと、これから。

1.息が詰まるような生活から

 私は、コロナの年に看護師になった。学生から社会人へ、ただそれだけで自分の生活は狭い箱の中に詰められたような日々に変わった。県外への移動禁止、同居家族以外との外食は禁止、休憩室では誰も話さない。知らない景色を見る事が、人と関わる事が大好きな私にとって、そんな生活が続いていくのは本当に息が詰まった。小児医療の最後の砦と呼ばれる私の職場では患者ファーストが当たり前で、職員の中でコロナ感染者が出ないかビクビクした毎日を過ごした。

 そんな中で見つけたPOOLOの広告。県外にも海外にも出れないけれど、同じような価値観を持つ人とオンラインで繋がる事ができる。久しぶりに心がワクワクして、オンラインで出会ったPOOLOの人達と、このコミュニティが凄く好きになった。

2.POOLOを遠ざけた時期

 POOLOに入って1ヶ月経った頃、私の病棟がコロナ病棟になった。内科系の病棟からコロナ専用病棟へと変わり、元々長く入院していた患者さんたちは他の病棟へ移っていった。コロナ禍で、しょうがない気持ちもありつつ、ずっと診ていた患者さんたちが他の病棟へ行って会いに行けないのがとても悲しかった。
 コロナ病棟へと変わり、初めてコロナの患者さん達を診ることの大変さを知った。毎日防護服を着てN95をつけて、泣き叫んでいる子どもの部屋にも最低限しか入れなくて、8時間泣き声を聞きながら過ごす日もあった。

 そんな中、ニュースで流れてくる"飲み会でクラスター"という言葉に傷ついた。こんなに自分の生活を犠牲にしているのに、大人数で飲み会してクラスター、、? 誰も悪くないのは分かっているけれど、ただ悲しかった。だからPOOLOが大好きだったけどslackを開くのが辛くなってしまった。コロナが悪い。それは分かっているけれど、大人数で飲み会している投稿を見て素直にいいねを押せない自分がいて、みんなは悪くないのにそう思ってしまう自分が嫌で、講義だけに出てslackの投稿は見ないようにして、少しだけ距離を置いた。

 このモヤモヤは誰にも話す必要は無いと思っていた。医療職だから、仕方ない。でも、高井先生の講義で、「旅は誰かからの贈与です」と言ってくれて、講義中涙がポロポロ出た。そんな風に思ってくれてる人もいるんだと思うと、POOLOを遠ざけていた自分も、おかしくなった。みんなが楽しめるように、"今は"旅を支える側でいよう。落ち着いたら、旅を支えた分思いっきり旅しよう。

そして2月Qチームのらむちぃ。看護師として外に出られない気持ちを1番よく分かってくれて、自分が旅に出ようと決めた時も頭の中に最前線で頑張ってくれている人の事を考えてくれて、とても嬉しかった。私が旅に出た時も、もう好きに旅に出ていいんだよって言葉をくれて救われたなぁと思う。ごりぷさんも看護師2人の話を聞きながら、「じゃあどうすれば安心して医療者が旅に出られるのか」って真剣に考えてくれた。その気持ちと、言葉がとても嬉しくて、遠ざけていたPOOLOというコミュニティが好きになった。有難う。

3.他人軸から自分軸へ

 私のこれまでは24歳にしてはハードモードだったと思う。「幸せそう」とよく言われるけれど、意外と、私は抱えているものが多かったりする。6歳から一緒の大親友にしか話していないこともあるし、現在進行形の問題だってある。ただ、悩みがなさそうに見えるのは実は嬉しい。「悲しい」とか「苦しい」とか、そういう経験は誰にだってあるけれど、環境によって経験できることと出来ない事がある。経験しないと、分からないことは沢山ある。私にもそういう経験は沢山あった。でも私がラッキーだったと思うのは、そんな時に"本気で向き合ってくれる人"が沢山周りにいたことだと思う。あと"一緒に笑い飛ばしてくれる友だち"も沢山いた。そして何より、自分の苦しかった経験が"生かせる職業につけたこと"。私は苦しい中でも、色んな人にgiveしてもらってここにいる。だから人のためになる仕事をしたい、と他人軸で生きてきた。

 POOLOには、素敵な人が沢山いる。私から見ればキラキラしてる人が沢山いるんだけど、みんな自己開示をしてくれる。note を通して、1on1を通して、色んな方法で自己開示してくれる。その人がどんな経験をして、どう受け止めて、どう向き合ったか。普通の友達とは話さないことを初対面で話してくれる。その話を聞いていると"もっと自分を大事にしていいんだよ。いてくれるだけで良いんだよ"って心の中で思う。でも、自分のことになるとそうはいかない。"もっと頑張らなくちゃ。自分がこんなんじゃ、人を助けられない"  と、誰にも課せられていない責任と使命感みたいなものが強かったと思う。でも、色んな人と1on1しているうちに、自分の好きな事を仕事にしている人や、自分の好きなことを仕事を辞めてしようとしている人たちがいて、何だかキラキラ見えた。"もっと自分を大事にして良いんだなぁ"と気持ちが軽くなった。自分の好きなことって、何だろう?

4.これから

 仕事がしんどすぎて、上司の前で大号泣した少し後に淡路島にみんなが来てくれた。初めましての人も多い中で、「えなちゃんに会いたかったよー!」とニコニコしてくれる人が沢山いた。みんなが楽しそうにしてる姿を見て、とても嬉しくて、気持ちがポカポカした。やっぱり、誰かが笑顔になる瞬間が好きだなぁと思った。
 移動の車の中で、ぴろちゃんに「えなちゃんはこれからどうするの?」と聞かれた。仕事がしんどくて大号泣したんだけど、、と話し始めて、ぐるぐる考えたけどやっぱり「看護師として働くこと」と「途上国で働くこと」は変わらなかった。でも、大きく変わったのは「他人のため」ではなくて「自分のため」にそうしたい事。医療が必要な人に、苦しんでる人たちに医療だけではなくて暖かい心も届けたい。私が苦しかった時、本気で向き合ってくれた人がいたように、私もそんな存在になりたいと思う。そして、自分の周りの人も大切にしながら、色んな人たちと繋がっていけたらいいなぁ。途上国で働いた後は、日本に帰ってきて児童養護施設や障がい者施設でも働きたいし、まだまだやりたい事は沢山ある。みんなが何歳になっても、好きなことに挑戦していく姿を見て、私もやりたいことを諦めないことにした。したい事、叶えたいことは自分で叶えていく。

9ヶ月、有難うという気持ちでいっぱい。私は「ありがとう」を漢字で書くようにしてるんだけどね。「難が有るから有難い」っていつも思い出せるように。今は苦しくても、苦難や困難があるから有り難さが分かる。人にも優しくなれると思っています。これからも、楽しいこと辛い事、沢山有ると思うけれど、いつでも話にきてねという気持ちでいます。みんな出会ってくれて有難う、これからもよろしく🌱



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