1906[明治39]年4月24日の『大阪朝日新聞』3面に、「一日一題」として「エスペラント」という記事が掲載された。暘城生の筆名で土屋元作が書いたものである。
同年5月に『読売新聞』に掲載された黒板勝美の談話とともに、日本においてエスペラントが盛り上がるきっかけともなった。
以下その全文。読みやすいよう、仮名遣い、難漢字、当て字などはあらため、適宜句読点等を補った。
この翌々26日の『大阪朝日新聞』には、「再びエスペラントに就て」、さらに(ガントレットの名は伏せているが)通信教授の広告が掲載される。これらの記事を見た安孫子貞次郎が「日本エスペラント協会に就て」(6月3日付録2面に掲載)を寄せ、それによって黒板と相知ることとなり、日本エスペラント協会(JEA)設立につながっていくのである。