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ガントレットの寄稿記事

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日本のエスペラント運動に貢献したエドワード・ガントレット(George Edward Luckman Gauntlett, 1868-1956)が、英字新聞やエスペラント誌に寄稿… もっと読む
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記事一覧

ガントレットと英字新聞

日本のエスペラント運動に大いに貢献したエドワード・ガントレット(George Edward Luckman Ga…

1903年の『The Japan Times』その③1903.10.1

9月27日の編集部による記事に対して、J. Van Doornに続き二人目の反論。 1903.10.1., p.6 「E…

ガントレットの寄稿記事『The Japan Weekly Mail』1904.12.17, p686 「ESPERANTO」

第1回世界大会の案内をもらったガントレットが、新聞にも載せてくれるよう依頼。字上符付きの…

ガントレットの寄稿記事『The Japan Chronicle』1905.7.27, p.98 「ESPERANTO」

神戸で発行されていた英字新聞『The Japan Chronicle』1905.7.20号に「AN INTERNATIONAL LANGU…

ガントレットの寄稿記事『The Japan Weekly Mail』1905.7.29, p117「ESPERANTO」

英字新聞『The Japan Chronicle』1905.7.20号に「AN INTERNATIONAL LANGUAGE」と題するエスペ…

ガントレットの寄稿記事『The Japan Chronicle』1905.11.23号, p.691「ESPERANTO」

『The Japan Chronicle』1905.7.20号(および『The Japan Weekly Mail』1905.7.29号)で告知し…

ガントレットの寄稿記事『The Japan Weekly Mail』1905.11.25, pp.584-585「ESPERANTO」

1905.7.29号で告知した通信講座の結果報告と、追加募集。 署名に「No.8413」とAdresaroの番号があるため、前回もガントレットによるものとわかる。 『The Japan Chronicle』1905.11.23号に寄稿したものと同内容。 記念すべき第1回通信講座は64人が受講。香港から1人、ニュージーランドから1人、半分以上が日本人、なので残りは日本在住の外国人ということだろう。 文末に"The terms of instruction may be see

『The Espereantist』に載っている日本のこと

『The Esperantist』はイギリスで1903年11月に創刊された月刊雑誌。1905年12月まで計26号が発…

1906.2『The British Esperantist』Vol.2, no.14 に載ってる日本のこと

『The British Esperantit』(La Brita Esprantisto)はEsperanto-Asocio de Britioの機関紙で19…

1906.5『The British Esperantist』Vol.2, no.17 に載ってる日本のこと

『The British Esperantist』から日本に関する記事の紹介、その2。 【Vol.2, No.17 (1906.5)…

1906.8『The British Esperantist』Vol.2, no. 20 に載ってる日本のこと

『The British Esperantist』から日本に関する記事の紹介、その4。 【Vol.2, no.20 (1906.8)…