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陰キャと陽キャとパリピとギークとスクールカースト上位と下位とプロムとロボコンとX-MENとアベンジャーズのなんか納得いかない話のあれこれ

 俺が参加者の一人としてブツクサと念仏みたいなことをつぶやき続ける企画こと純喫茶彼岸花というトークイベント配信的な何かが、8月18日(日)に開催されるのであり、今回のお題は「デッドプール&ウルヴァリン」であったりする。
 いい機会なので俺が映画版X-MENシリーズについて抱いているモヤモヤとした気持ちをその配信で吐露したいのはやまやまなのだが、お題は「デッドプール&ウルヴァリン」であるからして俺がえんえんマグニートーがプラスチック牢獄から脱出する方法が相手の血液にブチ込まれた大量の鉄分から生成したパチンコ玉使うみたいなのカッコイイよねとかなんとか話し続ける可能性が高く、事前に脱線しがちなあれこれをここで書いておくことにした。
 前もそんなことしたなという記憶があるが忘れてほしい。
 次のお題は「デッドプール&ウルヴァリン」なので最悪でもデッドプールのシリーズの話に落ち着けなければならないのだが、大体今回はゲストに加藤よしきさんまでお呼びしているというのに、デッドプール&ウルヴァリンだっつってんのに俺は多分、歴代X-MENの話をしたくなる。
 あのイマイチ感の漂う拭えないイマイチ感を濡れたシャツのように纏い続けるX-MENの映画シリーズのイマイチ感を。

 まず初期三部作の話をしよう。
 俺はあれが大好きだ。
 二作目までは。
 三作目で「?」ってなった。なんなら二作目ですら「?」ってなったがマグニートーの脱出方法が面白かったしカッコよかったので良しとするが三作目で「キュア」とか言われると「キュア? とかそういうのいらなくねえ?」とかなんとか思ってしまったりもする。
 基本的に俺はブライアン・シンガーという監督を信用している。
 他がダメと言っているのではない。
 ブライアン・シンガーは差別とか隔離とか差別とか出自とか差別とかアウシュビッツとかそういうの得意なのでX-MENのテーマに合った作風と作家性だから信用しているしだからといってブツクサと意識高いテーマを語らせるでもなく絵面もちゃんとエンターテイメントしているし、まああいつに任せておけば間違いなかろうと思っているだけだ。
 ただ問題は「これ「X-MEN」じゃなくて「マグニートー」になってない?」みたいなところだ。マグニートーがひたすらかっこいい。チャールズ・エグゼビアことプロフェッサーXことハゲがマグニートーに引っ張られてちょっとかっこいいが、そんな会社の役員みたいな二人がかっこよくてどうするんだという気がする。
 破天荒サラリーマンが精々課長クラスで活躍するのが王道ではなかろうか。取締役になったり会長になったりした島耕作がネタ感凄いのと同じだ。素直に楽しめるのはサラリーマン金太郎であって金ちゃんがヤマト建設の社長になったり会長になったりする話、ちょっとおかしくなってない? という気持ちでいっぱいいっぱいにならないだろうか。俺はなる。
 要するに上が抑えでいて下が自由奔放にやるという構図が望ましい。

 ただ俺はそれもまたよしと思っている厄介な男で、例えばマグニートーが味方側になった時の頼もしさは異常とかで興奮したりする。あいつすぐ悪巧み始めるけど。
 その辺は元のアメコミがあいつが敵で今度は味方でみたいなことをえんえん繰り返して何回死んでも平然と生き返ったりしていて、その辺を巧い事拾って反映させているだけなのだが、まあそんなことはどうでもいい。強敵復活イベントやライバル味方化イベントは楽しいので良い。
 ただまた言うが会社の役員が大暴れ! みたいなのそれはそれで面白いが下の人間の立場がないので自重してほしい。
 これは俺が映画版X-MENに対する不満の一角にして最大の要素となるのだが「貴様、サイクロップスを愚弄する気か」の一言に尽きる。
 サイクロップスをバカにして遊ぶのもいい加減にしてほしい。
 初期X-MENメンバーにしてブルーストライクチームリーダーのサイクロップスが眼鏡とかゴーグルを奪われて、殴った程度の威力に手加減も出来るクセに建物をモリモリ破壊する威力でブワー放たれた上にその威力に振りまわされて半回転とかして結果として大量破壊兵器にするのをやめてほしい。
 (註:確かバイザーがないと威力をコントロールできないため最大出力となるがそんな設定上のつじつま合わせであのバカ絵面を描かないでほしい)
 一応、サイクロップスがまともな作品もあるのだが、見ている方としてはいつあっさりゴーグルだかメガネだかバイザーだかルビークリスタルとかなんとかで出来ているそれを奪われて醜態を晒すか気が気ではない。
 兄貴だったり弟だったりするハヴォックは胸から任意で放てるので便利なのに、なんでサイクロップスは常時点灯みたいになっているのか知らないが、それは別に映画が悪いわけではなく原作からしてそうなので仕方がないしバイザー的なものなしで目から任意でオプティックブラスト放てる便利なサイクロップスなんて俺は認めたくないので仕方がない。サイクロップスの人生の悲哀を感じるしかないが、ないのだが幾ら何でも愚弄しすぎではないだろうか。

 サイクロップスを愚弄する気か(実際している)という話をしすぎた。落ち着こうと思う。
 原作コミックではクソ重要なキャラであるジーン・グレイだが、ジーン・グレイのこと俺は割とどうでもいいと思っていて、それは俺の勝手な判断なので映画全体の評価には加味すべきではないのだが、これは俺の感情を抜きにしてもジーン・グレイに比重を置きすぎて(原作コミックがそうなので仕方ない)何回見てもジーン・グレイでシメるのどうなのと思うしあいつフェニックスパワーみたいな情緒もクソもないルール無用の無敵パワー使うのでなんかこう、イマイチ、見ていて楽しくない。
 「磁力を自在に操ります」という能力を最大まで工夫に工夫を重ねて拡大解釈した上に、アポカリプスとかいうサノスの偽物みたいなやつが更にブーストさせ地磁気にまで能力が及び、その辺のサッカースタジアムみたいなとこ丸ごと浮かせて移動させるなどお手の物みたいになったマグニートーの方が見ていて面白い。
 ほらまたマグニートーになった。
 会社役員が無双。

 まあ何というか、X-MENの映画シリーズは几帳面なのである。あとエグゼビアハイスクールこと「恵まれし者の学園」という諸方面に配慮したような和訳名前の学園内に収まってしまっているので伸びしろがあんまりない。
 断っておくが原作はめちゃくちゃ伸びしろがある。
 縮こまったところがまるでない。バカスカ他ともクロスオーバーするし死んだり生き返ったり能力が改変されたり息子が年上だったり時系列がめちゃくちゃで誰と誰が付き合って結婚してんのかよくわかんないし息子が年上だったりする。未来から来たからね。
 ただ映画は先ほども言ったが几帳面に過ぎるというか原作ファンへの目配せが過ぎるところがあって(その割にサイクロップスが愚弄されているので何かイラッとする)ひっじょ~にマニアックな感じになってしまっているところがある。
 ただその中でも新三部作とかはフューチャーアンドパストとか俺は大好きなのだが、ブライアンが多分またスーパーマン撮りたくなってしまったので(違うが)なんかまたおかしくなってアポカリプス大暴れのあとにダークフェニックスとか言われても、俺、見てなかったし、この前一応見たけど途中で寝落ちした。
 アポカリプスが等身大でなんかしょぼいおっさんみたいになっていたのに、精神世界で巨大化して「アポったー! 俺たちのアポ・カリプ・スが現れたー!」ってなってるのを見ておしまいにした方が良かった。
 俺は多分、本当にジーン・グレイに興味がない。
 
 とにかく丁寧に作っているのは分かる。丁寧すぎて足を引っ張られているみたいなとこがある。だって仕方ねえじゃん原作コミックがそうなんだからみたいなとこがある。
 無作為にバカスカ話を広げまくるのをよしとする原作コミックと違って映画版は小綺麗に纏めなきゃならんという使命感も感じる。
 その辺、ウルヴァリンシリーズはウルヴァリン一人をバカスカ描いていればいいので引き込まれる。サムライとかいうよくワカランのも混ざっているがご愛敬で済ませましょう。
 ウルヴァリンゼロからローガンまでの流れはサラリーマン金太郎のように中間くらいのやつがずっと描かれているのでやはり中間管理職くらいが丁度いいのであって会長や取締役が出張ってくると権力が強すぎて「いやお前が暴れてもリスク低くない?」という感じがある。
 立場も権力も微妙なやつが解雇覚悟で暴れる方が良かろう。
 リスクなくして栄光なし。

 などというのもX-MENシリーズがひっじょ~にマニアックなクローズド空間でモチャモチャしていることに起因すると俺は思っている。完全にオタク向けのオタク映画で、その上見ているオタクまで「なんかイマイチだな~」と思ってしまうという悪循環の塊みたいなシリーズだ。
 オタクの拘りなど自己満足と帳尻合わせであってエンターテイメントとしては大変、向いていない。大金かけてオタクがモチャモチャ並べたり並べ替えたり通にしか分からないようなことをしていい気になったり、そんなことをしているからX-MENシリーズには陰キャ感が出るのだ。
 キャラの話ではない。
 アイスマンとかクイックシルバーとか陽キャじゃない? とかそういう話をしているのではないしジュビリー(陰キャのくせに陽キャのツラしている)って特に何もしないよねとかそういう話ではない。
 作品全体がシリーズ通して「オタクの文化祭」みたいになっていると俺は言いたいのだ。分かったか。分かってほしい。
 そして漸く、こんだけ脱線して漸くだがアベンジャーズの話を持ち出せることとなるのだが、全世界大ヒット満員御礼大人気シリーズ・アベンジャーズはスクールカースト上位の連中(プロムナードで何もしなくても盛り上がれる連中)によるパーリィナイトの連続だというのに我らがX-MENはロボットコンテストでいかに面白いロボット(面白いと思っているのはオタクだけ)を造れるかどうかに力点が置かれてしまっており、ロボットコンテストはロボットコンテストなのでプロムナードではないし俺はロボットコンテストに参加なされている皆様を愚弄する気はない。比較論の話なので勘弁して貰いたい。ロボット、かっこいいよね。
 
 アベンジャーズにあるキラキラ感がどうしてもX-MENシリーズには出て来ない。アベンジャーズなど基本的には毎度毎度同じような話をしていてヒーローたちが毎度毎度喧嘩をしては最終的にキャプテンのもとに集結して仲間・友情・努力・勝利みたいなことを繰り返している。
 馬鹿売れ大ヒットしているのでチョケったような内輪ネタをしたりしてもリスクゼロである。キャラ崩壊とかもオモシロの一部として許容されてしまう余裕の風格を感じる。X-MENにはそんな余裕はないし(興収的に)そんなことをするワケにもいかない。なんというのだろう、オタクがさっきまで仲間内でオタク話でキャッキャしてたのに、人間として上位機種の集団が近くを通りかかっただけで会話を止めて黙り込んでしまうようなそんな人生の悲哀を感じる。
 
 言い過ぎだろ、だったら普通に「アベンジャーズよりX-MENの方がオモシロイヨ!」って叫んでいればいいだろ、と思われるかもしれない。しれないが、残念な事に「……いやアベンジャーズの方が面白いんだよな」となってしまうのが分かるだろうか。分かってほしい。この敗北感を。
 アベンジャーズこそ「会社の役員大暴れ」なのだが(社長いるし)それが複数の大会社の役員となると話が違ってくる。所詮X-MENは独立企業でしょぼいけど自社ビル建てて達成感を覚えているだけの中小企業なのであった。

 アベンジャーズがX-MENより優れていることの一つに「別にキャラ覚えなくていい」というのが俺は絶対にあると思う。X-MENの映画の面白さはキャラを知っていてどう扱われているかが大きい。なのでサイクロップスを愚弄する気かとかそういうのが出て来る。
 アベンジャーズ、別に覚えなくていい。なんとなくこういう人ですとか、誰だっけ、前回も見たな、まあこんな感じだよな、とかそういう気軽さがあり、気軽に入れるように作っている、絶対に。
 とにかく主役級キャラがたくさんいるためそれぞれ見せ場を造るためにどうでもいいようなザコが無数に押し寄せてくることでそれぞれが活躍しているところをまんべんなく提供する。毎回だ。
 Fate/hollow ataraxiaで見たやつだ。俺が基本的に嫌いなギルガメッシュ大王が異常に頼もしいアレだ。どんどんゲートオブバビロンとかから出して使え。色んなものを。乖離剣百回出してもいいぞ。
 これは非常に大事なことだ。エンターテイメントで必須の要素だ。
 いかに「モノを知らない人」に楽しんで貰うかだ。
 知ってる人がニヤッとするんだよね~とかそういうのやめてオタクのロボコンみたいだから! いややってもいいけど全編それとか本当にやめて、しかもそれが足引っ張ってんじゃん! となってしまう。
 アベンジャーズにあってX-MENになく、そしてX-MENが全体的にイマイチになってしまう理由、それがキラキラ感、プロムナードの勝利者感、スクールカースト上位の陽キャクソパリピ要素、初見のバカでも分かるキャラとストーリー、それを見てブツクサと聞こえないように小声でフキダシの中に小さい文字を大量に書き込んだような正当性のほぼない(彼らは別にオタクを迫害しているわけではない)被害者意識しか伝わってこないX-MENシリーズの悲しみ。
 人生の悲哀を感じますね。

 で、ですよ。
 X-MENシリーズの助け船となったのがウルヴァリンの単独シリーズなワケですけど、あれだってウルヴァリンの外見と能力の分かりやすさがあってこそなワケでしてね、分かりにくいし伝わりにくいけど話が進むと分かりますよ、なんてのは馬の目を抜くエンターテインメント業界で通用する理屈じゃないんですよ、分かりますか? 聞こえてますかマクフライ?
 ローガンで美しく終わった、最高、傑作だ、素晴らしい、なーんもしらん人がローガンだけ見てそんなこと言うと思います? その点アナタ、アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー見てない上にキャプテン・マーベルとワンダーウーマンとレディ・デスストライクの区別もついてないような人だってアベンジャーズ/エンドゲームは面白く見れるんですよ、絶対、きっと。
 俺最近人に呪いをかける勉強してんだぜ舐めるなよ。

 俺たちオタクは何をやっても通用しないのか?
 マウント斗場には何をやっても通用しないのか?
 そんな絶望と開き直り、腹の括り方、死んでくれるわという結城秀康の心意気(マジでどうでもいいが俺は自分の前世が結城秀康だったと思っている)それを救ったのが誰あろう、デッドプールでございます。
 陽キャと陰キャの橋渡しを行ったキャラ、それがデッドプール。
 チャラけていたからいいというものではない。
 オモシロにしたから? みたいな話ではない。
 デッドプールこそ「死んでくれるわ」という異常な決意をしてチャラけたからこそ陽キャと陰キャの橋渡しが可能となったのだ。なったのだって言ってんだろ。アベンジャーズの奴らがチャラけるのとは訳が違うんですよ、デッドプールは体を張ってチャラけることによってX-MENシリーズのオタクたちを日の当たる場所に引き上げたんですよ。これはブライアン・シンガーには出来なかった快挙ですよ、もう死んでくれるわと思って鬼怒川強引に渡って上杉景勝が待ち構えている白河の陣に突っ込んだらうっかり勝っちゃったみたいな感じですよ。
 こうして漸く俺は「デッドプール&ウルヴァリン」の話に入れるのであった。なげー。しかもとりとめ、ねー。
 リスクなくして栄光なし。
 皆様もこの言葉を心に刻んで生きていってください。
 8月18日(日)の純喫茶彼岸花、皆様よろしくお願い致します。

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