どうして異世界転生ものはこんなにも流行っているのか

みんな異世界転生ものを書いている、書いてない(または読んでいない)のはお前だけ、状態なレベルで異世界転生ものが流行っている。実際最近のアニメでも異世界転生のヒット作はかなりある。それではなぜ異世界転生ものが流行っているのかを考えてみた。

理由としては、主に、需要側の要因;消費者の求める要素の入ったコンテンツであるからだと思う。では消費者の求めるコンテンツとは何か、

1展開がストレスフリー:テンプレがある程度共有されていて、しかもその共有が最近起こったので人々が飽きていない範囲でバリエーションが出せる;読者層が忙しい社会人にも広がり、理解しやすく比較的真新しいコンテンツ(飽和する王道ファンタジーの代替)を求めていた。また、読者層が社会人になることによって、より、「日常の閉塞感」「無力な自分が変わる機会」という欲をかなえる小説が歓迎されるようになっただろう。話が逸れるが、環境が変われば(転生すれば、ゲームの中に入れば、人生二周目であれば)うまく行くと信じることができる読者や作者は、私からすると、幸せな存在だなと思ってしまう。

では異世界転生ものでどのような人々の欲が見えるか、ということについては、大まかに「男は最強かつモテ、女は苦境を自分の力で乗り越え堅実に活きる」という設定が好まれる。異世界において、なぜ男はチート、女は悪役令嬢に転生するストーリーが好まれるのか。男側では、チートというのはほぼ生まれ持った要因によって成功が決まっており、楽をしたい・生まれの格差のせいで自分はうまくっていないという考えが見えそうだ。また、モテでは、自分が積極的に動かなくても、相手からしかも複数人からアプローチされていることを望んでいることがわかる。女側では、まず自分が主人公ではない、という従来の少女漫画とは一線を画す諦念があり、必ずしもヒーローが存在するわけではなく、自分の力で周りを動かし苦境を乗り越えることから、自立する傾向が読み取れる。

そして両者に共通する世界観として、1いったん現実を無にする(転生や自分が死ぬという儀式を経る) 2中世のイメージ(あくまでイメージ)で現代技術は存在しておらず、一方魔法がある 3ヨーロッパのイメージ(あくまでイメージ) 4能力や差が数値やスキル(ステータス)として可視化され特別感が出る演出 5 日本文化を持ち込みそれが歓迎される(ナショナリズムと言えるかもしれない)

2SFの代替、なぜならSFは技術が進みに連れ、検証厨がわき、内容も複雑になるため、創作コストも受けての理解コストも上がる(このようなSFがヒットした時代、近未来複雑系の作品が流行ったのはエバンゲリオンなど一昔前)

3宗教の代替 読者が求めるもの(環境が変われば的な側面)と似ているが、現代日本にいる私たちは宗教を信じにくく、死や惰性で続く日常に救いがなくなってしまっている。そこで死後の世界や日常を打破する可能性をあくまでフィクションであるが、ポップに書く異世界転生ものはある意味宗教と言っても差し支えないレベルで人々の日常の悩みを軽くしている可能性がある。

一方、この流れを加速させた動きとして供給側の競争とプレイヤーの多さが挙げられそうだ。質は量からしか生まれない、という言葉がある。どのようなテーマを扱ったものであれ、名作というものは存在し、それがあるカテゴリーで発生する可能性は、そのカテゴリーで書かれた作品数が多ければ多いほど上がるだろう。ではなぜ、供給側が多いのか、という理由をもう一段階深ぼると、世界観が共有されていて創作コストが低いことがここでも挙げられる。

この異世界ものの特殊性として、編集者ではなく読者が方向性を左右しがちであることが指摘されている。ここで興味深いのは、読者は主人公に自身を投影しているゆえ、主人公が鬱展開に巻き込まれると、作品から離れがちだという傾向が見られる点である。また、上記の記事では、小説家になろうというサイトを分析しているのだが、件のサイトが読者の日常の行動に組み込まれていることが、一話あたりの文字数から導けるとし、競合をスマホゲームと置いているのも面白い.

現在「異世界転生タイプ」の作品の応募があまりに増加してしまったため、出版社サイドで応募テーマとして禁止という異例の事態が取られているにもかかわらず、続くこの根強い人気がいつまで続くのか気になるところだ。

余談だが、異世界転生もので、面白いと感じた指摘に、男主人公×ハーレムもので、男主人公に男友達があまり出てこない理由は作者が現実に男友達がいないからではないかというのはなかなか笑った。



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