毒親の頭の中―私の考えることが正しい世界―

久々に毒親について。

はじめに言っておくと、私は毒親(肉親)をまともな人間=一般通念上におけるまともな社会人として見ていません。

「いやいや、あなたより年上で人生の先輩でしょ?それにあなたを産んだ恩人でしょ?少しは礼儀を弁えたらよろしいのでは?」

・・・もうその手のテンプレと化したお題目は「余計お世話」ですらなく、現在を生きる(一応まだ若年世代の)人間の『極めて近代的で正常な思考』によれば時代錯誤な儒教信仰です。

親だから、高齢者だから、年上だから・・・現在の世の中は自身が何もしなくてもそれだけで他者より立場上有利、そんな便利なアイデンティティだけで『私は偉い』という理屈が通じる時代ではありません。

知識、教養、思考・・・これらが人類史において不変不朽であった時代は存在しません。

【盛者必衰】。

いずれ人は必ず衰え、後塵を拝すようになるのが自然の摂理です。

コピー機が使えないの~
FAXが使えないの~
携帯電話が使えないの~
パソコンが使えないの~
スマホが使えないの~
クラウドが使えないの~

・・・ヒトの歴史上、必ず『世代交代』が発生します。それが健全な社会であり、自然界でも極々当たり前の現象です。

しかし日本がシルバー民主主義と呼ばれて久しいのを察すれば、「お前年寄りを馬鹿にしてるのか!?何様のつもりだ!?」。

こんな物騒な恫喝が通勤時間のコーヒーショップ、昼間のコンビニ、混雑している役所の窓口・・・至る所で聞こえてきませんか?

偏見を持たず、忌憚なく言わせてもらうと「日本は異常」、これに尽きます。



一通り「一般的」な高齢者に対する一般論を述べたところで次は毒親に参ります。

例によって「年上」「高齢者」の他に「肉親」「異常者」という余計な属性が増える相手。

それでも肉親は肉親。血縁が存在してしまう限り、主観的な感情とは別に法規的な関係性までをも生まれ持っています。

それが『相続』です。

日本は曲がりなりにも私有財産の所有を憲法で国民に認めている国家です。

財産とは、現金、預貯金、不動産、債券、有価証券・・・所謂資産ですが、負の財産である負債も存在します。

代表的なのが借金ですが、ほかに不動産に掛かる固定資産税や保有車両、船舶等の動産に係るあらゆる税金、維持費等ですね。

ところで相続、相続権って単語は一般の人がまず普段の生活で聞くことは稀かと存じます。この辺はサムライ業=士業の専売特許ですからね、一般の人が当然のように知っていたら業者さんは商売あがったりになってしまいます。

そのため(大筋は政治的ですが)法規が関わる事についてはとにかく難解で複雑、一般人には理解できないような仕組み、文章が望まれます。

ただ、現在はWebでいとも容易く実用例規集や裁判事例、法律全文も検索できるのですから便利な世の中になりました。

で、相続については六法の一つである民法で大きく定められています。この辺の知識は公務員とか士業を目指している、目指していた方であれば必然的に学習することになりますがそれ以外の一般的な方はまず目に触れることはないでしょう。

そもそも相続ってなんぞや?ここで少し相続について簡単な理屈をば。

・財産は基本的に一代のもの。お前ら国民は死んだら所有財産を国へ帰すのが当たり前

・でも憲法で私有財産の所有を認めているじゃないか?死んだら全部国のものになるのは前時代的

・なら、死後もその財産を譲渡することを認めてやる。代わりに相続する財産に課税するから税金払え

簡単にまとめるとこんな感じ。

基本的に国家は国民が私有財産を国民同士で譲渡しあう=循環させることを嫌います。なぜかって?国民同士で好き勝手にやられたら国の政策に従わなくなるから。

かなり横暴的ですが歴史的に見ても国家とはこんなもの。

最近の某日本国会最大与党議員による裏金問題は、裏を返せばそれだけ法を破る旨味があるから皆仲良くやれば怖くない、をやっていたというだけ。あの人達は現行犯でもない限り議員特権で逮捕されないので。

で、相続についてなんぞやを語ったところで、じゃあどれだけ税金を盗られる(誤字?)のか。

基本的にはまず遺産が金額的にいくらなのかを算出し、そこから基礎控除額を適用して除外。

次にそれらを法定相続人に分配し、それぞれの金額に対して課税率と控除額が決められています。
~1,000万円以下=10%
~1,000万円超~3,000万円以下=15%
~3,000万円超~5,000万円以下=20%



詳しくは国税庁のHPに譲るとして、とにかく何でもかんでも課税されますし、累進課税制度になっているので法定相続する金額が高ければ高いほど盗られる税金も高くなります。

不動産についても国税庁で算出方法を定めているので参考に調べてみるといいでしょうね。まずそんなもの好き(まじめな人)は少ないでしょうけど。

とまあ、とにかく死後相続だと必ず国によって税金で大きく盗られるのが現状です。

そう、死んだあとに相続すると必ず盗られるのです。

では死ぬ前は?この発想に至る人が日本全国でどれだけいるのだろうなぁ、2,3割もいれば御の字なのかな。

ここでやっと登場する生前相続とは、民法でいう『贈与』の事です。

つまり死ぬ前に生きている身内(=いずれ相続になる人)に名義を変えたり所有権を変えたりして財産を贈る事です。

実は相続するときに支払う相続税と生前相続するときに支払う贈与税、どちらも払うのは相続人、つまり財産をもらう側の人です。

これから死ぬ予定の人、あるいは死んだ人に「税金払え」はいくら日本の官僚が阿呆でもしません(笑)。

結局のところ、相続税と贈与税は財産を受け継ぐ人がその財産に対して課税された金額を国家に納める仕組みです。

国としては、まるまる財産を没収してウハウハしたいところだけど憎き憲法のせいでそれができないので相続するたびにチビチビと税金をいただくしかない訳です。

ところが生前相続=贈与には実質無税にする方法があります。
・暦年贈与
・相続時精算課税制度

ただし、相続時精算課税制度は【贈与税は無税になるが贈与者の死後に相続税が発生する】ので結局無税にならない=ただの課税先送りでしかないので現実には暦年贈与一択しかない。

つまり、亡くなる3年前より以前から毎年110万円ずつチビチビと尊属(血縁者)にお金をあげるしかないということです。

死んだら相続税としてただ国に盗られるだけのお金ですから、それよりなら生きてる内にチビチビと暦年贈与をすれば節税になる、ということです。
※10年間なら1100万円、20年なら2200万円・・・長く続けるほど効果大です。



で、やっと今日の本題に入るのですが、相続や贈与については先ほど説明した通りです。これは今ならWEBで調べれば
【簡単に】
【(まともな人なら)誰でも】
【お手軽に】
理解できる内容になっています。そう、まともな人なら・・・。

毒親という生物は筆者曰く「植民地支配時代における帝国主義そのもの」です。つまり支配によって自己権益の搾取、取得。これを目的としている人間です。

逆に言えばそれ以外はどうでもよくて、自分さえよければ後はどうでもいいという思考で生きています。

人間、必ず老い、やがて死にます。これは自然の摂理であり、人類史においてこの事実を覆した人間はいません(仮に存在したとすれば、一神教の神かな?)。

これもまともな人なら当然ですが、死んだらお金は持っていけません。

昔、宵越しの銭とよく言いましたが、財産は生きているうちにしか使えない、という事です。

ところが先に説明した『暦年贈与』、これを実行できるのは相当人生観を極めた真の人生の先輩だけです。

・早いうちから長く続ければ続ける方効果が大きい
・死んだらお金は使えない、持っていけない

よくメディアがサクラやエキストラにインタビューして「将来の子供のため、子孫のために・・・」と道徳的な模範解答を吐かせていますが、実際に本心からそんなことを考えている人間はほとんどいません。

現実にいるのは
・私のお金、私のモノ
・子供は親のモノ
こんな俗物ばかりと思います。

筆者も自分の毒親に相続についてもの申したことがありますが、

「お前馬鹿だろ?相続ってのはスゲー税金かかるんだぞ?そんなことも知らねーのかよ?」

これです。

暦年相続とか相続の税率とか全く知らないでしょうけど、仮に話を振っても「そんなこと知ってるよバーカ」と言われるのがオチです。これが筆者の毒親ですし、多分世の中に蔓延るノーマルレベル(笑)の毒親も同様だと思います。

毒親に限らず、まともな思考ができない人、儒教アイデンティティにどっぷり使っている高齢者などに共通しているのが

「自分は正しい、正しい自分が考える事が正しいに決まっている」
「自分は大丈夫、自分は失敗しない」

正常性バイアス、認知の歪み等の心理学用語が普及してきているのもWeb様々ですが、精神的に異常な方々が科学的に炙りだされてきているのでしょう。



今回は相続と贈与をテーマに毒親という異常者を記事にしました。

人はいずれ必ず死ぬ、正常性バイアスに陥っていない人間であれば至極当然の理解ができるわけですが、そうなると先に亡くなるであろう肉親について考えざるを得ないわけです。

その時には多くの事務手続きが発生するわけですが、とりわけ相続は面倒です。そして、どう考えても「暦年贈与」をさっさと実行していけば無駄に税金がかかることがないわけですし、おまけに生前の内に財産の処分をすることになるため相続の処理も比較的楽になるでしょう。

しかし毒親という生物は「自分は死なない」なんて本気で非科学的に信じていそうですし、いざ何かあっても非協力的だと思うんですよね。

・・・結果、面倒で煩雑な作業が残るわけです。



筆者は常々思います。

日本人の中で『親』と心から呼べる人が一体どれだけ存在するのだろうか、と。

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