『批判を許さない社会』と『謝罪が許される社会』―社会の腐敗を助長する日本国民―
■ご挨拶
今日はそれなりに辛辣な日本人批判をまとめた記事であるため
・国粋主義者
・愛国主義者
・日本最高信者
・・・・・・・・・のような方々はお帰り下さい。
■『〇〇警察』を名乗る自称正義マンを気取る日本人
「〇〇警察」というスラングが特にSNS上でネットジャンキー達によって使われている。
2020年から始まったコロナ茶番で顕著だった「マスク警察」とか「ワクチン警察」だったか、所謂『同調圧力』が人間の姿に変えて棍棒を振り回す自称正義マンが騒ぎたてていた。
・マスクをしない人は犯罪者
・ワクチンを接種しない人は非国民
まるでWWII戦時の日本帝国臣民が教育勅語で踊り狂っていた時代を想起させる有様であった。
※適正言語は禁止とか竹槍精神論で爆撃機を落とすとか・・・馬鹿げている
日本民族が遺伝子レベルで『社会主義に対する高い適正』を持っている事を伺わせる様相であったが、同時にこれは反・民主主義的な日本人の本質を浮き彫りにした。
今回のコロナ茶番から20年前の話。
中国で起きた重症急性呼吸器症候群(Severe acute respiratory syndrome)= 日本ではサーズウイルスと報道されていたがこれもSARSコロナウイルス (SARS-CoV-1)であった。
実際にコロナウイルスが存在したかどうかは今回の茶番も含めて(筆者はメディアお得意のカバーストーリでしかないと思っているが)不明なままである。
当時、日本人大衆の批判の矛先は医療関係者に向けられた。
「お前らが病気を日本に拡大させている!」
「どうしてウチを診てくれないんだ!」
・・・もはや文明人とは思えない醜悪な姿が日本中にありふれていた。
思えばこれも『〇〇警察』という自分勝手な正義の名の基に棍棒を振り回す悪質な日本人の本質であった。
その反省を生かしてか、今回のコロナ茶番では医療関係者、医療従事者を『救世主』であるかの如く演出させるために相当な金がばら撒かれた。
なにせ2022年は国債を100兆円も刷っての大判振る舞いであり、日本全国の病院建物や設備は修理、新築等で大いに盛り上がったという。メディアを始めあらゆるネット上における『ワクチン接種事業』『コロナ恐怖論』、そして今流行りの新型mRNAワクチン等・・・。
(悪い意味で)日本が本気を出せばここまでやれる、という史上最悪の行動力を世界に見せつけた。
※この意味を理解できない人は間違いなく『8割』に含まれる
かくして、コロナ茶番における日本政府に仇名す存在は現実であれネット上であれ『正義の名のもとに』攻撃されるという哀れな光景が見られた。
■支配者への『批判が許されない社会』を望んだ日本国民
子供でも分かる話だが、為政者や支配者という生き物は批判を嫌う、正論であれば尚更だ。
「我々は常に正しく、強い。だからこそ愚かで無知な大衆は支配され、管理されるべきなのだ。」
これが行政であり、自民党であり、政府である。間違っても『我々はあなた方のための政治をして、国を、社会を、皆さまを幸せにして差し上げます』・・・こんなリップサービスを鵜呑みにする有権者であるなら、やはり日本人は痴呆である。
本来、民主主義体制において国民は権力の監視者であり、批判者であり、正しき政治を訴えるものである。
・・・しかしながら、思考停止した無能で怠惰な日本人有権者は『民主主義における有権者としての役割』を完全に放棄して数十年。失われた何十年とやらを作った張本人達は
「政治が悪い」
「自民党が悪い」
「国が悪い」
・・・呆れて目も向けられない。
批判を許さない社会を作ったのは紛れもなく『批判する役目』を放棄した有権者であり、筆者から言わせれば自業自得である。重税、物価高騰、苦しい生活等を望んだのは日本人有権者である。
怠惰な無能に批判する権利はない。
■支配者の『謝罪が許される社会』を望んだのも日本国民
「誠に申し訳ございませんでした」(ぺこっ)
これひとつで権力者の不祥事は全てチャラであり、
これひとつで政治家の汚職は全てチャラであり、
これひとつで役人の不正は全てチャラである。
・・・許せませんか?
・・・え、どうして許せないのですか?
誠心誠意心を込めた平謝りですよ?
十分じゃないですか?
『だって、今までもこれで許してきたじゃないですか?(笑)』
怠惰で無能な日本人有権者が望んだ謝罪をしてあげる政治家や役人、企業の経営者や重役達。
日本国民が満足する平謝りを新聞や地上波でしてくれるのですから、立派ではありませんか?
使途不明な税金が数十兆円あっても、ワクチン接種事業で何千人死んでも、役人が出世のためだけに増税しても・・・
日本人はだれも怒らないし、不平を言わないし、デモを起こさないし・・・
平謝りで何でも許してくれる日本、幸せな国ではありませんか。ねえ、日本人の皆さん?(笑)
■国を活かすも腐らせるも有権者次第、それが民主主義国家
最初からオチを言うが、日本は社会主義国家であって民主主義国家ではない。なぜなら有権者が民主主義の責務を放棄しているから。
・権力の監視
・政治的関心と議論
・政治の責任意識
日本人有権者はこれらを完全に放棄して『政治は政治家のお仕事』と言って怠惰を極めてきたし、現在進行形で継続中である。
「少子高齢化だから仕方ない」
「社会保障費が必要だから増税は仕方ない」
「消費税増税は仕方ない」
「年金減額は仕方ない」
「法人税減税は仕方ない」
「円安だから仕方ない」
「防衛費倍増は仕方ない」
・・・これらの話、全部あなたは一度でも自分の頭で考えたことがあるんですか?
『テレビ新聞のセンモンカの先生がおっしゃっているから・・・』
ならその『センモンカ』とやらがあなたに死ねと言えばあなたは死んでくれるのですか?素晴らしい信仰心ですね。
怠惰を極めたばかりに思考停止している日本人有権者とは概ねこんな感じである。『センモンカ』とやらは神か何かでしょうか?
どうにも日本人の宗教は筆者に理解しがたいものがある。
■後記
既に期日前投票が始まっていることを知ったが、例によって高齢者のアクターさんが元気に『日本のために!』と意気揚々と三文芝居をしていた。芝居がくさすぎるためもっとマシな若い役者を用意するべきである。
勿論筆者は今回も投票しないし結果に興味はない。
地上波はしばらくオータニから離れて選挙立候補者のお茶の間演説に花を咲かせるのだろう。
※オータニ劇場は流石にもううんざりだと思うがまだ見たい阿呆がいるのか?
今回の名言は2005年発売のゲームが出典である。かれこれ約20年も前の作品からの引用になるが、同作にはほかにも名言がある。
どちらも筆者にはとても印象深いセリフで、初めて知って以降未だに忘れられず頭に残っている。
日本に、一流と言われる人間は全体人口の何パーセント存在するのだろう?他人を成長させられる管理職がどれだけ存在するのだろう?そして、筆者は恐らくそのどちらにもなれないだろう。
人間は社会の中で何者になるかを競っているが、個人的な経緯から筆者はそのようなラットレースに興味を持てず辞めた。何者になるかではなく、『どのように生きて、どのように死ぬか?』こそが重要だと悟ったからだ。
その意味でいえば、筆者死ぬまで何者にもなれない自由な人間だろう。そんな人間にも利点がある。『立場に縛られない』事だ。
社会の中にいながら筆者はどこにも立っていない。それは、あらゆるものを認め、あらゆるものを否定できる唯一の存在であり、これほど『自由』と『民主』を主張できる事は無い。
日本人が愛する自由民主党とやらはその真逆を国民に強いているように見えるが、今回も議席多数で与党になるのだろう。
日本国民は幸せであろう。
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