大学生のてきとーエッセイ : 膨らんだ自分の影に合わせなくていい。
街のニュースには、新生活の文字が並び、涙や笑顔、様々な表情が画面に映し出されている。
僕の好きなバンドのボーカルの方は、春という季節について「出会いと別れの季節というよりは、気持ちの整理をつける季節だと思っています。」と言っていた。
気持ちが整理出来ず、もやもやすることが普段、僕にもあるから、エッセイを書く。この前の出来事もそうだ。
事の発端は、羨ましさだった。
ある人の旅行の感想を聞いて僕は、正直いらっとした。その人が楽しそうであることを望んでいるんだと頭では理解出来るのに、知らない一面があるのが寂しくて一緒にいた人に嫉妬した。
でも、そんな羨ましさは素直に話せなかった。なぜなら自分もその位凄いんだ。僕だって、と全然会ったことも無い人に張り合っていたから。
前、インターンに参加した時も同じような事があった。自己紹介の時、大学名から話し始めるのが嫌だった。そこに偏差値というもので色んな人が区切られているように感じるから。何だよ。といらついていた。
生まれてきた地域で形容されるのも嫌だった。『破戒』の丑松じゃないけど、田舎だけど、そこに何もないかもしれないけど、僕にとってのかけがえのない故郷だ。誰かの憶測で話してほしくなかった。
僕は、色んな区切りを気にしていた。過去にやったことだけを見て、どの場面にも張り合おうとした。こうした比較には、際限がなかった。やってきたことをそんな風に見せて歩いた僕は、だんだん息が苦しくなって、昔の誇りは、自分を大きくする為の装置に変わってしまった。それは、膨らんだ風船みたいに、その中核にはいくらやっても自信が持てないちっぽけな自分がいた。
そんな気持ちに押しつぶされそうな気持になったとき、久しぶりに中学生のとき好きだった曲を聴いた。偶然出会ったカフェで働く店員さんに一目ぼれしてしまうというストーリーの曲だ。
何の気なしにこの一文を聞いたとき、ふと、悟った。
本当は、そんな大きくない。そして、僕たちは、誰かと出会えるだけ、何かを一緒に出来るだけで奇跡だという事だ。今ある出会いや一緒に居てくれる人は、大きくなった「自分」が起こした結果というじゃなくて、周りに居てくれる人からプレゼントだと思う事にした。
体と心が楽になって、空気が抜ける音がした。
僕は、自分に寄り添ってくれる人に対して、感謝をすることは出来ると思う。卑下よりも傲慢よりも慢心よりも感謝を先にすることにした。言われたことは素直に認めて、ありがとうを言いたい。
人生の高い場所はどこまでだっていける。これも上限はない。ただ、浮かび上がったような高い場所はぐらぐらしてて危ない。そこに皆がいられる領域はないと思う。だから、ちゃんといつかは、下山しないといけないと思う。
僕が苦しくなったのは、地平に立つかけがえのない自分と位置エネルギーを考えたときの大きくなった影の自分の差だと思う。
そんな単純な事実に気づけなかった。これからも僕は、素直に優しく感謝を述べて生きていく。
いつもありがとう。を今日会う人に言いたい!
煙
🌟今日の一曲 go!go!vanillas - ラッキースター
⭐️前回のエッセイ
よかったらコーヒーでも奢って下さい。