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七月も半ば、朝はあんなに涼しかったのにすっかり風は生温くなっていた。
次このカフェに来る時は、迷うことなく店内席を選ぶ暑さになっているに違いない。

ここから二本先に進んだ通りには格式高いホテルが建っている。
メトロの出口から出てきたあの着物姿の女の人も、きっと結婚式か披露宴に行くのだろう。横断歩道をこちらに渡ってオープンテラスの右手を通り過ぎて行った。
淡く青い花の簪を挿しているのが見えた。

あのさ、と声を掛けて正面に座る友人に視線を戻すと、真剣な表情で最後の一口のパスタをくるくるフォークに巻きつけていた。
視線だけで「なあに」と問い掛けてくるのでそのまま話を続ける。

「結婚するってどんな感じなんだろ」

テーブルに頬杖をついて言う。
色んな青が詰まったガラスドームのピアスが私の耳元でじゃら、と音を立てて揺れる。
口をもぐもぐさせる彼女の眉間に皺が寄った。
何をまた急に言い出すんだ、という顔だ。

「それを未婚の人間に言うかな!」
「好きだから付き合いたいと思うのか、付き合いたいと思うから好きになるのか」
「………なんとまあそれは深淵(しんえん)なテーマなことで」
「結婚はお付き合いの延長線上でしょ。じゃあスタートってどこにあるんだろうなって」

長い溜息が返事の代わりに返ってくる。
右手の人差し指でコツコツとテーブルを鳴らす度、三つに連なった華奢な星が彼女の耳でちりちりと小刻みに震えている。
私のピアスに比べて、彼女のものは至ってシンプルなデザインだ。
隠れることも自己主張しすぎることもなく、程良く彼女を引き立たせている。
のだが、この友人、怒らせると怖いのだ。
また眉間の皺が増えた。これはまずい。

「一体どこの誰に何吹き込まれたの」
「えーっと、」
「らしくないことばっかり言って」
「そう、かな」
「どうせ『結婚しないと幸せになれない』だとか、『独りの人は可哀想』だとか、そんなこと言われたんでしょ」

図星だった。
私の表情から正解なのを見て取ったのか、また大きな溜息を吐かれた。
もわりとした生温い風が私達をほんの少しの間包んで、そして消えた。
華奢な星が揺れるのがスローモーションに見えた。
この拗らせ女子め。
小さく呟かれた声には気付かないふりをした。

残りの水を一気に飲み干した後、コップをテーブルに置く音が思いの外優しくて拍子抜けした。
たっぷり時間を掛けて吐き出した三回目の溜息に恐る恐る顔を上げると、彼女の顔は穏やかだった。
左手で自分の耳に触れながらこう言った。

「私だって人並みに結婚願望はあるし、機会があればそうなれたらいいと思うこともあるよ」

だけどね、そう言ってから彼女は眉をハの字にさせて笑った。

「未婚かつ恋人なしの私の持論で申し訳ないけど、幸せの尺度は結婚では測れない。そんでもって、叶えたい願いがあるのなら、うんうん唸って考えるよりも先にアクションを起こした方がよっぽど早い」

この流れ星を着ける度そう思ってるよ、私は。

両腕を腰にやって胸を張る友人は、なかなかに男前だったし、可愛らしかった。
自分のもやもやとしたものは、いつの間にかどこかへ行ってしまっていた。

私が迷っている時に手を引いてくれるこの友人が大好きだ。
まるで、暗い場所から明るい場所まで道を照らしてくれるみたいだと思う。

帰り掛けに「あ!」と言う彼女の声に振り返る。
結婚がどんな感じか真面目に聴きたいんだったら、キミんとこのおしどり夫婦に訊くのが一番だと思う、と真剣な顔をして言うので思わず笑ってしまった。
こんなに優しい友人がいるなんて、私は幸せ者だ。

今度実家に帰ったら、パティシエの父と母の馴れ初めを訊いてみようか。
どうせ砂糖が吐けそうな話ばかりされるんだろうけど。

アクセサリー作家:Orion
『ひかりのみち』

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