「チャイナのアラビア語人材」話から思ったこと

チャイナのアラビア語人材。

対中東外交で話題のチャイナ、今の国際情勢におけるチャイナの外交戦略がどうの、といったゲームプレイベースの話ではなく、どうしてそんな立ち回りができるのか、というケーパビリティベースの話について。

ケーパビリティのひとつとして、北京外国語大学を中心として語学エリート人材の入試段階で、「一帯一路」沿線国家公用言語専攻は、一般入試成績だけでなく「言語文化能力」も加味考慮されるようになっている、と。
ここからチャイナの対中東外交での底力が見えるのかもしれぬ。(中東だけではないが)

例えばアラビア語エリート人材は当局人材プールとして、外交部入省公務員だけでなく、民間でも党務を依頼するエージェントとして活用できる(統一戦線工作部が主体かどうかはさておき)。
今のところは、毎年チャイナで生産されるアラビア語人材資源は1000~1500名らしい。
数十年前はどうだったのか調べてないけど、計算を単純化してみるとして、仮に当局が直接ないし間接コントロールできる人材が僅か10%だとしても、毎年100名以上、40年間現役世代として4000名がトラック1と1.5外交で当局の手足として安定利用できるわけか。(日本だと…)

いざとなれば、対外工作も圧倒的な物量作戦を展開できるところが、チャイナさん強い、というか脅威、というかチート技レベル。ずるい。

ここで言う「言語文化能力」が何を指すのか私にはいまひとつ理解しきれていませんが(中東を含む「一帯一路」沿線 諸外国の言語能力のこと?)、

日本という国は、安心・安全・安定が大切な国民性で、そのため、たった一つの絶対的な安心を求めるところがあり、それが「銀の弾」や「聖杯」「鉄板」を求める動きとなります。一択癖があるということです。
あとは、選択や決断を嫌うところもあるので、横並びとなります。
これらの結果として、日本人の優秀な人が選択する言語となれば、
英語が「聖杯」となり、それ一択となり、横並びで皆が選ぶので、英語に偏りがちとなります。
それと、未知を嫌う傾向もあります。ですので、よく知らない外国語について学ぼうとする人は少なくなります。

ロシア語通訳の米原万里さんが、そのエッセイの中で、日本の英語集中に関して書いています。
日本は世界につながる言葉の道が英語に集中されている。
他の国は、いくつもの道があって、それがネットワークになっている。
そのような意味のことが書かれています。


戦略が可能になるのはそもそも「手足や目や頭」となる組織と人がいるから。これは本当に重要で、中国はアラビア語やって中東やって仕事がある、一定数確実にエリートとして選抜される。人材育成してプールしておいて政策に必要になったら駆り出す。これ日本と極端に違う。

「戦略」という言葉に反応して書くなら、
日本に戦略はありません。

自ら未知と混沌に対峙することを嫌がり、判断・決断・責任を回避する日本という国に戦略はありません。

思考停止な日本はコピペ可能な正解を欲します。
それで例えば戦略であっても、まるまま正解をコピペしてきます。
コピペしてきて、判断・決断・責任を回避したまま、柔軟な対応も取れずに、どこかにぶつかるまで、それで運用していきます。

日本にあるのは、固定してものを実行するという意味での「戦術」だけです。

また、ストレスがかかるほど安心・安全・安定が大切な日本人は、今だけの安心・安全・安定を求めて、将来における混沌や未知から目をそむけようとします。

確定してもいない未来に向けた戦略を語っても、日本人には受けないでしょう。

北朝鮮からミサイルを見ていて思うのですが、ミサイルが来たときだけ大騒ぎして、ミサイルが来なかったら静かになって。
基本、日本人は混沌が嫌いなのです。だから、混沌が来たときだけ大騒ぎして、混沌が来なければ、それを話題にもしたくないわけです。
混沌が嫌いであれば戦略の立てようもありません。


2023/03/17追記
少し思ったことを追記します。
今、日本における移民の数は多くなってきています。それにともない日本の学校に通う外国人子女もそれなりにいるようです。
日本の政府なり官僚は、そういった日本の文化も理解していて、他の文化も理解している文化の橋渡し役となりえる人材を、積極的に活用する戦略を立てているのでしょうか?
そういった外国人子女の中から見込みのある人物を積極的に(金銭面、学業面で)支援しているのでしょうか?
将来、国家間を結ぶエージェントなり、日本の公務員になって外交に関わるなり、そういった構想を考えているのでしょうか?

なんてことを思いました。

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