「コピーが可能かどうかだけを見て」「応用力が低すぎる」から

話題だったので見たツイート

以下の部分が目に止まりました。

こう言うと「外国のものをむやみに取り入れるのは良くない」という内容で罵倒されたりしますけれど、そんな事は大前提で、そもそも「それは日本では無理」と、コピーが可能かどうかだけを見て具体例を切り捨てて賢いつもりという応用力が低すぎる事が昨今のいじめ問題の深刻化に繋がっていると思う。


「コピーが可能かどうかだけを見て」
「応用力が低すぎる」

これを読んで、ああなるほど、と思いました。

なにか丸ごとコピーしてくることならできるのだけども、
応用することができない。
自分自身で変化させられない。踏襲は得意だけども、変化は(日本人の苦手な)判断が必要ですから。

表層に現れているもののコピーならできる。
でも、
その根っこにあるものをみ取って、独自に展開することはできない。

ああ、そういうことなんですね。

ロシア語通訳の米原万里さんが、本の中で紹介していた、
モスクワ大学の経済学部長のヴィハンスキー氏が、
「日本の学者は学者ではない」、なぜなら「該博だが、知識が羅列になっている。学者の仕事は知識を自分なりに整理して、いまの世の中における混乱の原因を突きとめることだが、羅列ではさらに混乱するだけだ」
という話も、これと同じですね。

コピーはできるけど、応用力が無いから、知識の羅列のみになっている。
今ある出来事(や話題)に沿って、応用して使えないというわけですか。

だから、具体例や応用例といっても、どこかで聞いたようなこと(誰かがすでに言ったこと)の焼き直しになっているんだ。

前回言ったことに関連させると、
海外ですでに肉付けされたものをコピーしてきて、それで済ませようとしている。
その骨格を見極められないし、たとえ骨格を示されても肉付けができない。現実に合わせた応用や変更ができない。

・・・ということなのでしょうかね。

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