『カンニングの高2死亡「指導が原因」 両親が学校側提訴へ』
生徒が遺書に「このまま周りからひきょう者と思われながら生きていく方が怖くなってきました」と書いているのに因果関係を否定してもね。
それがすべてでしょうに。
話は飛んで、だとすると、
「セクシー田中さん」問題で、たとえ小学館が第三者委員会をもうけて
その調査の中で、原作者・芦原さんの遺書に何か書いてあっても、その遺書から小学館側の叱責が想像されても
「今まで小学館は複数の漫画家を叱責してきたが、それらの漫画家は今でも創作活動をしている。叱責をもって自殺に追い込んだとまでは言い難い」となってしまうでしょうね。
遺書に書いてあることが、自殺した人にとっての全てだと見ることはできないのでしょうかね。
話戻って子供のカンニングで、以下の話を思い出しました
『旅館に泊まって楽しく帰宅した後、息子が「勿体無いから持って帰ってきたわ〜」と明らかに使い捨てじゃない備品を出してきた話』
親に分別があっても子供がそうとは限らないという お話で、かつ、親が子に「何が良くて何がダメなのか、分別のつく大人に育って欲しい」「被害にあった人の損害や気持ちを想像できる人になって欲しい」と願い奮闘する お話でもあります。
もとの話では、子供を育てる場としての学校で、その目標を見失ってはいなかったか振り返ってみる必要を私は感じたのですが、大きく権力を持った者に反省を求める難しさを感じもします。
夫婦漫才、宮川大助・花子の花子さんが以前「大人になったら しかってくれる人がいなくなる」と言っていましたが、大人になって権力を持った者をしかる大変さを思います。