本件と関係ないけど、それなら小学館がたとえ第三者委員会を設置しても芦原さん自殺は関係無いとするよね

『カンニングの高2死亡「指導が原因」 両親が学校側提訴へ』

進学校で知られる私立清風高校(大阪市天王寺区)の男子生徒(当時17歳)が試験でのカンニング後に自殺したのは、教師らの不適切な指導が原因だとして、両親が近く、学校側に計約1億円の損害賠償を求める訴えを大阪地裁に起こす。

訴状によると、高2の生徒は2021年12月、倫理・政経の期末試験でカンニングをしているのが監督官に見つかった。別室で複数の教師に叱責され、
全科目0点▽自宅謹慎8日間▽写経80枚▽反省文の作成――といった処分を受けた。
生徒は2日後、自宅近くで倒れているのが見つかり、死亡が確認された。遺書には「このまま周りからひきょう者と思われながら生きていく方が怖くなってきました」とつづられていた。

両親側は、カンニングがルール違反であり学校の指導と叱責を受けるのは当然としつつ、副校長が日ごろから朝礼で「カンニングはひきょう者がすることだ」と訓話していたと指摘。カンニング発覚後の別室でも、生徒がその場で書いた反省文を見た別の教員が「ひきょう者」の訓話を持ち出し、必要があれば加筆するよう促していたなどとして(略)

一方、学校側が設置した第三者委員会は、指導と自殺との因果関係を否定している。

第三者委は報告書で「ひきょう者という言葉は自死に一定影響した」としつつ、同じ訓話を聞いてカンニングをした複数の生徒が謹慎処分後に復学しているなどとして「自殺に追い込んだとまでは言い難い」と結論付けた。

生徒が遺書に「このまま周りからひきょう者と思われながら生きていく方が怖くなってきました」と書いているのに因果関係を否定してもね。
それがすべてでしょうに。


話は飛んで、だとすると、
「セクシー田中さん」問題で、たとえ小学館が第三者委員会をもうけて
その調査の中で、原作者・芦原さんの遺書に何か書いてあっても、その遺書から小学館側の叱責が想像されても
「今まで小学館は複数の漫画家を叱責してきたが、それらの漫画家は今でも創作活動をしている。叱責をもって自殺に追い込んだとまでは言い難い」となってしまうでしょうね。

遺書に書いてあることが、自殺した人にとっての全てだと見ることはできないのでしょうかね。


話戻って子供のカンニングで、以下の話を思い出しました
『旅館に泊まって楽しく帰宅した後、息子が「勿体無いから持って帰ってきたわ〜」と明らかに使い捨てじゃない備品を出してきた話』

旅館に泊まって楽しく帰宅した後、息子が「勿体無いから持って帰ってきたわ〜」と使わなかったお茶やらシャワーキャップやらを自分の鞄から出してきた。そっから更に歯磨き用コップが二個(明らかに使い捨てじゃない)。「これも捨てられちゃうんでしょう?勿体無いよ」と悪気ない息子。→

私はビックリ。何がどう悪いのか息子に説明し、その場で旅館に電話。説明して謝罪した。旅館側は「よくあることだし大丈夫ですよ」と優しく言ってくれたが、子供の教育に良くないので郵送します、と返答した。 息子と一緒に大事に梱包して「ごめんなさい」とお手紙を書き、二人で郵便局へ。→

郵送料金がいくらかかるのかも教えた。 それからしばらくして、その旅館から息子の名前宛に郵便物が届いた。「わざわざお手紙ありがとう。またぜひ〇〇まで遊びにきてください」と手書きお返事とご当地キーホルダーが添えてあった。 息子は大喜び。 罪の気持ちを持って生活していくよりも素直に→

謝ってスッキリした気持ちで生活していって欲しい。 何が良くて何がダメなのか、分別のつく大人に育って欲しい。 被害にあった人の損害や気持ちを想像できる人になって欲しい。 …親の願いはたくさんあるね。難しいけど、これからも「お母さん」がんばります。

親に分別があっても子供がそうとは限らないという お話で、かつ、親が子に「何が良くて何がダメなのか、分別のつく大人に育って欲しい」「被害にあった人の損害や気持ちを想像できる人になって欲しい」と願い奮闘する お話でもあります。

もとの話では、子供を育てる場としての学校で、その目標を見失ってはいなかったか振り返ってみる必要を私は感じたのですが、大きく権力を持った者に反省を求める難しさを感じもします。

夫婦漫才、宮川大助・花子の花子さんが以前「大人になったら しかってくれる人がいなくなる」と言っていましたが、大人になって権力を持った者をしかる大変さを思います。



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