日本人の幸福って

日本人の幸福って、苦労しながら自分主体の人生を生きることではなくて、難しいことを考える必要はなく衣食住には困らず適度に休みもあって、さらに身近に自分より恵まれている人がいないこと。

「ホワイト奴隷」みたいのが一番幸せな形態なんだと思う。


うん。そう思う(奴隷という表現が物議をかもしそうではあるけれど、言いたいことは分かる)。
特に、現在のように、変化の時代で、頑張りが結果に結びつくとも限らない時代だとそうなると思う。要は無難に生きていたいということ。
これが、高度成長期で、頑張りが評価や結果に結びついた時代なら、休みが無くても「エコノミック・アニマル」と呼ばれるくらいに働きもすれど、今は右肩上がりの時代でも無いし、苦労してもその先に明るい未来は感じられないから、そこそこを求める傾向が出ていると思う。

「適度な休み」を抜かせば、高度成長期でさえ「自分主体の人生を生きる」なんてしていなかったと思う。世間もそれに価値を置いていなかったと思う。


内田樹の文を思い出しもする。

 ふたりで六畳一間のアパートに住み、発泡酒を呑みながらTVでサッカーを見て、たまの休みの日には甲子園球場の外野席で阪神戦を見て、帰りにラーメン屋に寄るだけで「ほっこりしあわせ」というような感受性が若い人たちのあいだに根づきつつある。


ある意味、背伸びをしなくてもいい時代ではある。
こんな時代に、メディアが消費をあおっても、皆疲弊しているようにも思う。


日本人は、先頭を嫌がるので、ほどほどの中間を求めるところがある。ちなみに末端も不安を感じるので嫌がる。
真ん中がいいのだ。
昔あった「一億総中流」は、日本人の理想だったのかも知れない。
皆で仲良く、「一億総中流」かつ「高度成長」が日本の黄金期だった。

「身近に自分より恵まれている人がいないこと」も重要である。
日本人は周りを見て、自分を確認するところがあるからそうなる。
だから、年功序列(もしくは皆一律に適用されるルール)が日本人には向いているのだと思う。
年功序列であれば、身近に自分より恵まれている人がいても、それは年上なので、将来的には自分もそこへ行けるという夢が持てる。


ここでもう一度先ほどの引用文を見て見たい。


日本人の幸福って、苦労しながら自分主体の人生を生きることではなくて、難しいことを考える必要はなく衣食住には困らず適度に休みもあって、さらに身近に自分より恵まれている人がいないこと。

「ホワイト奴隷」みたいのが一番幸せな形態なんだと思う。


これを読んでいると、ベーシックインカム(最低生活保障)を実施した場合、そのぬるま湯から抜け出さない人が多く出て来そうに思う。

ただし視線を世界に転じて、他所の国の活況を見ると、その恵まれっぷりにざわざわと落ち着かない気持ちにはなるだろう。
まだまだ日本は豊かな国だけど、停滞が長く続き、回復を感じられないから、過去と比べたとき、または回復している他国と比べたときに幸福感は薄くなる。

日本人の価値観は、周りの影響を受けて変わる傾向がある。
だから、引用した幸福感が、数年後にも同じとは限らないが、
現在の日本人を表していると思ったので感想がてら文章を書いてみた。

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