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裁判官はAIよりも低能なのか:AIを活用しての熊本地方裁判所令和4年(行ク)第5号事件(裁判官:中辻雄一朗、佐藤丈宜、新田紗紀)の検証

はじめに

「逃げるな卑怯者!」
「貴様! 逃げるな! 責任から逃げるな!」
(竈門炭治郎)

 上記のセリフから筆者が連想したのが裁判官である中辻雄一朗、佐藤丈宜、新田紗紀であった。当然、裁判官らが自らの責任から逃げることは国民にとっての不利益であり、司法の腐敗を示すものでもあるし、裁判官らが自らのまともさの欠如を自己紹介する行為ともいえるだろう。
 さて、裁判官にまともな判断力はあるのだろうか。あるいは、まともな判断力はあるにしても良心が腐っており、故意に不当な判断をするということはありえるだろうか。
 本書では裁判官である中辻雄一朗、佐藤丈宜、新田紗紀による熊本地方裁判所令和4年(行ク)第5号文書提出命令申立事件(令和4年12月14日決定)での判示を通して、その内容や、そこから読み取れる裁判官らのまともさについて検証する。仮に裁判官らが故意にまともさに欠いた判断をしているとすれば、それは低能や、卑怯者による責任を放棄した態度とも言えるだろう。

 ところで、人工知能チャットサービスであるBardの回答を2つ紹介する。

Tips_1(Bard)
問:
 民事訴訟法第253条第1項3号で、判決文に理由を記載することが規定されていることの立法趣旨は何か。

回答:
 民事訴訟法第253条第1項3号で、判決文に理由を記載することが規定されていることの立法趣旨は、裁判所の判断が合理的で公正なものであることを担保するためです。判決文に理由が記載されていることで、当事者は裁判所の判断がどのような根拠に基づいてなされたのかを理解することができます。また、裁判所の判断が公正であるかどうかを検証することもできます。
 判決文に理由を記載することは、裁判所の透明性を高め、司法に対する国民の信頼を醸成することにもつながります。

Tips_2(Bard)
問:
 裁判官が不当な動機で判断の理由提示義務を適切に果たしていない場合、考えられる動機を15以上あげよ。
回答:
 裁判官が不当な動機で判断の理由提示義務を適切に果たしていない場合、考えられることは次のとおりです。

  1. 自分の意見を支持するために、法律を曲げる。

  2. 自分の立場を正当化するために、証拠を歪曲する。

  3. 特定の当事者に有利または不利になるように結果を操作する。

  4. 訴訟を遅らせたり、コストを上げたりする。

  5. 決定を不透明にして、異議申し立てや上訴を困難にする。

  6. 決定の正当性について質問を避ける。

  7. 決定に対する責任を回避する。

  8. 裁判所の評判を傷つけないようにする。

  9. 政治的圧力に屈する。

  10. 個人的な偏見に屈する。

  11. 自分の不当な行動を隠す。

  12. 自分の不能力を隠す。

  13. 自分の怠惰を隠す。

  14. 自分の無知を隠す。

  15. 自分の不正直さを隠す。

 これらの動機はすべて、裁判官が判断の理由提示義務を果たさないことによって、決定を正当化したり、異議申し立てや上訴を困難にしたりするのに役立ちます。

 Bardにはユーモアのセンスがあるようで、裁判官が不当な動機で判断の理由提示義務を適切に果たさないことは、裁判当事者の上訴を困難にする等の不正に「役立ちます」との表現を使っている。なんとも皮肉な表現である。
 このように裁判官が適切に判断の理由を判示していない場合、そこには何らかの不当な動機があることが考えられる。判例集などでは裁判結果を知ることができるが、そこでは裁判官が判示したものでしか当事者の主張が記載されていないため、恣意的判断をしたい裁判官には都合が悪い当事者の主張立証は隠蔽された可能性も否定できない。その裁判例に解説がついていたとしても、裁判当事者の提出書面を全て確認し、裁判当事者の主張に対して裁判官が遺漏なく判断を示しているかを検証しているものはほとんどないのではないだろうか。
 ちょっと想像してみよう。結果に重大な影響を及ぼす当事者の主張立証について、裁判官が無視していたら、まともな判断といえるだろうか。しかも、その主張立証の存在自体を無視して存在していなかったかのような判示の場合、その裁判官の能力以前に、その人格自体がまともなものであるといえるだろうか。裁判官が故意に重要な主張立証を無視していた場合、その裁判官は故意に不当判決をしたということなのだから、その悪質性は顕著である。
 これについても、中辻雄一朗、佐藤丈宜、新田紗紀が結果に重大な影響を与える主張立証を無視した判示をしていないかを検証するため、一方当事者の主張を付録で記載して判示の内容と比較可能にすることで、中辻雄一朗、佐藤丈宜、新田紗紀の判示がまともなものであるかについても検証する。

 裁判官らが腐っている場合、それを本書で指摘したとしても腐りきった人格が改善するとは想定し難い。しかし裁判官らの実情を記録として残していくことには歴史的価値が出てくるかもしれない。また、本書を読んで「やはり裁判官は腐っているな」と思う者がいれば、それが司法を改善するきっかけにもなることもあるだろう。

 本書はBardやChatGPTといったAIによる回答を引用することで、中辻雄一朗、佐藤丈宜、新田紗紀がまともな合理的理由を判示できているのか、むしろ3人揃っていてもAIに劣った能力しかないのかについても検証しやすいようにしている。裁判官だからといって完璧ではないように、AIの回答も完璧ではないが、それぞれを比較することで少なくともどちらのほうがましなのかを比較することはできるだろう。

第1 事件の概要
1 DV等支援措置制度
 本書でまな板に上げるのは文書提出命令申立事件であるが、これには元となる基本事件があり、それは二男の戸籍附票の交付を熊本市から拒否された原告が、その不交付の取消と損害賠償を請求したものである。
 この不交付について、熊本市はDV等支援措置制度を根拠にしたものだとしているので、まずはこの支援措置について、令和2年9月24日名古屋地方裁判所判決の判決から引用することで説明する。

【支援措置制度の内容は、次のとおりである。
  ア 制度の目的
 DV等の加害者が、住民基本台帳の一部の写しの閲覧及び住民票の写し等の交付並びに戸籍の附票の写しの交付(以下「住民基本台帳の閲覧等」という。)の制度を不当に利用して被害者の住所を探索することを防止し、もってDV等の被害者の保護を図る。
  イ 支援の必要性の要件
  (ア)申出者が配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護等に関する法律第1条第2項に規定する被害者であること
  (イ)申出者が、加害者からの更なる暴力により生命又は身体に危害を受けるおそれがあること
  (ウ)加害者が、被害者の住所を探索する目的で、住民基本台帳の閲覧等を行うおそれがあること
  ウ 支援の必要性の確認
 申出を受けた市町村長は、支援の必要性があるかについて、警察等の意見を聴き、確認する。警察等の意見を聴く以外の適切な方法がある場合には、その方法による確認をする。
  エ 支援措置の内容
 DVの加害者から、DV被害者に係る住民基本台帳の閲覧等の請求・申出がされた場合、不当な目的によるものとして閲覧・交付を制限(拒否する)措置が講じられる。ただし、不当な目的によるものでないこととされた請求まで拒否するものではない。
  オ 支援措置の期間
 1年間
  カ 支援措置の延長
 支援措置の期間満了の1か月前から、支援措置の延長の申出があった場合には、支援措置の申出と同様に処理される。
  キ 支援措置の終了
  (ア)支援対象者から支援の終了を求める旨の申出を受けたとき
  (イ)支援措置の期間を経過し、延長がされなかったとき。
  (ウ)その他市町村長が支援の必要がなくなったと認めるとき】

 これが支援措置制度の概要である。ちなみに上記の判決では、支援措置の要件を欠く支援措置の申出をしたことを不法行為として、支援措置の申出者に損害賠償を命じており、このことは控訴審でも維持されている。
 つまり、支援措置の必要性の要件を満たしていない支援措置決定は違法であり、損害賠償の対象にもなりうるということである。

2 文書提出命令
 次に文書提出命令申立についてであるが、この申し立ての根拠は民事訴訟法の以下の条文である。

「219条 書証の申出は、文書を提出し、又は文書の所持者にその提出を命ずることを申し立ててしなければならない。」

 なぜこのような申し立てが法律で認められているかといえば、たとえば医療事故に関する事件で、訴えられた病院側がカルテを開示しなければ、訴えた側は裁判活動に著しい制限を受けることになる。このような裁判当事者間の情報の不平等により裁判での適切な攻撃防御の権利が妨げられないため、文書提出命令が法律で認められているのである。
 ただし、文書提出を拒むことができない場合や、逆に文書提出が認められない場合については、次のように民事訴訟法で規定されている。

「220条 次に掲げる場合には、文書の所持者は、その提出を拒むことができない。
 一 当事者が訴訟において引用した文書を自ら所持するとき。
 二 挙証者が文書の所持者に対しその引渡し又は閲覧を求めることができるとき。
 三 文書が挙証者の利益のために作成され、又は挙証者と文書の所持者との間の法律関係について作成されたとき。
 四 前三号に掲げる場合のほか、文書が次に掲げるもののいずれにも該当しないとき。
  イ 文書の所持者又は文書の所持者と第百九十六条各号に掲げる関係を有する者についての同条に規定する事項が記載されている文書
  ロ 公務員の職務上の秘密に関する文書でその提出により公共の利益を害し、又は公務の遂行に著しい支障を生ずるおそれがあるもの
  ハ 第百九十七条第一項第二号に規定する事実又は同項第三号に規定する事項で、黙秘の義務が免除されていないものが記載されている文書
  ニ 専ら文書の所持者の利用に供するための文書(国又は地方公共団体が所持する文書にあっては、公務員が組織的に用いるものを除く。)
  ホ 刑事事件に係る訴訟に関する書類若しくは少年の保護事件の記録又はこれらの事件において押収されている文書」

では、なぜ基本事件で文書提出命令の申し立てが必要になったのか。それは熊本市が支援措置決定の根拠となっている、支援措置を決定した当初受付市町村や当初受付市町村長を明らかにしていないからである。熊本市は当初受付市町村あるいは当初受付市町村長の名称を黒塗りにして、当初受付市町村長が支援措置決定を熊本市東区に送付してきたとする書面を提出しているが、当初受付市町村あるいは当初受付市町村長の名称が黒塗りのため、その文書が本当に当初受付市町村長が熊本市東区に送付したものであるのかを原告は確認することができていない。
 ちなみに、大阪高等裁判所平成10年10月21日決定(税務訴訟資料238号775頁)は、以下のように判示している。

 「民訴法二二〇条一号所定の当事者が訴訟において引用した文書とは、当事者が、口頭弁論や弁論準備手続、準備書面、書証の中で、立証又は主張の助け、裏付けもしくは明確化のために、その存在及び内容について、積極的に言及した文書をいう。
 当事者が訴訟において所持する文書を自己の主張の裏付けとして積極的に引用した以上、その文書を提出させて相手方の批判にさらすのが公正であり、当事者が当該文書の秘密保持の利益を積極的に放棄したものといえるから、引用文書について提出義務を認めたものである。」

 さて、熊本市は支援措置申出書の写しが当初受付市町村長から転送されたものだと主張している以上、その支援措置申出書の写しが真に当初受付市町村長から転送されたものであるかについて、原告の批判にさらすのが公正であるのだから、当初受付市町村あるいは当初受付市町村長の名称が黒塗りされていない支援措置申出書の写しが民訴法二二〇条一号所定の「訴訟において引用した文書」に該当することに疑いの余地はない。
 要するに本件事件は、民訴法220条の各項目に該当するかが争点であり、本書では担当裁判官である中辻雄一朗、佐藤丈宜、新田紗紀がこれらに関する当事者の主張立証に対して、合理的でまともな判断ができていたのかについて検証していく。

Tips_3(Bard)
問:
 民事訴訟法219条「書証の申出は、文書を提出し、又は文書の所持者にその提出を命ずることを申し立ててしなければならない。」の立法趣旨は何か。

回答:
 民事訴訟法219条は、書証の申出として、文書を裁判所に提出するか、または、文書の所持者にその提出を命ずるように申し立てて行うことを定めています。この条文の立法趣旨は、次のとおりです。

当事者が自ら文書を提出することによって、文書の真実性や信頼性を担保する。
文書の所持者に文書の提出を命ずることによって、当事者が文書を入手しやすくする。
裁判所が適切に文書を評価し、迅速かつ公正な裁判を行うことができるようにする。

 この条文は、当事者の権利を保護し、裁判の公正を確保するために重要な役割を果たしています。

第2 中辻雄一朗、佐藤丈宜、新田紗紀による判断の要旨
 詳しくは本書後尾に付録した実際の決定文を確認してもらうとして、ここでは中辻雄一朗、佐藤丈宜、新田紗紀による判示の要旨をあげる。中辻雄一朗、佐藤丈宜、新田紗紀が本件申し立てを棄却するべきとした主な理由は以下のとおりである。

 民訴法220条1号について
 相手方は、被告Aへの支援措置決定をした当初受付市町村から支援措置申出書の送付を受けて住民基本台帳事務処理要領に基づき本件処分を行ったという事実の裏付けとして、その文書の作成者がマスキングされた本件各文書を提出しているに過ぎず、その文書の作成者は上記相手方の主張の裏付けとされていないのであるから、同部分が引用文書に当たるとは認められない。したがって、本件各文書の作成者がマスキングされている部分は、民訴法220条1号に該当しない。

 民訴法220条2号について
 仮に本件マスキング部分が開示されることになると、被告Aの住居が申立人に推知される可能性があるほか、申立人と被告Aとの間には両名の子らを巡る深刻な対立関係が存在していたことが窺われることに照らすと、本件マスキング部分は熊本市情報公開条例7条(4)の定める「公共の安全及び秩序の維持に支障が生ずるおそれがある情報」に該当するものと考えられる。したがって、本件マスキング部分を含む本件各文書は、民訴法220条2号に該当しない。

 民訴法220条4号ロについて
 民訴法220条3号後段(法律関係文書)は、同条4号ロに該当する場合には同条3号に基づく提出義務は認められないと解されるから、本件においては同条4号ロ該当性を争点とすれば足りるものと考えられる。
 支援措置の申出に際して記載が求められる申出者の記載事項のうち直接的に申出者である被告Aの住所を推知させる事項については外部への開示がおよそ想定されていない性質のものであり、これらを開示した場合には申出者である被告Aの信頼を侵害し、今後の支援措置の申出に対する委縮効果を生ずる等の悪影響が想定されるから支援措置という公務の遂行に著しい支障を生ずる具体的なおそれがあることは明らかである。
また、被告Aが基本事件において当初受付市町村名については被告Aの住所を推知させる情報となり得るため明らかにできないと主張していることに加え、基本事件の一件記録によれば、申立人と被告Aとの間には両名の子らを巡る深刻な対立関係が存在していたことが窺われることを併せ考慮すると、本件マスキング部分を含む本件各文書を開示した場合には、申出者である被告Aの当初受付市町村や当初受付市町村からの支援措置に係る情報の転送先である相手方との間の信頼関係が損なわれることになり、支援措置という公務の遂行に著しい支障になる具体的なおそれが存在するものと認められる。したがって、本件マスキング部分を含む本件各文書は、民訴法220条4号口の除外事由に該当するというべきである。

1 民訴法220条1号について
 では、中辻雄一朗、佐藤丈宜、新田紗紀の判断がまともであるかの検証していこう。民訴法220条1号は文書の所持者が文書提出を拒むことができない場合として、「当事者が訴訟において引用した文書を自ら所持するとき。」と定めている。
 まず、熊本市(相手方)は書面において以下の主張をしている。

 被告熊本市第2準備書面1頁
「当初受付市町村長は、本件について支援措置の必要性があることを確認し、支援措置申出書の写しを熊本市東区長に転送した。」

 被告熊本市第3準備書面1頁
「令和2年11月11日に当初受付市町村長から東区に届いた書面は、次の4点である。
東区長宛ての「住民基本台帳事務における支援措置申出書の送付について(依頼)」と題する書面(乙C第7号証)
当初受付市町村長宛ての「住民基本台帳事務における支援措置申出書」(乙C第8号証)
来所相談証明書(乙C第9号証)
支援措置申出者の運転免許証のコピー。これは書証として提出していない。
 熊本市東区長は、上記4点の書面をもとに、令和2年11月11日付けで支援措置の開始を決定した。」

 このように、熊本市は支援措置申出書の写しについて積極的に言及しており、また、それが当初受付市町村長が熊本市東区長に転送したものであることも積極的に言及している。
次に、大阪高等裁判所平成10年10月21日決定(税務訴訟資料238号775頁)は、以下のように判示している。

「 民訴法二二〇条一号所定の当事者が訴訟において引用した文書とは、当事者が、口頭弁論や弁論準備手続、準備書面、書証の中で、立証又は主張の助け、裏付けもしくは明確化のために、その存在及び内容について、積極的に言及した文書をいう。
 当事者が訴訟において所持する文書を自己の主張の裏付けとして積極的に引用した以上、その文書を提出させて相手方の批判にさらすのが公正であり、当事者が当該文書の秘密保持の利益を積極的に放棄したものといえるから、引用文書について提出義務を認めたものである。」

 さて、上記裁判例に鑑みれば、熊本市が支援措置申出書の写しについて当初受付市町村長から転送されたものだと積極的に主張している以上、その支援措置申出書の写しが真に当初受付市町村長から転送されたものであるかについて、申立人の批判にさらさなければ公正な裁判は担保できない。そのため、当該文書(支援措置申出書の転送元について申立人の批判にさらすことができるマスキング部分)が民訴法二二〇条一号所定の「訴訟において引用した文書」であるのは明らかである。
 では、これについて中辻雄一朗、佐藤丈宜、新田紗紀はどのような判断をしているだろうか。正確に引用しておこう。

相手方は、被告Aへの支援措置決定をした当初受付市町村から支援措置申出書の送付を受けて住民基本台帳事務処理要領に基づき本件処分を行ったという事実の裏付けとして本件マスキング部分を除いた本件各文書を乙AC7ないし10号証として提出しているに過ぎず、本件マスキング部分は上記相手方の主張の裏付けとされていないのであるから、同部分が引用文書に当たるとは認められない。したがって、本件マスキング部分を含む本件各文書は、民訴法220条1号に該当しないというべきである。」

 このような中辻雄一朗、佐藤丈宜、新田紗紀の判断は、証拠の扱いに関するまともな理解力に欠けているか、理解した上で故意に論点をずらして不当な判断をしている悪質なものだと解するのが妥当ではないだろうか。
 熊本市の主張は、①「当初受付市町村長」が、②「熊本市東区」に、③「支援措置申出書の送付をした」との3つの内容で構成されている。しかし乙C7~10号証は当初受付市町村名あるいは当初受付市町村長名が記載されていると思われる部分がマスキングされているため、熊本市が主張の中で引用した上記文書が真に当初受付市町村長から送付されたものであるかについて、乙C7~10号証は裏付けることができていない。
 繰り返すが、熊本市は乙C7~10号証がどこの市町村長から送付されてきたものかが不明としているのではない。熊本市はこれらの文書が「令和2年11月11日に当初受付市町村長から東区に届いた書面」だと明確に主張しているのだから、裁判の公正な適正手続のためには、熊本市がこれらの書面を当初受付市町村長から送付されたと判断した根拠について申立人にも検討と反論の機会を与える必要があるのは当然のことであり、それが民訴法220条1号の立法趣旨にも適う判断となる。
 ちなみに、中辻雄一朗、佐藤丈宜、新田紗紀は民訴法223条6項に基づくインカメラ手続きで、乙C7~10号証のマスキング部分に記載された当初受付市区町村名あるいは当初受付市町村長名を確認したようだが、そのような手続きでは文書の作成者が当初受付市区町村であるとの裏付けまでは確認できない。仮に乙C7~10号証のマスキング部分に市町村名や市町村長名が記載されていたとしても、その記載をしたのが当初受付市町村ではなく熊本市による捏造である可能性は否定されないし、マスキングがされているためにその部分の記載に不自然な点がないかの確認を申立人がすることもできていない。
 そもそも、裁判官がインカメラ手続きで確認さえしたら、他方裁判当事者に対して当該文書の内容についての検討と反論の機会を与える必要がないとうことでは、裁判の公正性な手続きは担保されない。我が国の法体系が裁判官に対する無条件の信頼を国民に強要しているものでないことは、憲法82条で規定されている裁判の公開等でも明らかである。
 もう一度、中辻雄一朗、佐藤丈宜、新田紗紀の判示を見てみよう。熊本市が当初受付市町村長から支援措置申出書の送付を受けたと主張しているため、申立人はその主張の根拠となる書面の提出命令を求めたのである。それにもかかわらず中辻雄一朗、佐藤丈宜、新田紗紀は、

「相手方は、被告Aへの支援措置決定をした当初受付市町村から支援措置申出書の送付を受けて住民基本台帳事務処理要領に基づき本件処分を行ったという事実の裏付けとして本件マスキング部分を除いた本件各文書を乙AC7ないし10号証として提出しているに過ぎず、本件マスキング部分は上記相手方の主張の裏付けとされていないのであるから、同部分が引用文書に当たるとは認められない。」

としている。では、熊本市は何を根拠に、支援措置申出書の送付元が当初受付市町村長だと判断したのだろうか? 当然、それは該当文書に送付元が当初受付市町村長だと判断できる記載や押印等があったからである。つまり、熊本市が「被告Aへの支援措置決定をした当初受付市町村から支援措置申出書の送付を受け」たことを裏付けるには、その支援措置申出書を送付したのが真に当初受付市町村長であるかについて、申立人に検討と反論の機会を与える必要があるのだが、中辻雄一朗、佐藤丈宜、新田紗紀はこのことを理解する能力に欠けているのではないかとの疑念が生じる。
 しかし、さすがに中辻雄一朗、佐藤丈宜、新田紗紀が3人ともこの程度のことも理解できない低能揃いだったとは思えないので、やはり能力よりも故意に申立人の主張を歪めて不当な判断をしたという、この3人には倫理観の問題があると解するのが自然ではないだろうか。
 乙C7~10号証の作成者や熊本市東区への送付者が誰であるかは、熊本市が書面で引用している文書の成立の真正に直接的に関係することであり、熊本市は当初受付市町村長から送付された文書を引用することで、その文書の送付者が当初受付市町村長であることや、当初受付市町村が被告Aへの支援措置決定をしたとの主張をしているのだから、乙C7~10号証が当初受付市町村長から送付されたものだと熊本市が判断した根拠について、申立人にも確認や検討の機会を保障することは、裁判の公正な適正手続きにおいて必要不可欠である。

Tips_4(Bard)
問:
 民訴法220条1号「次に掲げる場合には、文書の所持者は、その提出を拒むことができない。 一 当事者が訴訟において引用した文書を自ら所持するとき。」の立法趣旨は何か。

回答:
 民訴法220条1号は、当事者が訴訟において引用した文書を自ら所持するときは、その提出を拒むことができないと規定しています。これは、当事者が訴訟において主張する事実を立証するために必要な文書を提出させるため、そして、公平な審理を実現するために必要な規定です。
 当事者が訴訟において主張する事実を立証するためには、証拠が必要です。証拠には、文書、物証、証人尋問など様々なものがありますが、文書は最も一般的で重要な証拠の一つです。当事者が訴訟において引用した文書は、当事者が主張する事実を立証するために最も重要な文書であることが多いため、その提出を拒むことは許されません。
 また、当事者が訴訟において引用した文書を提出させないことは、公平な審理を実現する上で不公平な結果を招く可能性があります。例えば、当事者が訴訟において主張する事実を立証するために必要な文書を提出させないことで、相手方当事者が反論する機会を奪うことになり、公平な審理が実現されません。
 そのため、民訴法220条1号は、当事者が訴訟において引用した文書を自ら所持するときは、その提出を拒むことができないと規定しています。これは、当事者が訴訟において主張する事実を立証させるため、そして、公平な審理を実現するために必要な規定です。

Tips_5(Bard)
問:
 裁判において、一方当事者が「当初受付市町村長は、本件について支援措置の必要性があることを確認し、支援措置申出書の写しを熊本市東区長に転送した。」と書面で主張し、かつ、その文書を所持している場合、当初受付市町村長が熊本市東区長に転送した文書は、民訴法220条1号の「当事者が訴訟において引用した文書を自ら所持するとき。」に該当するか。
 また、この文書の転送者が真に当初受付市町村長であることを確認できる文書も、民訴法220条1号の「当事者が訴訟において引用した文書を自ら所持するとき。」に該当するか。

回答:
 はい、当事者が訴訟において引用した文書を自ら所持するとき、および当事者が訴訟において引用した文書の転送者が真に当初受付市町村長であることを確認できる文書も、民訴法220条1号の「当事者が訴訟において引用した文書を自ら所持するとき。」に該当します。
 民訴法220条1号は、文書提出命令の申立てが認められる場合を規定しています。そのうちの1つが、当事者が訴訟において引用した文書を自ら所持するときです。ここでいう「文書」とは、物理的に存在する文書だけでなく、電子データを含む広義の意味で理解されます。
 したがって、当事者が「当初受付市町村長は、本件について支援措置の必要性があることを確認し、支援措置申出書の写しを熊本市東区長に転送した。」と書面で主張し、かつ、その文書を所持している場合、当初受付市町村長が熊本市東区長に転送した文書は、民訴法220条1号の「当事者が訴訟において引用した文書を自ら所持するとき。」に該当します。
 また、この文書の転送者が真に当初受付市町村長であることを確認できる文書も、民訴法220条1号の「当事者が訴訟において引用した文書を自ら所持するとき。」に該当します。なぜなら、この文書は、当初受付市町村長が熊本市東区長に転送した文書の転送者を特定する上で重要な証拠となるからです。

Tips_6(Bard)
問:
 裁判において、一方当事者が、
「令和2年11月11日に当初受付市町村長から東区に届いた書面は、次の4点である。
東区長宛ての「住民基本台帳事務における支援措置申出書の送付について(依頼)」と題する書面(乙C第7号証)
当初受付市町村長宛ての「住民基本台帳事務における支援措置申出書」(乙C第8号証)
来所相談証明書(乙C第9号証)
支援措置申出者の運転免許証のコピー。これは書証として提出していない。
 熊本市東区長は、上記4点の書面をもとに、令和2年11月11日付けで支援措置の開始を決定した。」
と書面で主張し、かつ、①~④の書面を所持している場合、当初受付市町村長が熊本市東区に送付した文書は、民訴法220条1号の「当事者が訴訟において引用した文書を自ら所持するとき。」に該当するか。
 また、これら文書の送付者が真に当初受付市町村長であることを確認できる文書も、民訴法220条1号の「当事者が訴訟において引用した文書を自ら所持するとき。」に該当するか。

回答:
 民訴法220条1号は、当事者が訴訟において引用した文書を自ら所持する場合、その文書の提出を拒むことができないと定めています。この条項は、当事者が訴訟において引用した文書を自ら所持している場合、相手方当事者に文書の内容を明らかにし、反論の機会を与えるために設けられています。
 本件において、一方当事者は、当初受付市町村長が熊本市東区に送付した文書を自ら所持していると主張しています。当事者が主張している文書は、①東区長宛ての「住民基本台帳事務における支援措置申出書の送付について(依頼)」と題する書面(乙C第7号証)、②当初受付市町村長宛ての「住民基本台帳事務における支援措置申出書」(乙C第8号証)、③来所相談証明書(乙C第9号証)です。これらの文書は、当初受付市町村長が熊本市東区に送付した文書であることが明らかであり、当事者が訴訟において引用した文書に該当します。したがって、当事者は、これらの文書を自ら所持している場合、民訴法220条1号に基づいて、これらの文書の提出を拒むことはできません。
 また、これらの文書の送付者が真に当初受付市町村長であることを確認できる文書も、民訴法220条1号に基づいて、これらの文書の提出を拒むことはできません。なぜなら、当事者が訴訟において引用した文書を自ら所持している場合、相手方当事者に文書の内容を明らかにし、反論の機会を与えるために、文書の送付者が真に当初受付市町村長であることを確認できる文書の提出も認められているからです。

Tips_7(Bard)
問:
 裁判において、一方当事者の主張の根拠となっている書証を他方当事者の批判にさらすことは、公正な裁判手続きにおいて必要か。

回答:
 はい、裁判において、一方当事者の主張の根拠となっている書証を他方当事者の批判にさらすことは、公正な裁判手続きにおいて必要です。これは、裁判は両当事者の主張を公平に審理し、真実を明らかにすることを目的とするものであり、そのためには、一方当事者の主張の根拠となる書証を他方当事者が検証する機会を与えることが重要だからです。
 書証を検証することで、他方当事者は、書証の作成者、作成日、内容などの真実性や信頼性を検証することができます。また、書証が裁判で認められるためには、裁判所がその真実性や信頼性を認めなければなりません。そのため、書証を検証することは、裁判所が書証を認めるかどうかを判断するためにも重要です。

Tips_8(ChatGPT)
問:
 裁判において、一方当事者の主張の根拠となっている書証を他方当事者の批判にさらすことなく、裁判所が判断の根拠として採用することは適切か。

回答:
 裁判において、公正かつ適正な判断を下すためには、双方の当事者に公平な機会が与えられることが重要です。一方当事者の主張の根拠となっている書証を他方当事者の批判にさらすことなく、裁判所が判断の根拠として採用することは、公平性の原則に反する可能性があります。
公平な裁判のためには、双方の当事者が自身の主張や証拠を提出し、相手方はそれに対して反論や批判を行う機会を持つことが必要です。裁判所は、双方の主張や証拠を綿密に審査し、公正な判断を下す責任を負っています。一方当事者の主張の根拠となる書証を他方当事者の批判にさらさずに採用することは、相手方の反論や批判の機会を奪うことになり、公平性や公正性が損なわれる可能性があります。
したがって、裁判所は双方の当事者に公平な機会を与えるため、一方当事者の主張の根拠となる書証を他方当事者の批判や反論の対象にすることが重要です。裁判所は公平な証拠手続きを確保し、双方の当事者が主張や証拠について十分に意見を述べられるように努めるべきです。これによって、裁判所が適切な根拠を持つ判断を下すことができます。

 民訴法220条2号について
 次に、民訴法220条2号について中辻雄一朗、佐藤丈宜、新田紗紀の判断がまともであるかの検証していこう。民訴法220条2号は文書の所持者が文書提出を拒むことができない場合として、「挙証者が文書の所持者に対しその引渡し又は閲覧を求めることができるとき。」と定めている。そして本申立に係る文書は、申立人が受けた本件不交付決定処分に関するものとして、熊本市情報公開条例によりその引渡し又は閲覧を求めることができるものである。よって、熊本市は本申立に係る文書の提出義務を負う。
 しかし中辻雄一朗、佐藤丈宜、新田紗紀は、以下の理由を挙げて民訴法220条2号に該当しないとしている。

 本件マスキング部分を開示されると被告Aの住所が申立人に推知される可能性がある。
 申立人と被告Aは子らを巡る深刻な対立があるから熊本市情報公開条例7条(4)の定める「公共の安全及び秩序の維持に支障が生ずるおそれがある情報」に該当する。

 まず、申立人は支援措置の必要性の要件を満たす加害者でないのだから、本来、申立人は二男の戸籍附票を取得することができ、それは結果的に二男と同居する被告Aの住所を知ることにもなるかもしれないが、申立人が二男の戸籍附票を取得することは、住民基本台帳法20条1項、および、同12条6項目の準用に基づく正当な権利である。そのため、申立人が支援措置の必要性の要件を満たす加害者でない以上、本件マスキング部分から申立人が被告Aの住所を推知できたとしても、特段の問題があるとは言えない。
 子らを巡る深刻な対立というのも、中辻雄一朗、佐藤丈宜、新田紗紀の姑息さを示す表現といえるだろう。この表現には具体性がなく、子らを巡るどのような対立があり、被告Aの住所が推知されるとどのような「公共の安全及び秩序の維持に支障が生ずるおそれ」があるのか、全く記載がされていない。なるほど、なぜ中辻雄一朗、佐藤丈宜、新田紗紀が具体的な記載をしていないかといえば、具体的な記載をすると不当な恣意的判断をすることが困難になるからだろう。
 被告Aは二男を連れ去り別居し、その後も被告Aは二男と申立人(父親)との関係を断絶し、申立人が育てている長男と二男との関係も断絶している。申立人は子らのために父子関係や兄弟関係の維持が必要だと思っているのだから、父子関係や兄弟関係の断絶を望んでいる被告Aとの対立を余儀なくされるのは当然である。
 要するに中辻雄一朗、佐藤丈宜、新田紗紀は、父子関係や兄弟関係の断絶を望んでいる母親に、父親が父子関係や兄弟関係の維持を求めることは、「公共の安全及び秩序の維持に支障が生ずるおそれがある」としているのである。これについてBardは以下のように回答している。

Tips_9(Bard)
問:
 別居や離婚後、父親が別居している二男との交流を求めることは、「公共の安全及び秩序の維持に支障が生ずるおそれ」があるか。なお、父親が養育している長男は健全な成長をしており、父親が二男に虐待をしたこともなく、母親が養育している二男は発達障害のおそれや学校不適応が生じている。

回答:
 父親が別居している二男との交流を求めることは、「公共の安全及び秩序の維持に支障が生ずるおそれ」があるとは限りません。父親が養育している長男が健全に成長をしており、父親が二男に虐待をしたこともなく、母親が養育している二男に発達障害のおそれや学校不適応が生じている場合、父親が二男との交流を求めることは、二男の健全な成長のために必要なことです。

 このようなBardの回答と、中辻雄一朗、佐藤丈宜、新田紗紀の判断のどちらが適切だろうか。ここでの判断基準は具体性だろう。中辻雄一朗、佐藤丈宜、新田紗紀は抽象的な記載しかしておらず、そもそも具体的に書くと不当な恣意的判断ができないから抽象的な記載をしてきたと解されるのだから、中辻雄一朗、佐藤丈宜、新田紗紀の判断の不当性は明らかである。
 なお、中辻雄一朗、佐藤丈宜、新田紗紀の悪質性を顕著に示していると思われるのは、結局、中辻雄一朗、佐藤丈宜、新田紗紀は申立人が支援措置の必要性の要件を満たす加害者なのかについて、何ら検証していないということである。既に述べたように、申立人が支援措置の必要性の要件を満たす加害者でないならば、申立人は二男の戸籍附票を取得することで二男の居住地を知ることができ、それは被告Aの居住地を知ることにもなる。つまり、申立人は被告Aの居住地を推知する必要はないのである。そしてこの申立人の主張についての中辻雄一朗、佐藤丈宜、新田紗紀の無視は、中辻雄一朗、佐藤丈宜、新田紗紀が恣意的判断をするのに都合が悪いが、合理的理由をもって排斥できない申立人の主張を無視するという挙に出たことを強く疑わせる。これは、合理的理由をもって排斥できなかったという意味では中辻雄一朗、佐藤丈宜、新田紗紀の低能さを示しているとも解せるし、合理的理由をもって排斥できないならその主張を採用することが適切だと判断することができていないという意味ではまともさの欠如を示しているとも解せるだろう。

Tips_10(Bard)
問:
 具体的に書くと不当な恣意的判断ができないから抽象的な記載での理由しか示すことができていないと解さざるを得ない判断は、まともである可能性が高いか。

回答:
 いいえ、不当な恣意的な判断ができないから抽象的な記載での理由しか示すことができていないと解さざるを得ない判断は、まともである可能性は低いです。抽象的な理由しか示すことができないということは、その判断が十分に検討されているとは言えません。そのため、その判断が不当な恣意的な判断である可能性が高いと言えます。
 判断が十分に検討されているかどうかは、その判断の理由が具体的であるかどうかで判断することができます。具体的な理由とは、その判断がなぜ正しいのかを、明確に説明できる理由のことです。抽象的な理由とは、その判断がなぜ正しいのかが、明確に説明できない理由のことです。
 抽象的な理由しか示すことができない判断は、その判断がなぜ正しいのかが、明確に説明できません。そのため、その判断が不当な恣意的な判断である可能性が高いと言えます。

3 民訴法220条4号ロについて
 熊本地方裁判所令和4年(行ク)第5号文書提出命令申立事件(令和4年12月14日決定)において、担当裁判官らである中辻雄一朗、佐藤丈宣、新田紗紀は、民訴法220条4号ロに該当する場合には同条3号に基づく提出義務は認められないと解されるとして、同条1号には言及していない。その意味において、本申立が民訴法220条1号に該当するものである時点で、民訴法220条4号ロを検討するまでもなく、本申立は認められなければならない。
 そうすると、本来、民訴法220条4号ロに関しての主張は不要であるが、予備的に記しておく。
 なお、民訴法220条4号イ~ニは、同条3号に基づく提出義務が認められない場合を規定している。そのため、まず該当文書が同条3号に該当することを先に述べる。

(1) 該当文書が民訴法220条3号に該当することについて
 該当文書は申立人が受けた本件支援措置決定や本件不交付決定処分に関するものとして、原告と当初受付市区町村、または原告と熊本市との間において法律関係文書に該当する。よって、熊本市は本申立に係る文書の提出義務を負う。
 ちなみに、名古屋高等裁判所令和3年4月22日判決は、客観的に支援の必要性の存在が認められない支援措置の申出を、加害者とされた者の人格的利益が害されたものとして、支援措置の申出者から加害者とされた者への損害賠償責任を認めた事例である。右裁判例は以下のように判示している。

「支援措置が加害者と扱われる者に一定の不利益を与えるものであることが否定できない以上、DV被害者が主観的に恐怖心を有するからといって、客観的に支援の必要性の存在が認められるものと解することはできない。」

 つまり、支援措置決定は加害者とされた者に一定の不利益を与えるものであり、その不利益が不当なものであった場合には法的な損害賠償責任が生じるのだから、本申立に係る文書が原告と熊本市との法律関係について作成されたものであるのは明らかである。
 また、最三小決令和2年3月24日文書提出命令に対する許可抗告事件は、鑑定のために必要な処分とされた死体の解剖の写真に係る情報が記録された電磁的記録媒体が民訴法220条3号所定のいわゆる法律関係文書に該当するとされた事例である。右判例は以下のように判示している。

「相手方は、その父であるAの死体が礼を失する態様によるなどして不当に傷付けられないことについて法的な利益を有するというべきである。本件司法解剖も、Aの遺族の承諾の有無とは無関係に刑訴法所定の手続にのっとって行われたものであるものの、これによるAの死体に対する侵襲の範囲や態様によっては、相手方の上記利益が侵害され得るものといえる。そして、上記写真は、本件司法解剖の経過や結果を正確に記録するために撮影されたものであり、犯罪捜査のための資料になるとともに、本件司法解剖によるAの死体に対する侵襲の範囲や態様を明らかにすることによってこれが適正に行われたことを示す資料にもなるものであると解され、本件司法解剖による相手方の上記利益の侵害の有無等に係る法律関係を明らかにする面もあるということができる。
 以上からすれば、本件準文書は、抗告人と相手方との間において、法律関係文書
に該当するというべきである。」

 さて、本申立てにおいても、申立人は戸籍附票等の交付請求を不当に拒否されない法的な利益を有するというべきである。申立人が本件支援措置決定や本件不交付決定処分を受けた様態によっては、申立人の上記利益が侵害され得るものといえる。そして、該当文書は、本件不交付決定処分やその基礎となった本件支援措置決定に関して、必要性を判断した市町村や、経過や結果が記載されたものであり、本件支援措置決定や本件不交付決定処分が適正に行われたかを示す資料になるものであると解され、本件支援措置決定や本件不交付決定処分による申立人の上記利益の侵害の有無等に係る法律関係を明らかにする面もあるということができる。
 以上からすれば、該当文書は、申立人と熊本市との間において、法律関係文書に該当するというべきである。

(2) 該当文書は民訴法220条4号ロに該当しないことについて
 中辻雄一朗、佐藤丈宣、新田紗紀は民訴法220条4号ロについてぐだぐだ述べているが、申立人は支援措置の必要性の要件を満たす加害者でない。そうすると本来、申立人は二男の戸籍附票を取得することができ、それは結果的に二男と同居する被告Aの住所を知ることにもなるかもしれないが、申立人が二男の戸籍附票を取得することは、住民基本台帳法20条1項、および、同12条6項目の準用に基づく正当な権利である。そうすると、申立人が支援措置の必要性の要件を満たす加害者だとする明確な根拠を熊本市が示さない以上、申立人は二男の戸籍附票を取得することで二男の居住地を知る権利があるのだから、熊本市が該当文書を提出することで申立人が被告Aの居住地を推認する可能性があるとしても、それは民訴法220条4号ロに該当する事情にならない。つまり中辻雄一朗、佐藤丈宣、新田紗紀は、支援措置の必要性の要件を満たす加害者でない申立人が被告Aの住所を推知する可能性を、「公共の利益を害し、又は公務の遂行に著しい支障を生ずるおそれ」(民訴法220条4号ロ)としているのだから、このような判断が不合理であり到底まともでないのは当然であろう。申立人としては、被告Aの住所を隠す必要があることを前提にするならば、まず申立人が支援措置の必要性の要件を満たす加害者であることが立証されていなければならないと主張していたのだが、それに対して中辻雄一朗、佐藤丈宣、新田紗紀が敢えて無視という選択をし、採用不採用の合理的理由を記載することができていないことが、まともな判断をしようとしていない中辻雄一朗、佐藤丈宣、新田紗紀の人格的問題を如実に示していると思われる。
更に、中辻雄一朗、佐藤丈宣、新田紗紀は申立人と被告Aの間の子らを巡る深刻な対立関係にも言及しているが、このような対立は支援措置の必要性の要件に含まれていないという意味において、中辻雄一朗、佐藤丈宣、新田紗紀は本件を判断するにあたって関係のないことを持ち出してこじつけるという行為をしている。裁判官とは特定の事実に対して法を適用していくのが職務だと思っていたが、「父母の子を巡る対立」という事実に対して、「父親が子の戸籍附票を取得する権利を制限する」ことを定めた法律は存在しない。
 そうすると、やはり申立人は住民基本台帳法20条1項に基づく正当な権利として二男の戸籍附票を取得でき、それは二男の居住地を知ることでもあるのだから、「父母の子を巡る対立」は民訴法220条4号ロに該当する事情になりえない。

Tips_11(Bard)
問:
 父親が子の戸籍附票を取得することは、住民基本台帳法20条1項「市町村が備える戸籍の附票に記録されている者(当該戸籍の附票から除かれた者(その者に係る全部の記載が市町村長の過誤によつてされ、かつ、当該記載が消除された者を除く。)を含む。次項において同じ。)又はその配偶者、直系尊属若しくは直系卑属は、当該市町村の市町村長に対し、これらの者に係る戸籍の附票の写し(第十六条第二項の規定により磁気ディスクをもつて戸籍の附票を調製している市町村にあつては、当該戸籍の附票に記録されている事項を記載した書類。次項及び第三項並びに第四十六条第二号において同じ。)の交付を請求することができる。」に基づく権利か。また、母親が子と父親との交流の断絶を望み、父親が子との交流を望むことで、父母に対立が生じていることは、市町村長が父親の子の戸籍附票に対する交付申請を拒否する正当な理由になるか。

回答:
 父親が子の戸籍附票を取得することは、住民基本台帳法第20条第1項に基づく権利です。同条第1項は、市町村が備える戸籍の附票に記録されている者又はその配偶者、直系尊属若しくは直系卑属は、当該市町村の市町村長に対し、これらの者に係る戸籍の附票の写しの交付を請求することができると定めています。父親は、子の戸籍の附票に記載されている者であり、かつ、子の直系尊属に該当します。したがって、父親は、子の戸籍附票の写しの交付を請求する権利を有します。
 母親が子と父親との交流の断絶を望み、父親が子との交流を望むことで、父母に対立が生じていることは、市町村長が父親の子の戸籍附票に対する交付申請を拒否する正当な理由にはなりません。住民基本台帳法は、戸籍の附票の交付申請を拒否する理由として、父母の対立を挙げていません。また、戸籍の附票は、本人の出生、死亡、婚姻、離婚等の戸籍事項の記載がある書類であり、子と父親との交流の断絶を図るための書類ではありません。したがって、市町村長は、父親の子の戸籍附票に対する交付申請を拒否することはできません。

第3 結語
 中辻雄一朗、佐藤丈宜、新田紗紀の悪質性の露呈は、大きく2つに分けられるように思われる。1つは、熊本市が明らかに書面で引用している文書であるにもかかわらず、それを理解できていないか、故意に理解できていない振りをして民訴法220条1号に関する不当な判断をしていることである。これについてTipsの5と6で引用したように、Bardは分かりやすく、熊本市が書面で触れている文書が民訴法220条1号で規定された「当事者が訴訟において引用した文書」に該当することを具体的に説明できている。
 これに対して、中辻雄一朗、佐藤丈宜、新田紗紀はこの熊本市が引用した部分について何ら言及していない。中辻雄一朗、佐藤丈宜、新田紗紀にはこの部分に言及する自由もあったのだから、敢えて言及していないことに中辻雄一朗、佐藤丈宜、新田紗紀の人格的問題が示されていると解するのが妥当ではないだろうか。あるいは、仮に中辻雄一朗、佐藤丈宜、新田紗紀が低脳で、熊本市の書面のどの部分に「当事者が訴訟において引用した文書」が書かれているのかを読み取る能力に3人揃って欠けていたとしても、申立人に釈明を求めて確認すれば良かっただけのことであった。
 つまるところ、申立人は当該文書が民訴法220条1号に該当すると主張しているにもかかわらず、中辻雄一朗、佐藤丈宜、新田紗紀が熊本市の書面で引用文書に触れられている部分に何ら言及していないことは、到底まともとは言えないだろう。
 もう一つの中辻雄一朗、佐藤丈宜、新田紗紀の悪質性の露呈は、申立人が支援措置の必要性の要件を満たす加害者であるかを検証していないことだろう。申立人が支援措置の必要性の要件を満たす加害者でなければ、申立人は二男の戸籍附票を取得することで二男の居住地を知ることができ、その結果として二男と同居する被告Aの居住地を知る可能性もあるが、それは住民基本台帳法20条1項に基づく正当な権利であり、この権利は単に「二男と同居する母親が居住地を知られるのを嫌がっている」との理由で侵害されるものではないし、そのような侵害を規定する法的根拠もない。そうすると、申立人が支援措置の必要性の要件を満たす加害者でない以上、申立人が被告Aの居住地を推知する可能性は、本申立てを棄却する理由になり得ない。
 これに反する中辻雄一朗、佐藤丈宜、新田紗紀の判断自体もまともとは到底言えないだろうが、悪質性の本質は、このような申立人の主張を中辻雄一朗、佐藤丈宜、新田紗紀が無視していることである。このような無視は、合理的理由をもって排斥できないという中辻雄一朗、佐藤丈宜、新田紗紀の低能さを強く疑わせる材料となっているし、そもそも合理的理由をもって排斥できない主張立証であればその主張立証が正しいものだと判断することができていないという意味では倫理観や公正性の欠如を強く疑わせる。
 つまるところ中辻雄一朗、佐藤丈宜、新田紗紀は、恣意的判断をするのに都合が悪いが合理的理由をもって排斥できない申立人の主張を無視することを3人揃って選択したということではないだろうか。このような中辻雄一朗、佐藤丈宜、新田紗紀の態度は、合理性に反し、正義に反し、公正性に反し、法の支配にも反し、単に自らの低能さやまともさの欠如を自己紹介しているものにしかなっていないのではないだろうか。
 裁判官は憲法によってその独立が保障されていることから(憲法76条3項)、中辻雄一朗、佐藤丈宜、新田紗紀は自らの自由意志で上記の判断をしたことになる。このような敢えて申立人の主張を無視した態度は、裁判官としての立場を利用して世に法の支配に反する害悪を撒き散らすことに愉悦を感じているのではないかとの可能性も疑わずにはいられない。
 ちなみに、「平家物語」には父祖の善悪は必ず子孫に及ぶとある。これを前提にすると、中辻雄一朗、佐藤丈宜、新田紗紀はどのような業を子孫に残していくのであろうか。基礎事件は父親と二男の親子関係や、長男や二男の兄弟関係にも関係してくるものなのだから、中辻雄一朗、佐藤丈宜、新田紗紀が生じさせた家系としての業は、単に理不尽に苦しむだけでなく、子々孫々と子に関するものになっているという考え方もできるだろう。本人や子孫がそのような業を信じないとしても、立場の悪用、公平性の欠如、主張の無視といったことで良心の呵責を感じないという人間性の欠如は、世代間連鎖として子孫に受け継がれていくのかもしれないし、生じさせた業の影響は子孫などが先の世で判断されることなのだろう。
 本書では裁判官である中辻雄一朗、佐藤丈宜、新田紗紀の判断について、AIを活用しながら検証してきた。裁判官らの判断がまともでないことは、裁判の公正性を損ねるだけでなく、裁判官ら自身の人格的腐敗を示すことになるし、その子孫への業を残していくことにもなりかねない。現在はAIが容易に活用できる時代になっているのだから、AIの回答を無条件に盲信するのは愚かだとしても、少なくともAIと同等以上の説得力や合理性がある判断やその理由を示すことは、裁判官に求められる最低限の能力なのではないだろうか。
 また、裁判当事者の主張やAIの回答を合理的理由をもって排斥できない場合、排斥しようとした判断のほうが誤っていると気づくことも、まともな裁判官に求められる最低限の能力や倫理観なのではないだろうか。

以 上

付録1

中辻雄一朗、佐藤丈宜、新田紗紀の判示








付録2

申立人の主張
事件番号 令和3年(行ウ)第7号
原 告  原告
被 告  国 外3名

文書提出命令申立書

令和4年6月1日

熊本地方裁判所民事第3部合議C係 御中

原告  原告  

 頭書の事件について、本件支援措置決定や本件不交付決定処分の事実関係を具体的に明らかにするためには、下記の本申立に係る文書の提出が必要である。よって、民事訴訟法第220条2号および3号に基づき、下記文書の提出命令を申し立てる。

1 文書の表示
 熊本市が所持する、原告を加害者とする本件支援措置決定の必要性を確認した相談機関等の具体的名称、本件支援措置決定をした当初受付市区町村の具体的名称、原告が支援措置における加害者として申出がされた日時、原告の支援措置における加害者とされた根拠となる具体的行為といった、原告が支援措置における加害者とされた本件支援措置決定、および、原告の戸籍附票の写しの交付申請を拒否にしたことに関する文書の全て。

2 文書の趣旨
 本件支援措置決定について、その申出者、支援措置を必要とした理由、申出者が申し出た内容を相違ないものと認めた相談機関等の具体的名称、申出者を保護する支援の必要性があるもものと認めた相談機関等の具体的名称、本件支援措置決定をした市区町村の具体的名称、および、本件不交付決定処分の経緯や結果が記載された文書である。

3 文書を所持している者
〒860-0808 熊本県熊本市中央区手取本町1−1
 熊本市 (代表市長 大西 一史)

4 証すべき事実
(1) 本件支援措置決定の当初受付市区町、および、本件支援措置決定に意見を付した相談機関等の具体的名称。
(2) 本件支援措置決定が適正な事実確認に基づかずに決定された事実。
(3) 本件支援措置決定の必要性が専門性や調査権限がない相談機関等によって判断された事実。
(4) 原告が支援措置における加害者の要件に該当していない事実。
(5) 本件不交付決定処分が違法な支援措置決定のみに基づいて決定された事実。

5 文書の提出義務の原因と必要性の理由
(1) 民事訴訟法第220条2号は文書提出命令を拒むことができない場合として、「挙証者が文書の所持者に対しその引渡し又は閲覧を求めることができるとき。」を規定している。本申立に係る文書は原告が受けた本件不交付決定処分に関するものとして、熊本市情報公開条例によりその引渡し又は閲覧を求めることができるものである。よって、熊本市は本申立に係る文書の提出義務を負う。

(2) 民事訴訟法第220条3号は文書提出命令を拒むことができない場合として、「文書が挙証者の利益のために作成され、又は挙証者と文書の所持者との間の法律関係について作成されたとき。」と規定している。本申立に係る文書は原告が受けた本件支援措置決定や本件不交付決定処分に関するものとして、原告と当初受付市区町村、または原告と熊本市との間において法律関係文書に該当する。よって、熊本市は本申立に係る文書の提出義務を負う。
 ちなみに、名古屋高等裁判所令和3年4月22日判決(甲11)は、客観的に支援の必要性の存在が認められない支援措置の申出を、加害者とされた者の人格的利益が害されたものとして、支援措置の申出者から加害者とされた者への損害賠償責任を認めた事例である。右裁判例は以下のように判示している。
 「支援措置が加害者と扱われる者に一定の不利益を与えるものであることが否定できない以上、DV被害者が主観的に恐怖心を有するからといって、客観的に支援の必要性の存在が認められるものと解することはできない。」
 つまり、支援措置決定は加害者とされた者に一定の不利益を与えるものであり、その不利益が不当なものであった場合には法的な損害賠償責任が生じるのだから、本申立に係る文書が原告と熊本市との法律関係について作成されたものであるのは明らかである。
 また、最三小決令和2年3月24日文書提出命令に対する許可抗告事件(甲12)は、鑑定のために必要な処分としてされた死体の解剖の写真に係る情報が記録された電磁的記録媒体が民訴法220条3号所定のいわゆる法律関係文書に該当するとされた事例である。右判例は以下のように判示している。
 「相手方は、その父であるAの死体が礼を失する態様によるなどして不当に傷付けられないことについて法的な利益を有するというべきである。本件司法解剖も、Aの遺族の承諾の有無とは無関係に刑訴法所定の手続にのっとって行われたものであるものの、これによるAの死体に対する侵襲の範囲や態様によっては、相手方の上記利益が侵害され得るものといえる。そして、上記写真は、本件司法解剖の経過や結果を正確に記録するために撮影されたものであり、犯罪捜査のための資料になるとともに、本件司法解剖によるAの死体に対する侵襲の範囲や態様を明らかにすることによってこれが適正に行われたことを示す資料にもなるものであると解され、本件司法解剖による相手方の上記利益の侵害の有無等に係る法律関係を明らかにする面もあるということができる。
 以上からすれば、本件準文書は、抗告人と相手方との間において、法律関係文書
に該当するというべきである。」
 さて、本件事件においても、原告は戸籍附票等の交付請求を不当に拒否されない法的な利益を有するというべきである。原告が本件支援措置決定や本件不交付決定処分を受けた様態によっては、原告の上記利益が侵害され得るものといえる。そして、本申立に係る文書は、本件不交付決定処分やその基礎となった本件支援措置決定に関して、必要性を判断した主体の具体的名称や、経過や結果が記載されたものであり、本件支援措置決定や本件不交付決定処分が適正に行われたかを示す資料になるものであると解され、本件支援措置決定や本件不交付決定処分による原告の上記利益の侵害の有無等に係る法律関係を明らかにする面もあるということができる。
 以上からすれば、本申立に係る文書は、原告と熊本市との間において、法律関係文書に該当するというべきである。
 面倒で無意味な反論がまたあるかもと念のために予防線を張っておくと、他の事件の引用は同じ事件じゃないから事情が異なるのは当然だわな。だから本申立ての本質は、原告が不当に本件支援措置決定で加害者とされ、それによって本件不交付決定処分を受けたとしても、何ら法的責任が生じるような不利益がなかったと言えるかである。まあ、これで不利益がないとするなら、名古屋高等裁判所令和3年4月22日判決と矛盾するので、その矛盾を合理的に説明できるか、あるいはそこを指摘しておいても敢えて無視する無様な態度を取ってくるかに多少の興味は惹かれるが。本件支援措置決定のために、原告はコンビニでの戸籍謄本等の発行ができなくなっていることも被っている不利益の1つ。支援措置がなければコンビニで簡便に戸籍謄本等の写しを得ることができるのだから。原告がこのような差別的扱いを受けなければならない合理的理由はないし、差別的扱いがない平等な行政サービスを受けることも法的に保護すべき利益である。
 で、上記が法的利益を有することを否定できないなら、本申立に係る文書が法律関係文書に該当するのは、最三小決令和2年3月24日が示すとおりなのだから、本申し立ては認められなければならない。

(3) 以下【】内は、平成20年11月17日名古屋地方裁判所文書提出命令申立事件からのコピペ。
(https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail4?id=37251 令和4年6月1日閲覧)
【法220条4号ロにいう「公務員の職務上の秘密」とは,公務員が職務上知り得た非公知の事項であって,実質的にもそれを秘密として保護するに値すると認められるものをいうと解すべきである(最高裁昭和52年12月19日第二小法廷決定・刑集31巻7号1053頁,最高裁昭和53年5月31日第一小法廷決定・刑集32巻3号457頁参照)。そして,上記「公務員の職務上の秘密」には,公務員の所掌事務に属する秘密だけでなく,公務員が職務を遂行する上で知ることができた私人の秘密であって,それが基本事件において公にされることにより,私人との信頼関係が損なわれ,公務の公正かつ円滑な運営に支障を来すこととなるものも含まれると解すべきである。そして,法220条4号ロの「その提出により公共の利益を害し,又は公務の遂行に著しい支障を生じるおそれがある」というのは,単に文書の性格から公共の利益を害し,又は公務の遂行に著しい支障を生ずる抽象的なおそれがあることが認められるだけでは足りず,その文書の記載内容からみてそのおそれの存在することが具体的に認められることが必要であると解すべきである。(最高裁平成17年10月14日第三小法廷決定・民集59巻8号2265頁)
 また,監督官庁が,当該文書の提出により,法223条4項各号に掲げるおそれがあることを理由として法220条4号ロに掲げる文書に該当する旨の意見を述べたときは,その意見について相当な理由があると認めるに足りない場合に限り,当該文書の提出を命ずることができるものとしている(法223条4項)が,監督官庁は,上記意見を述べるに当たっては,単にその可能性があることを抽象的に述べるにとどまらず,その文書の内容に即して具体的に公共の利益を害したり公務の遂行に著しい支障が生ずるおそれのあることについてその理由を述べることが求められているものと解すべきである(最高裁平成17年7月22日第二小法廷決定・民集59巻6号1888頁裁判官滝井繁男,今井功の補足意見参照)。】
 上記を踏まえると、本申立に係る文書は民事訴訟法第220条4号所定の除外事由のいずれにも該当しない。原告が加害者とされている理由が事実であれば、それは原告自身の行為として、原告が既知のことである。そして、その行為の主体は原告となるのだから、原告が既知である原告自らの行為を原告の申立によって基本事件で公にされたとしても、原告自身が自らの行為を「秘密」にしようとしていないのだから、「私人の秘密」が公になるとはいえない。また、原告が加害者とされている理由が虚偽であれば、被害者は存在せず、原告を支援措置における加害者とすることも誤りなのだから、原告が加害者とされている虚偽の申出理由が基本事件で公にされたとしても、「私人の秘密」が公になるとはいえない。
 「公共の利益」については、当初受付市区町村や相談機関等が基本事件で公にされたとしても、支援措置の申出人の住所が具体的に特定されるわけではない。当初受付市区町村や相談機関等から申出人の現在の居住地が特定される可能性があるかもしれないといった抽象的な理由は、法220条4号ロの除外理由になりえない。
 加えて、当初受付市区町村や相談機関等が申出者の住民票の登録地や現居住地の市区町村でなければならないといった制限はなく、また、支援措置中は居住地の移動の自由が制限されるといったこともなく、転居を繰り返すことも可能である。具体的な被害者保護の必要性があるのであれば、保護命令の申立てといった身の安全を守る方法があり、保護命令の平均審理期間は2週間ほどなのだから、本申立において本件支援措置決定の申出者が保護命令決定を待つ時間的余裕がなかったともいえない。
 そうすると、当初受付市区町村や相談機関等が基本事件で公にされても、ただちに被害者の住所が具体的に特定されるといった公共の利益を害する具体的おそれが高いということはできないし、自称被害者にすぎない可能性が排除できていない本申立では尚更である。そのため、被告らが被害者保護を理由とした公共の利益を主張するのであれば、原告が本件支援措置決定で加害者とされた根拠となる原告の加害行為が支援措置の必要性の要件に該当することを具体的に主張立証されなければならない。また、当初受付市区町村や相談機関等から支援措置の申出者の現在の居住地を具体的に特定できるのかについても主張立証しなければならない。そして、これらの主張立証が十分でないかぎり、当初受付市区町村や相談機関等が適正手続きで本件支援措置決定を判断をしたかを確認するためには、当初受付市区町村や相談機関等の具体的名称が基本事件で公にされる必要がある。
 なお、支援措置の要件の1つである配偶者暴力防止法での保護命令は、当事者が事件の記録を閲覧することができ、そもそも保護命令の申立書は相手方に送達される。この手続において、申立人の住所が探索されるおそれがあるからと係属した裁判所を秘匿することにはなっていないし、判断をした裁判官の氏名も秘匿されない(裁判官の氏名が分かれば所属する裁判所も分かる)。この保護命令申し立てでの手続保障が公共の利益に反しているとの具体的根拠がないかぎり、この保護命令での手続保障との比較において、本件支援措置決定に係る相談機関等や当初受付市区町村が基本事件で公にされることが、公共の利益を害する具体的おそれが高いということはできない。
 これらの原告の申立理由を無視した反論をするといった低能さの自己紹介をしてこないでね。時間や手間の無駄だから。反論するとしても、「保護命令での類似の情報開示では具体的な支障が頻出しているのか」ぐらい調べようね。裏付けのない妄想でしかない机上の空論を垂れ流さないように。支援措置の必要性の要件は名古屋高等裁判所令和3年4月22日判決(甲11)にあるし、総務省が示した元の要件(ア 配偶者暴力防止法第1条第2項に規定する被害者であり,かつ,暴力によりその生命又は身体に危害を受けるおそれがある方。)のほうでもかまわないが、原告のどのような具体的行為がこれらの要件に該当するのかを相変わらず有耶無耶にし、漠然と原告を支援措置における加害者とするのも、何ら説得力がないことを理解できるくらいの知性は持とうね?
 あと、仮に本申立に係る文書に自称被害者の住所が具体的に記載されおり、その部分を非開示にする必要があったとしても、その部分だけをマスキングすれば済むことである。

(4) 本申出の必要性は以下の三段論法でも説明できる。
 ア 名古屋高等裁判所令和3年4月22日判決(甲11)では、支援措置の申出とその後の継続(支援措置の期間は1年間)を含め、5回もの客観的な必要性が認められない違法な支援措置決定が繰り返されたことが判示されている。
 イ 支援措置制度は全国的に統一して行われている。
 ウ ゴキブリが1匹いたら100匹いると思えと言われるのと同様、全国的に統一して行われている支援措置制度で違法な決定の存在が判明したのだから、その他の支援措置決定でも同様の違法があった可能性は否定できず、むしろ、本件支援措置決定でも同様の違法な手続きが統一して行われたと解するのが妥当である。つまるところ、手続きは違法でまともな事実確認をしていなくても、たまたま支援措置の要件に該当していたということもあるかもしれないが、そうでない場合もあることは右裁判例が示すとおりである。
そのため、本件支援措置決定に違法がなかったかの確認には本申出に係る文書の提出が不可欠である。
以 上
事件番号 令和4年(行ク)5号
基本事件 令和3年(行ウ)第7号
原 告  原告
被 告  国 外3名

文書提出命令申立書(補足)

令和4年6月8日

熊本地方裁判所民事第3部合議C係 御中

原告  原告  

1 文書の提出義務の原因について
 本申立は民事訴訟法第220条2号および3号に基づいて申し立てたが、被告熊本市は基本事件において、本件不交付決定処分の根拠が当初受付市区町村による本件支援措置決定だと主張している。そうすると、本件支援措置決定について記載されている本申立に係る文書は、民事訴訟法第220条1号にも該当している。

2 本申立に係る文書が民事訴訟法第220条4号所定の除外事由に該当する場合の要件について
 本申立を検討するにあたっては、以下を踏まえておく必要がある。
 ① 住民基本台帳法第22条により、転居をした者は14日以内に住所等を市町村長に届けなければならないこと。
 ② 住民基本台帳法20条1項、および、同12条6項目の準用により、原告は自らの二男を含む戸籍附票(全部)の交付請求を正当な理由なく拒否されないこと。
 ③ 二男は被告佐登江(本件支援措置決定の申出者)と同居していること。
 ④ 戸籍附票(全部)の交付によって親が子の住所を知り、結果として親がその子と同居する者の住所も知ることになったとしても、それが「私人の秘密」の暴露や「公共の利益」に反することとはされていないこと。
 ⑤ 一般に民事訴訟において裁判当事者の住所は公となる裁判資料に記載されていること。
 つまり、本件支援措置決定がなければ、原告は戸籍附票(全部)の交付を受けることにより二男の住所を知ることができ、それに付随して結果的に二男の同居者の住所も知ることになるが、このような戸籍附票の交付は「私人の秘密」の暴露とされていないし、「公共の利益」に反することともされていない。
 また、本件支援措置決定が不当である場合、一般に民事訴訟の裁判資料には裁判当事者の住所が記載されているのだから、基本事件で被告佐登江の住所が公になることが「私人の秘密」の暴露や「公共の利益」に反するとはいえない。被告佐登江の住所が基本事件で公になることが民事訴訟法第220条4号所定の除外事由に該当することを裏付ける根拠が被告らから示されないなら、本件支援措置決定に係る相談機関等や当初受付市区町村の具体的名称から被告佐登江の現在の住所を特定できる可能性が高いのかを検討するまでもなく、これらの具体的名称が基本事件で公になることが「私人の秘密」の暴露や「公共の利益」に反するとはいえない。
 更に、次も踏まえておく必要がある。
 ⑥ 支援措置制度は、支援措置の必要性の要件を満たす加害者が判明している場合に適用できるものであること。
 ⑦ 住民基本台帳法第12条6項の準用は、戸籍附票等の交付請求を拒否できる要件を「不正な目的によることが明らか」な場合に限定していること。
 ⑧ 支援措置の必要性の要件は下記(ア)~(ウ)の全てを満たす必要があること(名古屋高等裁判所令和3年4月22日判決)(甲11)。
 (ア) 申出者が配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護等に関する法律第1条第2項に規定する被害者であること
 (イ) 申出者が、加害者からの更なる暴力により生命又は身体に危害を受けるおそれがあること
 (ウ) 加害者が、被害者の住所を探索する目的で、住民基本台帳の閲覧等を行うおそれがあること
 つまり、原告が支援措置における加害者の要件に該当していなければ、原告は戸籍附票(全部)等の交付請求を拒否されないのだから、その場合に原告は二男を知ることができ、結果的に二男の同居者の住所を知ることでもあるが、このような交付は「私人の秘密」が暴露されることではないし、「公共の利益」に反することでもない。
 また、原告を支援措置における加害者の要件に該当していたとする根拠は、本来、本件支援措置決定がされた時点で「判明」していなければならないのだから、その「判明」していたはずの根拠を被告らが本申立に対する意見で明らかにできない合理的理由はない。仮に被告熊本市が原告の加害行為を確認することなく漫然と本件支援措置決定をしたとしても、被告熊本市が本件支援措置決定に係る相談機関等や当初受付市区町村に原告の加害行為の具体的内容や事実確認の方法を問い合わせれば良いことである。そのため、被告らが原告の具体的加害行為を特定しないことで、原告が支援措置における加害者とされている根拠の真偽や評価、支援措置の必要性の要件に対する適合性について原告の反論を経ることができておらず、裁判官もこれらを検討できない状態で、被告らが漫然と原告が支援措置における加害者であることを基礎とする主張を繰り返したとしても、そのような主張は全て失当である。
 なお、支援措置は加害者と扱われる者に一定の不利益を与えるものであることが否定できない以上 支援措置の申出者の主観的な恐怖感や、主観的な被害感は、客観的に支援の必要性の存在が認められるものと解することはできない。
 つまるところ、本申立に係る文書が民事訴訟法第220条4号所定の除外事由に該当するおそれがあるのは、原告が支援措置の必要性の要件を満たす加害者である場合だけであり、上記①~⑧に鑑みれば、原告に支援措置の必要性の要件に該当する加害行為があったかや、被告佐登江が原告からの更なる暴力により生命又は身体に危害を受けるおそれがあったかや、原告が被告佐登江の住所を探索する目的で住民基本台帳の閲覧等を行うおそれがあったかについて、被告らが既に「判明」しているはずの根拠を具体的に示して立証しないかぎり、その余について検討するまでもなく、本申立に係る文書が民事訴訟法第220条4号所定の除外事由に該当するとは言えない。

以 上
事件番号 令和4年(行ク)5号
基本事件 令和3年(行ウ)第7号
原 告  原告
被 告  国 外3名

文書提出命令申立書3

令和4年7月15日

熊本地方裁判所民事第3部合議C係 御中

原告  原告  

第1 文書の表示の追加
 原告は当初、
「原告を加害者とする本件支援措置決定の必要性を確認した相談機関等の具体的名称」
が記載された文書の提出命令も申し立てたが、乙C第8号証や乙C第9号証によると、相談機関等は相談を受けただけで支援措置の必要性については確認していない可能性がある。そのため、
「本件支援措置決定にかかる相談機関等の具体的名称」
が記載された文書の提出命令を追加で申し立てる。

第2 被告熊本市の意見について
1 熊本家庭裁判所の審判等について
 被告熊本市は、熊本家庭裁判所の審判やその抗告審である福岡高等裁判所の判示を引用しているが、これらは原告が支援措置の必要性の要件に該当する加害者であるかについて何ら判断をしておらず、また、上記の決定は本申立に拘束力を持つものでもない。そのため、熊本家庭裁判所等の決定を根拠としての被告熊本市の主張は、全て失当であり、本申立では先入観を排除し、本申立で提出された主張立証のみに基づく判断がされなければならない。

2 配偶者暴力防止法について
 乙C第8号証によると、被告Aは原告を配偶者暴力防止法の加害者として支援措置を申出ている。
 そうすると、被害者支援の必要性が本申立を却下する合理的理由になるかについては、原告が配偶者暴力防止法の加害者に該当し、かつ、被告Aが原告からの暴力によりその生命又は身体に危害を受けるおそれがあるのかが争点である。
 しかしながら、被告熊本市の本申立に対する意見において原告が配偶者暴力防止法における加害者であるとの主張はされていないし、原告が配偶者暴力防止法における加害者であることを裏付ける根拠もない。そうすると、原告が支援措置の必要性の要件を満たす加害者だとすることはできない。
 なお、支援措置制度は以下の者を対象としている。
ア 配偶者暴力防止法第1条第2項に規定する被害者であり,かつ,暴力によりその生命又は身体に危害を受けるおそれがある方。
イ ストーカー規制法第7条に規定するストーカー行為等の被害者であり,かつ,更に反復してつきまとい等をされるおそれがある方。
ウ 児童虐待防止法第2条に規定する児童虐待を受けた児童である被害者であり,かつ,再び児童虐待を受けるおそれがあるもの又は監護等を受けることに支障が生じるおそれがある方。
エ その他アからウまでに掲げる方に準ずる方。
 そうすると、そもそも支援措置制度に法規の性質があるのかという問題があるが、それを措くにしても支援措置制度は上記ア~エで示したように対象者を具体的に特定しているのだから、これに該当する者にしか支援措置を適用することはできない。
 そういえば、裁判所が法令を厳格に運用する必要性があることを示したものとして、最高裁判所令和2年7月30日(刑集第74巻4号476頁)がある。右判例はストーカー行為等の規制等に関する法律(平成28年法律第102号による改正前のもの)2条1項1号にいう「住居等の付近において見張り」をする行為の意義 について、「ストーカー行為等の規制等に関する法律(平成28年法律第102号による改正前のもの)2条1項1号にいう「住居等の付近において見張り」をする行為に該当するためには,機器等を用いる場合であっても,好意の感情等を抱いている対象である特定の者又はその者と社会生活において密接な関係を有する者の「住居等」の付近という一定の場所において同所における上記特定の者等の動静を観察する行為が行われることを要する。」(裁判要旨)として、高裁の判断を取り消し、自動車へのGPS機器の取付はストーカー規制法に定める「見張り」に該当しないとしている。この決定後にストーカー規制法は改正されたが、右判例は裁判官の判断が法令に基づくものでなければならないことを示している。
 つまり支援措置が加害者と扱われる者に一定の不利益を与えるものであり、支援措置の必要性の要件は具体的に定義されている以上、本申立もこの定義を基準に判断されなければならないが、原告に上記アを満たす行為やおそれがあったことを裏付ける根拠はなく、そもそも被告らからそのような主張自体がされていないのだから、原告を支援措置の必要性の要件を満たす加害者とすることはできない。そして、被告熊本市は支援措置制度を根拠とする被害者支援の必要性で本申立の却下を主張しているのだから、原告が支援措置の必要性の要件を満たす加害者でない以上、支援措置措置制度を根拠とした被害者支援の必要性は存在しないことになる。
 よって、被害者支援は本申立を却下する理由になり得ない。

3 本件支援措置決定の必要性が確認されていないことについて
 再び乙C第8号証についてであるが、これには「相談機関等の意見」として、「1 上記申出者の状況に相違ないものと認める。」、「2 上記併せて支援を求める者について、申出者を保護するため支援の必要性があるものと認める。」、「3 1・2以外の場合に、相談機関等において、特に把握している状況(※一時保護の有無、相談時期等)がある場合」の3項目が記載されており、それぞれにチェックを入れる欄があるが、いずれのチェック欄も無記となっている。このことは、本件支援措置決定が申出者が記載した状況に相違ないかの確認や、申出者を保護するための必要性があるかの確認といった適正手続を経ることなく決定されたことを示している。
 そうすると、これらのチェック欄が全て無記あるにもかかわらず本件支援措置決定がされたことについて、その理由や決定過程を明らかにすることが基本事件を公正に検討するにあたって必要不可欠であり、そのためには本件支援措置決定にかかる相談機関等の具体的名称や、本件支援措置決定をした当初受付市区町村の具体的名称は明らかにされなければならない。

4 地方自治法第10条2項および第14条2項について
 前記した最高裁判所令和2年7月30日(刑集第74巻4号476頁)で示されているように、裁判所において法は厳格に運用されなければならない。その法的根拠は憲法76条で裁判官が法に拘束されていることもあるし、更に、地方自治法第では以下のように定められている。
「10条2項 住民は、法律の定めるところにより、その属する普通地方公共団体の役務の提供をひとしく受ける権利を有し、その負担を分任する義務を負う。」
「14条2項 普通地方公共団体は、義務を課し、又は権利を制限するには、法令に特別の定めがある場合を除くほか、条例によらなければならない。」
 そうすると、原告は熊本市からの公共サービスをひとしく受ける権利を有し、それは正当な理由なく侵害することは許されないものである。そして、戸籍附票(全部)の交付請求を拒否することは申請者に一定の不利益を与える権利の制限なのだから、その拒否は法令や条例によらなければならないが、被告熊本市が引用した福岡高裁等の決定は、原告が支援措置の必要性の要件を満たす加害者なのかについて判断していないのだから、地方自治法第10条2項や第14条2項の観点からも、福岡高裁等の決定は本申立を検討するにあたっての根拠や判断材料になり得ない。

5 行政手続法第5条について
 行政手続法では以下のように定められている。
「第5条 行政庁は、審査基準を定めるものとする。
2 行政庁は、審査基準を定めるに当たっては、許認可等の性質に照らしてできる限り具体的なものとしなければならない。
3 行政庁は、行政上特別の支障があるときを除き、法令により申請の提出先とされている機関の事務所における備付けその他の適当な方法により審査基準を公にしておかなければならない。」
 さて、本申立は上記法令も遵守した判断でなければならず、支援措置制度における配偶者暴力防止法にかかる審査基準は、「配偶者暴力防止法第1条第2項に規定する被害者であり,かつ,暴力によりその生命又は身体に危害を受けるおそれがある方。」と具体的に定められているのだから、被告Aはこの審査基準を満たす被害者ではないし、そもそも被告Aがこの審査基準を満たす被害者であるとの主張自体が被告らからされていない本申立において、支援措置制度の必要性の要件を満たす被害者は存在していないのだから、本申立にかかる文書が被害者の住所が加害者に推知されるおそれがあるものとはいえない。

第3 福岡高裁等の判断の問題点について
1 原告は二男の居住地を知る権利があることについて
 さて、支援措置の必要性の要件が具体的に定義され、その要件を被告Aや原告が満たしていない本申立において、本来は前章までの主張立証で事足りる話なのだが、念のため以下を付記する。
 被告熊本市が引用している福岡高裁等の決定について、既に述べたように、原告は支援措置の必要性の要件を満たす加害者かを判断しているものではなく、当然、原告が支援措置の必要性の要件を満たす加害者であることを裏付けるものにもなっていない。
 そうすると、被告Aによる支援措置の必要性の要件を満たしていない支援措置申出がなければ、原告は二男を含む戸籍附票(全部)の交付請求をすることで二男の居住地を知ることができたのだから、福岡高裁等が原告が二男の居住地を知ることができないことを前提とした判断をしていること自体が誤ったものであった。
 そもそも、子と別居親との面会交流は同居親がまともであれば円滑に実施できるものであり、その実施に必ずしも審判決定を必要とするものではない。つまり、面会交流が紛争になるのは、同居親が面会交流を駆け引きに利用しようとしたり、子と別居親との交流を不当に制限しようとするからである。
 ちなみに、別居親が原因で面会交流に関する紛争が生じる場合もあるだろうが、それは別居親の子に対する関わりが明らかに不適切で子に悪影響を及ぼしていたり、別居親が面会交流以外の目的のために面会交流を利用している場合(たとえば、同居親に接触すること目的にしている場合等)等が考えられるが、本件にそのような事情はない。
 また、仮に被告Aが原告が監護する長男と交流したいならば、審判などを持ち出すまでもなく、原告は柔軟に対応するつもりであり、同様の態度を被告Aもすることが子らの利益に反するといった特段の事情は認められない。そうすると、仮に被告Aが柔軟な父子交流や兄弟交流に配慮をできていたとしたら、二男から被告Aに対するの印象は、「お母さんは僕とお父さんのことや、僕とお兄ちゃんのことも大事にしてくれた。だから僕はお父さんやお兄ちゃんともいっぱい良い思い出ができたし、お兄ちゃんみたいにスポーツや勉強も上手になりたいと思えた。」といったものだったろう。しかしながら、被告Aの態度は二男に適切な監護をするチャンスを自ら潰したものであった。そして、二男が被告Aの行為の実態を知れば、「お父さんやお兄ちゃんが僕のために会いに来てくれても、お母さんはそれを邪魔したし、お父さんやお兄ちゃんが僕のために会いに来てくれたことを逆に利用して、僕からお父さんやお兄ちゃんを引き離した。お兄ちゃんはお父さんと一緒に暮らしていろんな経験をしたり、いろんなことに頑張ったりしていたのに、お母さんのせいで僕はお父さんに可愛がってもらえなくて、僕の人生からお兄ちゃんも消えてしまった」ということになる。このような被告Aの態度が二男の利益に反していることは明らかであるし、本申立の争点である支援措置の必要性についても、親が子に、兄が弟に会いに来てくれたことが配偶者暴力防止法第1条第2項に規定する加害行為に該当するとはいえない。被告Aは原告が二男の居住地に行くと警察を呼ぶという挙にも及んでいるが、そこで警察が原告を逮捕していないことからも、原告の行為に配偶者防止法等の法令に抵触する行為がなかったことが分かる。
 また、支援措置の必要性の要件のア~ウはいずれも法令が定義する被害者を対象にしているのだから、そうすると「エ その他アからウまでに掲げる方に準ずる方。」もア~ウと同水準に、法令に抵触する違法行為の被害者で更にその被害を受けるおそれがある者を対象にしているというべきであり、これらを満たす加害者に原告が該当していないのは明らかである。

2 加害者の主張を検討せずに無視することに法的根拠がないことについて
 福岡高裁は以下のように判示している。
 「抗告人は自らの言動や態度が面会交流に関する紛争を招いていることを認識することなく、抗告人の申し立てる面会交流が認められれば、当時者間の紛争がなくなるなどと主張するものであり、抗告の主張を採用する余地はない。」
 さて、福岡高裁は加害者と判断した者の主張を、加害者であるという属性のみを理由に検討しないという挙に出ているが、裁判所って加害者扱いした者の主張は無視するんだっけ? 刑事事件でもそうなの? それとも家事審判では加害者扱いした者の主張を無視して良いという法的根拠でもあるの?
 さ、「加害者扱いした者の主張は無視することが正しい裁判だ」ということを本申立でも採用するのか、裁判官の判断を明確に示そうね。原告としては、そのような裁判官らの態度に裁判の公正性は皆無に思われるが。それとも、加害者扱いした者に対しては公正な裁判をする必要がないということかな? そういえば熊本県は冤罪事件として名高い「免田事件」があった地だが、この事件って再審請求によって無罪判決になっているんだよね。あれ? 加害者として一度は確定したのに、なんで加害者の主張を無視していないの? それとも、再審請求は加害者の主張を無視しないが、家事審判は加害者の主張を無視しても良いという法的根拠でもあるのかな? それとも免田事件の再審請求時からは法改正があって、現行法では裁判で加害者の主張は無視して良いというふうにでもなったの?
 これは裁判の公正性の根幹にも関わる問題であるのだから、「加害者扱いした者の主張は無視することが正しい裁判だ」と言えるのか、その法的根拠はあるのか、逃げずにきちんと答えましょう。福岡高裁等の判断がまともであるのかはこのこと次第で大きく左右されるのだから。
 そして、「加害者扱いした者の主張は無視することが正しい裁判だ」とすることに法的根拠がないのなら、高裁の言い方を真似て言えば、
「福岡高裁は、加害者であるとの属性のみを理由として、抗告人の主張を採用する余地はないなどとしているものであり、福岡高裁の主張を採用する余地はない。」
となるね。
 だから、仮に本申立において福岡高裁の決定に言及するのであれば、当然にその決定が誤りがないものでなければならないのだから、その担保として「加害者扱いした者の主張は無視することが正しい裁判だ」とすることが正当であるのか、その場合の法的根拠はあるのか、きちんと向き合って判示しましょう。

3 子と別居親との交流は子の利益の増進になることについて
 40もの研究結果を包括的に整理したメタ分析の結果,それぞれの両親と少なくとも35%の時間を過ごす子は,父親や母親とより良い関係を持ち,学問的,社会的,心理的により良く,喫煙,飲酒,薬物使用の可能性が低く,不安,うつ病,ストレス関連の病気の影響を受けにくいことが分かっている(甲14~16)。そうすると、子と別居親との交流を断絶することは統計的に明ら、上記に関するリスクを高め、子の利益に反することになり、このことも当然に原告は熊本家裁や福岡高裁で主張立証している。ちなみに、両親が高葛藤状態であっても子は両親との交流を維持したほうが子の利益に適うことも明らかになっている。
 さて、これらに裁判官らはどんな態度だったか。なんと、裁判官らは無視という挙に出ているんですねぇ。「都合が悪いが合理的理由をもって排斥できない当事者の主張は無視する」との裁判官らの態度が、まともなものなのか、そこに裁判官らの理性や良心があるといえるのかが、本申立でも確認すべきことの1つである。むしろ、「子が学問的,社会的,心理的により悪く,喫煙,飲酒,薬物使用の可能性が高く,不安,うつ病,ストレス関連の病気の影響を受けやすくなっても父子交流や兄弟交流の断絶を優先する」と、裁判官らがそう明記するくらいの潔さがあればあればともかく、単に無視だからねぇ。「裁判官は正しいはずだ」「裁判官は主張や立証を慎重に検討したはずだ」との、裁判官盲信教の信者になることを期待しないでね。裁判官には判断についての理由提示義務(民事訴訟法253条3項)があるのだから、正しい判断というのならそれを検証できる理由提示をちゃんとしようね。そして、親子交流や兄弟交流を断絶することのデメリットを無視している福岡高裁等の決定は、子の利益に適っていたといえる理由提示もしていない単なる無視でしかないのだから、子の利益の観点からも理由提示義務の観点からも不適切なものであった。
 ちなみに、なぜこのような統計デーが存在するのか、それは当然、両親の別離後もそれぞれの両親と少なくとも35%の時間を過ごす子が存在するからである。つまりこれが実施不可能なものではないし、アメリカ・アリゾナ州だと6歳以降では平日1日夕方3-4時間+隔週3泊を裁判所が例示している(甲16)。そして、原告が求めていたのもこのような客観的に子の利益に適った親子交流であり、このような客観的な基準を蔑ろにしている被告Aや福岡高裁の裁判官等が、子の利益を害し、紛争を生じさせ続けていると言えるだろう。
 で、このような客観的に子の利益に適った親子交流を定めていれば、原告がそれ以上の父子交流や兄弟交流を求める必要性も動機もなく、このことも「またか」という感じで福岡高裁等は無視しているのだから、福岡高裁等の判断は誤っているばかりか、裁判官らの恣意的判断に都合が悪いことは無視するという公正性に欠如した態度を世に自己紹介するものであった。
 被告Aは審判で定めた父子交流や兄弟交流以外は頑なに拒否する態度に固執することで、自らが子の利益に配慮する資質に欠けていることを示しているが、だったら審判の内容を変更して上記したように客観的に子の利益に適った父子交流を被告Aが阻害しないようにすれば、それ以上の紛争が生じることはなくなり、父子交流や兄弟交流もでき、そのことは二男が 父親や母親とより良い関係を持ち,学問的,社会的,心理的により良く,喫煙,飲酒,薬物使用の可能性が低く,不安,うつ病,ストレス関連の病気の影響を受けにくくなることなのだから、子らにとっては良いこと尽くめだよね。
 だから本申立の判断において裁判所が福岡高裁等の決定に言及するなら、上記の原告が福岡高裁等でも主張した父子交流や兄弟交流の実施方法に、メリット以上のデメリットがあるといえるのかや、それについて福岡高裁等は理由提示義務を果たしているのかや、福岡高裁等が加害者という属性を理由に原告の主張を審理拒否したことが公正で正しい裁判だったといえるのかが、本申立でも問われるわけですよ。本申立で誤った判断(福岡高裁等)を基礎にしたら、本申立も誤ったものになるのは当然でしょ。
 これは本件不交付決定処分でも同様の構造だね。支援措置の必要性の要件を満たしていない支援措置を基礎とした本件不交付決定処分も、誤ったものであるのは当然でしょ。

4 被告Aに転居の必要性がなかったことについて
 原告は原告と同居する長男が二男に会いたがっていたこともあり、兄弟関係への配慮から長男を連れて二男の居住地に行った。そうすると被告Aを二男を巻き込み転居したわけだが、被告Aの言動はつまるところ、「原告が長男と一緒に兄弟を会わせようと二男の居住地に行ったら、被告Aは死にたくなって転居した」というものである。
 しかしながら、兄弟の交流が子らの利益に反するとは言えないし、そのときに原告が二男に会ったとしてもそれが二男の利益に反することでもないし、その原告の行為が配偶者暴力防止法第1条第2項に規定する加害者に該当するわけでもない。つまり、原告や長男が二男に会ったとしてもそれによって被告Aが配偶者暴力防止法第1条第2項に規定する被害を受けるわけでもない。むしろ、原告や長男が二男の居住地に行ったことがあるからこそ、原告が二男の居住地に行ったとしても原告が配偶者暴力防止法第1条第2項に規定する加害行為に及ぶおそれがないことは立証されている。
 そうすると、被告Aに居住地を原告に知られることで転居を余儀なくされるような配偶者暴力防止法第1条第2項に規定する被害を受けるおそれがあるとはいえない。
 さて、被告Aに転居の必要性がなかったことは福岡高裁等でも主張しているが、この主張はどのように判断されているかな? なんと、裁判官らは無視という挙に出ているんですねぇ。「都合が悪いが合理的理由をもって排斥できない当事者の主張は無視する」との裁判官らの態度が、まともなものなのか、そこに裁判官らの理性や良心があるといえるのか、理的理由をもって排斥できない当事者の主張があれば排斥しようとしている判断のほうが誤っていると気づくべきではないのか、それに気づいても恣意的判断を強行しているおそれに鑑みて裁判官をより拘束して裁判官の恣意的判断を抑止する法改正が必要ではないのかといったことも、、本申立でも確認すべきことの1つである。
 それに、他の裁判結果は本申立に対して拘束力を持たないのだから、本申立では独自に、被告Aに転居を余儀なくされるような配偶者暴力防止法第1条第2項に規定する被害を受けるおそれがあったといえるのか、あったとしたらそれは具体的にどのような加害行為なのかについて、支援措置の必要性の要件に基づいて判断しようね。

5 転居の可能性は支援措置の必要性の要件に含まれていないことについて
 被告Aは原告に居住地が知られると転居する可能性があるようだが、支援措置制度にも住民基本台帳法第12条6項にも、そのような転居の可能性を理由に戸籍附票(全部)の交付請求を拒否できるとする規定はない。つまり、被告Aが転居する可能性があるとしても、それは支援措置の必要性の要件にならない。
 そもそも、被告Aが原告に居住地を知られることによって転居を余儀なくされるような被害を受けるおそれがあることを裏付ける根拠もない。それに福岡高裁等も原告との交流で二男が楽しんでいたことは流石に否定できないでいる。そうすると被告Aの態度は事実上、「父子交流や兄弟交流に柔軟な配慮をするのは嫌だし、二男が父親や長男と楽しく過ごすと死にたくなるから転居して会わせないようにする」というものであり、これは主観的な恐怖心というより、二男に対する主観的な独占支配欲というべきものだろう。反面、被告Aは原告が監護する長男との交流を自ら断っているのだから、被告Aのこれらの言動が子らの利益に配慮したものであるとは到底言えない。このような被告Aの態度が子らの利益を著しく害しているのは明らかであり、いずれ子らから軽蔑の対象となるものと言わざるをえない。

6 保護命令について
 支援措置の必要性の要件は、保護命令(配偶者暴力防止法第10条)での要件と同様である。そうすると、仮に原告から被告Aに対する支援措置の必要性の要件を満たす加害行為があった場合、保護命令の申立によって接近禁止等が認められる可能性が高く、原告には仕事があり長男を責任を持って育てているのだから、懲役などのおそれがありながら保護命令に違反する行為に出るおそれがあるといえる具体的根拠はない。そうすると、被告Aが支援措置の必要性の要件を満たす被害者であれば、保護命令といった法的手段をとることもできたのだから、この意味においても被告Aに転居を余儀なくされる事情があったとはいえない。
 要するに、支援措置の必要性の要件を満たしていても保護命令によって被害を防げるのだから、被告Aが二男を巻き込み転居する必要性はなかった。また、支援措置の必要性を満たす被害を被告Aが受けていなければ、当然、本件支援措置決定は違法であり、被告Aが二男を巻き込み転居する必要性はなかった。
 そうすると、福岡高裁が被告Aが転居を余儀なくされたとしていることに合理的理由は認められない。
 どう? これも当然に福岡高裁で説明したけどね。恣意的判断をするのに都合が悪い主張は無視するのが裁判官の裁量権だとでも思っているのかな? 裁判官には、合理的理由をもって排斥できない当事者の主張があれば、排斥しようとしている判断のほうが誤っていると気づくくらいの知性は持っていてほしいものだが。あるいは、気づいていて敢えて故意に偏向判決をしているのなら、知性ではなく良心の問題だが。

7 被告Aは緊急一時保護の対象ではなかったことについて
 配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護等に関する法律では以下のように規定されている。
第1条 この法律において「配偶者からの暴力」とは、配偶者からの身体に対する暴力(身体に対する不法な攻撃であって生命又は身体に危害を及ぼすものをいう。以下同じ。)又はこれに準ずる心身に有害な影響を及ぼす言動(以下この項及び第二十八条の二において「身体に対する暴力等」と総称する。)をいい、配偶者からの身体に対する暴力等を受けた後に、その者が離婚をし、又はその婚姻が取り消された場合にあっては、当該配偶者であった者から引き続き受ける身体に対する暴力等を含むものとする。
第1条2項 この法律において「被害者」とは、配偶者からの暴力を受けた者をいう。
第3条 配偶者暴力相談支援センターは、配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護のため、次に掲げる業務を行うものとする。
第3条3項 被害者(被害者がその家族を同伴する場合にあっては、被害者及びその同伴する家族。次号、第六号、第五条、第八条の三及び第九条において同じ。)の緊急時における安全の確保及び一時保護を行うこと。
 さて、被告Aは一時保護の前の時点で原告から身体に対する暴力等を受けていたとはいえない。そのため、被告Aが一時保護を受けたのは制度の趣旨に反した制度の濫用と言わざるをえないものであった。当然、原告の被告Aに対する「身体に対する暴力等」がない以上、被告Aが一時保護を受けたことは支援措置の必要性の要件とはならない。
 そうすると一時保護も支援措置制度と同様の問題を抱えており、一時保護の必要性を判断する者がどのような経験や専門性を持っているのか不明であるし、一時保護の申出者が配偶者暴力防止法で規定されている「身体に対する暴力等」を受けていたのかについて、厳格さとは程遠い運用がされているようである。
 一時保護は税金が投入されている制度でもあるのだから、その運用は法に基づく適用条件を満たしたものでなければならないが、被告Aの一時保護がこれに該当していないのは明らかである。

8 父子交流や兄弟交流は子らの利益に適うことについて
 既に述べたように、子と別居親との交流は子の利益の増進になるのだから、面会交流を禁止し,被告Aの二男に対する独占支配の強化に福岡高裁等が加担したことは子らの利益を害するものであった。
 また,被告Aが被害を受けるおそれがあるなら保護命令を申し立てればよく、仮に当事者間での面会交流の協議が困難というのであれば,面会交流の日時や頻度,時間の長さ,二男の引渡しの場所や方法等,面会交流の実施方法を細かく定め,受け渡し方法は原告と被告Aが直接関わらないようにして子らが紛争に巻き込まれないようにし,それ以外の父子交流や兄弟交流は禁止したり、被告Aが自ら協議したくなければ代理人に依頼するといった方法もあるのだから,父子交流や兄弟交流の断絶が子らの利益に必要だといえる事情は存在しない。
 で、このような子の利益に配慮した原告の主張を、福岡高裁は原告が加害者であるとの属性のみを理由に検討しない挙に出てるんだよね。だから、属性を理由とした審理拒否が裁判官の態度として適切なのか問題にしているわけですよ。実際、上記のような実施方法であっても子の利益に反するような支障が生じるのか、福岡高裁等は検討した形跡がないでしょ?
 ちなみに、被告Aの主観的な恐怖心は二男の父子関係や兄弟関係を断絶させる合理的理由にならないし、被告Aに転居の必要性がなかったことは既に述べてきたとおりだし、上記の方法であれば原告と被告Aとの接触のないのだから、両親の葛藤に子らが巻き込まれることもないし、甲16にあるようにメタ分析の結果、両親間の葛藤が高い場合でも、両親との交流は子に好ましい結果になることが分かっているし、父子関係や兄弟関係が良好だったことからすれば、父子交流や兄弟交流が子らの利益に反することになると言える具体的根拠はない。

9 原告は被告Aを目的にしていないことについて
 そもそも原告は支援措置の必要性の要件を満たしていないわけだが、それをとりあえず措くとしても、二男は今年度小学4年生になっていることからすれば、被告Aが転居した頃と現在では事情が変わっており、二男が長男と遊びたいか、原告や被告Aを介さずに長男と二男の子ら同士で話させるのも良いだろう。ここで「できるための工夫」ではなく「できないための言い訳」に思考の指向性がある場合、「子に葛藤が巻き込まれる」とか言い出すことも想定されるが、子が友達と遊びたくて親に許可を求めることが子の利益に反する状況だとはいえないのと同様、二男にとってその対象が友達ではなく兄だった場合に子らの利益に反する状況になるといえる具体的根拠はない。少なくとも、兄弟の生き別れのほうがましなほど強い葛藤状態に陥ると言える具体的根拠はないし、そもそも、以前から父子交流や兄弟交流は良好であった。
 そうすると、現時点で支援措置の必要性の要件を満たしていたり、父子交流や兄弟交流を断絶しておかなければならなかったりする事情があるとはいえない。
 また、以前から原告は端から被告Aに危害を加えることを目的にしておらず、そもそも被告Aを直接の目的の対象にしておらず、被告Aではなく長男と二男がやりとりするといった方法も考えられるのだから、その意味においても本件支援措置決定が支援措置の必要性を満たしていたとは言えないし、被告Aが転居を余儀なくされるような被害を受けるおそれがあったとはいえないし、被告Aが一時保護の要件を満たしていたとも言えない。そうすると、父子交流や兄弟交流を断絶しなければならない具体的事情はなかったのだから、福岡高裁の判断は誤りであった。むしろ、父子交流や兄弟交流を断絶した被告Aや福岡高裁等の裁判官らが、子らの利益を害した加害者と言える。

第4 結語
 本申立ての争点は、被告Aが配偶者暴力防止法等第1条2項等の被害者で、かつ,暴力によりその生命又は身体に危害を受けるおそれがあったかである。そして、被告熊本市の本申立についての意見は、被告Aが支援措置の必要性の要件を満たす被害者でなければ成立しないものばかりでありながら、結局、被告熊本市は被告Aが支援措置の必要性の要件を満たした被害者であるのかや、原告のどのような行為が支援措置の必要性の要件を満たす加害行為なのかについて、何ら述べていない。原告が二男の居住地に行ったことも、被告Aの主観的な恐怖心(ないしは親子交流や兄弟交流を断絶するための口実)を省いて客観的な事実だけを見れば、配偶者暴力防止法第1条第2項に規定する加害行為があったとはいえないし、むしろ、原告が二男の居住地に行ったからこそ、それによって原告が配偶者暴力防止法第1条第2項に規定する加害行為に及んでおらず、そのおそれもないことが立証されている。
 支援措置制度は適用要件となる審査基準が具体的に公になっており、本申立もその審査基準に照らして判断されなければならないが(行政手続法第5条、地方自治法第14条2項)、本申立において被告らから原告に支援措置の必要性の要件を満たす加害行為があったとの主張自体がされておらず、仮にそのような主張がされていたとしても、本件支援措置決定が支援措置の必要性の要件を満たしていなかったことは明らかである。
 そうすると、本申立において支援措置の必要性の要件を満たす被害者が存在することを基礎とした判断をすることはできない。被害者がいないのなら、被害者の住所を秘匿する必要性もないのだから、本申立を却下すべき正当な理由はない。

以 上
事件番号 令和4年(行ク)5号
基本事件 令和3年(行ウ)第7号
原 告  原告
被 告  国 外3名

文書提出命令申立書(補足)

令和4年8月26日

熊本地方裁判所民事第3部合議C係 御中

原告  原告  

1 求釈明
 原告は自らが支援措置の必要性の要件を満たす加害者でないと主張している。そして、被告らも原告が支援措置の必要性の要件を満たす加害者とは主張していないが、被告らは原告が支援措置の必要性の要件を満たす加害者であることを前提とする主張を繰り返している。
 そのため、被告らは原告が支援措置の必要性の要件を満たす加害者と主張するかについて、被告らに釈明を求められたい。
 また、仮に被告らが原告が支援措置の必要性の要件を満たす具体的加害行為があったと主張するのであれば、その具体的内容についても、被告らに釈明を求められたい。
 なお、原告は支援措置の必要性の要件を以下のア~エ(甲1)であることを前提にしている。

ア 配偶者暴力防止法第1条第2項に規定する被害者であり,かつ,暴力によりその生命又は身体に危害を受けるおそれがある方。
イ ストーカー規制法第7条に規定するストーカー行為等の被害者であり,かつ,更に反復してつきまとい等をされるおそれがある方。
ウ 児童虐待防止法第2条に規定する児童虐待を受けた児童である被害者であり,かつ,再び児童虐待を受けるおそれがあるもの又は監護等を受けることに支障が生じるおそれがある方。
エ その他アからウまでに掲げる方に準ずる方。

 そのため、被告らは上記ア~エが支援措置の必要性の要件とすることを争うのかや、仮に被告らが上記ア~エとは異なる定義を支援措置の必要性の要件としている場合、その具体的定義やその出典についても被告らに釈明を求められたい。
 本申立てにしても基本事件にしても、ここを曖昧にされたままだと原告は的確な攻撃防御が困難であるし、無駄で不毛な反論のために時間や手間を浪費させられることになっている。
 なお、後述する弁論主義により、本求釈明の実施や被告らの回答の有無にかかわらず、被告らが原告を支援措置の必要性の要件を満たす加害者とする主張をしないかぎり、裁判所は原告を支援措置の必要性の要件を満たす加害者であることを前提にした判断をすることはできない。

2 弁論主義
 「弁論主義」でググると以下のような説明があった。

第1テーゼ「裁判所は,当事者のいずれもが主張しない事実を,裁判の基礎にしてはならない。」
第2テーゼ「裁判所は,当事者間で争いのない事実に反する事実を裁判で採用してはならない。」
第3テーゼ「当事者間に争いのある事実ついて証拠調べをするときは,当事者の申し出た証拠によらなければならない」

 さて、被告らが原告を支援措置の必要性の要件を満たす加害者とする主張をしていない状況において、裁判所は原告を支援措置の必要性の要件を満たす加害者であることを基礎としてはならない。被告Aを支援措置の必要性の要件を満たす被害者であるとの主張を被告らがした場合も同様である。
 そして、被告らがこの主張をしていない現状において、弁論主義の第2テーゼにより、裁判所は当事者間で争いがない事実である、原告が支援措置の必要性の要件を満たす加害者でないことに反する事実を採用できない。このことは、原告の加害行為による支援措置の必要性の要件を満たした被害者が存在するとの事実を採用できないことを意味する。換言すれば、裁判所は原告が支援措置の必要性の要件を満たす加害者ではないことや、原告の加害行為による支援措置の必要性の要件を満たした被害者が存在しないことを判断の基礎としなければならない。
 そうすると、被害者が存在しないのだからその被害者を保護・支援する必要性も存在しないことになる。よって、被告Aが住所の推知を防がなければならない被害者であることを前提にした被告らの主張は全て失当である。

3 本申立ての必要性
 被告Aは、支援措置の申出について、自治体職員等からの助言で様々な手続きを順次あるいは同時並行で行ったために詳細は記憶していないとしている。そうすると尚更のこと、本件支援措置決定が適正であったかを検討するためには当初受付市区町村の本件支援措置決定における決定過程が明らかにされなければならないのだから、当初受付市区町村の具体的名称が明らかにされる必要がある。
 ちなみに、被告Aは支援措置の申出前の原告の言動を既に書面で主張しているのだから、その原告の言動のいずれが支援措置の必要性の要件に該当するのかを、被告Aの代理人弁護士が判断し、それを本申立てや基本事件で主張立証すれば良いだけのことである。つまり、原告の具体的加害行為について被告Aは主張可能なことを主張していないのだから、弁論主義の第2テーゼにより、原告を支援措置の必要性の要件を満たす加害者とすることはできない。
 また、被告熊本市や被告Aは、被告Aの住所を推知させる情報を明らかにできないとしているが、被告らから被告Aが支援措置の必要性の要件を満たす被害者であるとの主張がされておらず、仮にその主張がされていたとしても裏付けとなる具体的事実の立証がされていないのだから、相談機関等や当初受付市区町村の具体低名称から被告Aの住所が推知される具体的おそれが高いかを検討するまでもなく、被告Aの住所を秘匿する必要があるとはいえない。
 つまるところ、被告らが被告Aを支援措置の必要性の要件を満たす被害者と主張するなら、まずそれを明確に主張し、立証もしなければならない。そうしたら原告も具体的に反論するから。で、被告らがこの主張をしていないなら、弁論主義に反することになる被告Aを支援措置の必要性の要件を満たす被害者であることを前提にした判断を本申立てや基本事件ですることはできない。被告Aが支援措置の必要性の要件を満たす被害者でなくても住所を秘匿しなければならない被害者扱いできるかといえば、既に述べたように地方自治法第10条2項、同第14条2項によりできない。そもそも、なぜ被告らが原告を支援措置の必要性の要件を満たす加害者だと明言にしないかといえば、原告を支援措置の必要性の要件を満たす加害者と明言したら虚偽になることが分かっているからと解するのが妥当である。
 よって、本申立ては認められなければならない。

4 被告熊本市の令和4年8月19日付の書面について
(1) えっと、裁判官が「こいつ死ね」と思ったら、法律とか要件とかに関係なく死刑にできるのかな? だとしたらその法文上の根拠を知りたいものだが。あ、そういう法文上の根拠がなくても裁判官には国民の自由を制限する権限があるとでも? もはや法治国家じゃないね。
 つまるところ、被告熊本市の主張は上記のようなことであり、福岡高裁等の裁判官らが「申立人が相手方の居住地を認識する事態は避けなければならない」と思ったとしても、裁判官らが法令を逸脱して原告のひとしく住民サービスを受ける権利(地方自治法10条2項)を制限することはできない。裁判官らが法令を逸脱して法的根拠なく原告の権利を制限するならば、それが裁判官らの違法行為であることは明らかである。三権分立の意義を理解しようね。三権分立は裁判官の暴走を抑えるための制度でもあるし、「法の支配」も同様、裁判官は法の枠内でしか判断をしてはならず、裁判官に法を逸脱して原告の自由を制限する権限はない。
 それに、地方自治法第14条2項「普通地方公共団体は、義務を課し、又は権利を制限するには、法令に特別の定めがある場合を除くほか、条例によらなければならない。」も既に述べたでしょ。で、本件不交付決定処分の法的根拠は、住民基本台帳法第12条6項「市町村長は、第一項の規定による請求が不当な目的によることが明らかなときは、これを拒むことができる。」。この中の「不当な目的によることが明らかなとき」の要件が、支援措置制度で具体的に規定されている、本書面でも引用した前記のア~エ。だから、原告が支援措置の必要性の要件を満たす加害者であるかが本申立てでも基本事件でも重要な争点である。
 よって、高裁の裁判官らが「申立人が相手方の居住地を認識する事態は避けなければならない」と思ったとしても、それは原告のひとしく住民サービスを受ける権利(地方自治法10条2項)を制限する理由にならないし、法令上も、原告に支援措置の必要性の要件を満たす加害行為はなかったのだから、本件不交付決定処分は法を逸脱した違法なものであったし、本申立についても、原告が支援措置の必要性の要件を満たす加害行為であることが立証されないかぎり、被告Aを居住地を秘匿しなければならない支援措置の必要性の要件を満たす被害者であることを前提にした判断をすることはできない。

(2) 被告熊本市は、福岡高裁等が加害者であるという属性によって判断しているものではなく、原告のこれまでの言動や態度をもとに判断しているとしている。
 これ、単なる無意味な言い換えね。まあ、これに騙されるような低能な裁判官を想定しているか、故意に不当判断をしようとする悪質な裁判官に対してなら無意味でないのかもしれないが。
 福岡高裁は「抗告人は自らの言動や態度が面会交流に関する紛争を招いていることを認識することなく、抗告人の申し立てる面会交流が認められれば、当時者間の紛争がなくなるなどと主張するものであり、抗告人の主張を採用する余地はない。」としている。原告が申立てた面会交流や、主張の中で提案した面会交流の方法であれば、紛争は生じず、子らの利益にも適った父子交流や兄弟交流ができていたが、福岡高裁が書いているように、福岡高裁は原告の主張を検討していない。大切なのはここだね。父子交流や兄弟交流が子らの利益を増進するものであることは既に述べたし、法文上も「子の利益を最も優先して考慮しなければならない」(民法766条1項)とあるんだから。それなのに福岡高裁は、「加害者」との表現を使わないとしても、原告のこれまでの言動や態度を理由として、原告が主張を審理しないという挙に出ている。さ、裁判当事者のこれまでの言動や態度という属性は、その裁判当事者の主張を無視する正当な理由になるのか、更に「属性」との言葉も使わないとしたら、「裁判当事者のこれまでの言動や態度を理由にその裁判当事者の主張を無視することは正しい裁判だ」と言えるのか、その法的根拠はあるのか、逃げずにきちんと答えましょう。福岡高裁等の判断がまともであるのかはこのこと次第で大きく左右されるのだから。ちなみに、ここでの趣旨は「裁判官が裁判当事者の主張を無視しても構わない合理的理由はあるのか」「裁判官が裁判当事者の結果に影響を与える可能性が否定されていない主張を無視することがまともな判断と言えるのか」かな。だから加害者だろうが何であろうが、ともかく無視した、検討をしていない、だから検討した形跡もない、だからその判断が適切かどうかの判断をすることができず、だから上訴や裁判官の違法で提訴するにあたっての攻撃防御に必要な情報が提示されていないことが不適切なのである。
 なお、原告が主張した面会交流の方法であれば、紛争は生じず、父子交流や兄弟交流によって子らの利益が増進できていたことは既に述べたとおりであり、福岡高裁等がこの原告の主張を排斥する具体的理由を説明できておらず、被告Aや福岡高裁等が父子交流や兄弟交流を断絶することで子らの利益を損ねたことも、既に述べたとおりである。
 ちなみに、仮に福岡高裁等が原告の主張を無視しておらず、福岡高裁等は原告の主張も含めて子の利益を最も優先して検討したというのなら、論より証拠、きちんとそれが分かる具体的記載部分を明示するように。「福岡高裁等は原告が主張した方法が子の利益に反することになる具体的理由を何も書いていないけど、書いていないだけできちんと総合考慮したはずだ」といった根拠のない妄想を前提にする態度が合理性に欠けることは、説明不要だよね?

(3) 原告の「被告Aは緊急一時保護の対象ではなかった」との主張に対して、被告熊本市は、被告Aが別府市の判断により緊急一時保護をされたことを理由に、原告の主張には理由がないとしている。
 これ、なんか意味あるの? 原告は被告Aは緊急一時保護の対象ではなかった理由を具体的に述べることで、被告Aを緊急一時保護した別府市の判断を誤っているとしているのだが。。。被告熊本市の主張は何ら根拠なく別府市の判断が正しかったことを前提にしているものなのだから、これが原告の主張に対して何ら合理的反論になっていないのは明らかである。

(4) 期日の前日に書面が届くとかやめてほしいものだが。。。

5 福岡高裁等の判断の違法性
 福岡高裁等の判断の違法性を追記。福岡高裁等の判断は、二男が成人して被告Aの二男に対する親権や監護権が消失した後にも効力が及ぶ内容になっている。で、二男が成人した後も原告が二男と交流するのに被告Aとの協議が必要とする法的根拠は何? あるいは、成人した我が子と交流するのに裁判所の許可が必要な法的根拠は何? まあ、そんな法的根拠はないね。だから、福岡高裁等が条件成就までの間ではあっても、事実上、その条件成就までは無期限に効力を持つ決定により、被告Aの二男に対する親権や監護権が消失する二男が成人した後にも、原告が二男と交流するのに被告Aとの協議成立か裁判所の許可が必要だとした判断は、法的根拠なく父子交流を不当に制限する違法なものであった。
 そもそも、面会交流の法的根拠である民法766条各項にしても、「子(未成年者)」を対象にしたものでしょ? それとも、子が成人した後も父母が離婚するときには親権者を決めるの? 違うでしょ? だったら、親子関係があったとしても子が成人したら民法766条は無効でしょ? それなのに無期限に効力を持つ決定により、二男が成人して未成年者が存在しなくなっても効力が継続する決定をしているのは、民法766条各項が面会交流について定めた法律効果の範囲を明らかに逸脱している。そうすると、福岡高裁等は裁判官としての権限を逸脱して原告の権利を制限する決定をしているのだから、福岡高裁等による決定の違法性は明らかである。
 そして、違法な決定を前提にした判断も違法なものになるのは当然なのだから、仮に本申立てで福岡高裁等の判断を前提にするのであれば、上記した福岡高裁等の違法性に関する主張について、裁判官らの判断を明らかにしなければならない。

6 相談機関等や当初受付市区町村を秘匿する合理的理由がないことについて
(1) 熊本市東区長は、令和4年8月22日、原告に戸籍全部事項証明書を交付しており(甲17)、その中には被告Aの令和3年7月6日時点で戸籍に登録されている住所や、二男の令和3年8月30日時点で戸籍に登録されている住所(どちらも同住所で「■■■■■■■■■■■■■■■」)が記載されていた。
 そうすると、そもそも支援措置制度における被害者に該当していない被告Aの居住地を秘匿しなければならないとすること自体に合理性がないが、それを措くとしても、原告は令和3年8月時点での二男や被告Aの居住地を認識しているのだから、これよりも過去となる被告Aが支援措置の申出た時点(令和2年11月2日)での被告Aの居住地が、仮に相談機関等や当初受付市区町村の具体的名称から推知される可能性が、その可能性を危惧しなければならないほど具体的な高確率であったとしても、それを原告に知られることが実質的な被害者保護に反する具体的事情になることはありえない。
 だって、相談機関等や当初受付市区町村から被告Aの現在の居住地を推知できる具体的可能性が高いかを検討するまでもなく、原告は本件支援措置の申出(令和2年11月2日)より後(令和3年8月30日)の被告Aの居住地を認識しているのだから、相談機関等や当初受付市区町村を秘匿しなければならない合理的理由は皆無でしょ。
そもそも前回の期日で裁判官は当初受付市区町村を隠す必要があるとは思っていいないと言っていたが、これで尚更、被告らが主張する本申立てを却下すべき理由はなくなったね。

(2) あと、民事訴訟法220条4号ロに「公務員の職務上の秘密に関する文書でその提出により公共の利益を害し、又は公務の遂行に著しい支障を生ずるおそれがあるもの」とあるようことから、「公務員の職務上の秘密」で、かつ、「公共の利益を害し、又は公務の遂行に著しい支障を生ずるおそれがあるもの」も文書提出を拒む理由になるようだが、原告は本件支援措置申出より後の二男や被告Aの住所を認識しているのだから、相談機関等や当初受付市区町村の開示が公共の利益を害したり、公務の遂行に著しい支障を生ずるおそれがあるといえる実質的理由はない。
 まあ、「市区町村は支援措置の必要性の要件を満たしておらず、相談機関等が支援措置の必要性の確認をしていない支援措置申出でも支援措置決定をしてくれるから、容易に子と別居親との断絶に支援措置制度が利用できるし、相談機関等や当初受付市区町村を明らかにしないことで、その支援措置決定が適正なものであったかの検証もできないようにしてくれる」といった、支援措置申出をした私人からの上記のような信頼は失うかもしれないが、このような信頼が保護に値しないものであることは言うまでもない。
 なにより、本件支援措置決定がなければ原告は二男の居住地を戸籍附票の交付申請によって知ることができるのだから、被告Aが支援措置の必要性の要件を満たす被害者であることが立証されておらず、その内容について原告に攻撃防御の機会を保証するための、原告の支援措置の必要性の要件を満たす具体的加害行為も特定した主張がされていない以上、本申立てを却下する合理的理由はない。
 そうすると、本申立は速やかに認められなければならない。

(3) ちなみに、原告が二男や被告Aの居住地を認識したとしても、二男や被告Aに具体的危惧が生じるおそれがないことは、既に述べたとおりである。だって、具体的危惧が生じる根拠となる、原告の被告Aに対する支援措置の必要性の要件を満たす具体的加害行為がなかったのだからね。それでも、もし原告が長男と一緒に二男の居住地に行って二男と会ったとしたらどのような恐ろしいことが生じるのだろうか? 断絶前の父子関係や兄弟関係を根拠にすれば、原告や長男が二男に会うことで良好な父子交流や兄弟交流ができて、子らが楽しく過ごすおそれが高い。あれ? これって避けなければならないことなの? まあ、被告Aにとっては二男がまた原告に懐くかもしれないということが具体的危惧なのだろうし、だからこそ、親が子に会いに来てくれるという、本来は好ましい出来事であっても、被告Aは父親から二男への愛情を断絶して二男を会わせないことで紛争を生じさせ、その紛争を更なる父子交流や兄弟交流を断絶する口実に利用しているのだろうが。でもこれって、二男が事情を理解するようになれば被告Aに対して否定的感情や葛藤を抱くようになるものなのだが。だって、「僕はお父さんやお兄ちゃんといつも楽しく過ごしていたけど、お母さんはお父さんとお兄ちゃんが僕に会いに来てくれたとき、僕を会わせないようにしてくれたし、僕がお父さんやお兄ちゃんと楽しく過ごす機会を奪うために転居もしてくれたんだよね。おかげで僕はずっとお父さんやお兄ちゃんに会えていないし、転居しても学校での不適応が長期化してるんだ。お母さん本当にありがとう。」となるとでも? ここで福岡高裁等の決定を振り返ろう。そもそも、被告Aが父子交流や兄弟交流に適切な配慮ができていれば紛争は生じなかったが、被告Aにその資質が欠けていても、被告Aが父子交流や兄弟交流を妨げることを禁止する決定をしていれば紛争は生じず、父子交流や兄弟交流も単に楽しいだけではなく、二男の健全な成長に資するための交流をしていくことができた。だから、福岡高裁等が原告の主張を属性を理由に審理していないことは、長期にわたって子らの利益を蔑ろにしたものであった。
 ということで、支援措置の必要性の要件に含まれていない、被告Aの主観的な恐怖感ないしは二男に対する独占支配が崩れることの不安は、父子交流や兄弟交流を断絶する正当な理由にならないし、原告がひとしく住民サービスを受ける権利を制限する正当な理由にもならない。住民基本台帳法第12条6項にしても不交付にできるのは「請求が不当な目的によることが明らかなとき」と、交付申請者の目的が判断基準の対象であることが明確に規定されているのだから、交付請求した戸籍附票に記載されている者やその母親がどのような認識や感情や体調等を持っているかは、住民基本台帳法第12条6項の判断基準に含まれていない。
 ここも法治国家であることを大事にしましょう。支援措置の必要性の要件にも、住民基本台帳法第12条6項にも、被害者を自称する者の認識や感情や体調等といったものは要件に含まれていないのだから、支援措置決定や戸籍等の不交付決定において、被害者を自称する者の認識や感情や体調等といったもの理由にすることが、法的根拠がない違法な判断であるのは言うまでもない。
 なお、被告Aが以前に二男を巻き込み転居したことも二男の利益を著しく損ねる行為であったが、更に同様のことを繰り返すのであれば、それも被告Aが二男の利益よりも、父子交流や兄弟交流を断絶させて二男と独占支配することを優先する歪んだ認識を持っていることを立証することになるだろう。そもそも、被告Aに転居の可能性があるとしてもそれは支援措置の必要性の要件に入っていないし。
 また、前記した戸籍全部事項証明書の交付に関して、被告らが相変わらず原告が支援措置の必要性の要件を満たす加害者でないことを無視して、漫然と被告Aを被害者扱いした言動をする場合も、著しく不適切であると指摘しておく。

以 上

付録3

裁判官を検証するための基礎知識
1 裁判官の理由提示義務
 裁判官はその判断の理由や結果を書面に記すことが義務付けられている。たとえば民事訴訟法だと、「253条 判決書には、次に掲げる事項を記載しなければならない。一 主文 二 事実 三 理由 四 口頭弁論の終結の日 五 当事者及び法定代理人 六 裁判所」とある。同様の規定は、家事審判だと家事審判手続法76条2項にある。
 ちょっと想像してみよう。もし判決書に主文しか書かれていないならば、裁判官の判断理由や、当事者の主張や証拠をどのように採用、あるいは不採用にしたのかが分からない。裁判官の判断に誤りがあったとしても隠蔽され、上訴をしたくても具体的主張をすることが不可能になる。
 法律が規定している理由提示義務について、最高裁判所第三小法廷判決昭和60年1月22日(民集第39巻1号1頁)の判示がある。この判例では旅行法第14条について、単に根拠規定を示すだけで、基礎となった事実関係が具体的に示されていない場合、理由付記に不備があるため違法であるとしている。更に補足意見では理由付記の不備が違法である理由として、理由付記が拒否事由の有無について慎重さと公正さを担保してその恣意を抑制するとともに、拒否理由を申請者に告知することによつて、不服申立てに便宜を与えるためとしている。
 より近年で右判例を踏襲したものとしては最高裁判所第三小法廷判決平成23年6月7日(民集第65巻4号2081頁)がある。この判例でも、行政手続法第14条1項の規定は、行政庁の判断の慎重と合理性を担保してその恣意を抑制するとともに、処分の理由を名あて人に知らせて不服の申立てに便宜を与えるという点にあり、同項本文の定める理由提示の要件を欠いた違法な処分は取消しを免れないというべきであるとしている。
 さて、既に述べたように、民事訴訟法253条、家事審判手続法76条2項にも理由付記が規定されている。そのため、これらが規定する理由付記についても、裁判官の慎重さと公正さを担保してその恣意を抑制し、不服申立てに便宜を与えるものでなければならず、そうでなければ裁判の公正性は担保されないし、裁判官の恣意的判断は抑制されず、判断理由に即した有効な上訴も不可能になる。むしろ、行政の決定に対しては審査請求や行政訴訟においてその正当性を問う機会があるが、裁判では終局的な判断がされるのだから、旅行法や行政手続法で規定されている理由付記以上に、裁判での理由提示義務には、裁判官らの判断の慎重と合理性を担保してその恣意を抑制するとともに、判断理由を当事者に知らせて不服の申立てに便宜を与えるものでなければならないというべきである。当然、上訴できるからと1審であれば適当な理由提示でかまわないといったことにはならない。

Tips_2_1(Bard)
問:
 裁判官は、裁判当事者の主張に対する採用不採用の合理的理由を判示すべきか。

回答:
 はい、裁判官は裁判当事者の主張に対する採用不採用の合理的理由を判示すべきです。裁判は、当事者の主張を争う民主主義の根幹を支える制度です。裁判官は、当事者の主張を公平かつ公正に審理し、合理的な判断を下す必要があります。そのためには、裁判官は、裁判当事者の主張に対する採用不採用の理由を明確にする必要があります。裁判当事者や一般市民は、裁判官の判断の理由を理解することで、裁判の公平性と信頼性を高めることができます。
 裁判官が裁判当事者の主張に対する採用不採用の合理的理由を判示しない場合、裁判の公平性と信頼性が損なわれる可能性があります。例えば、裁判官が裁判当事者の主張を採用しない場合、裁判当事者は、裁判官が自分の主張を認めなかった理由を理解することができず、納得できない可能性があります。また、裁判官が裁判当事者の主張を採用しない場合、一般市民は、裁判の公平性を疑う可能性があります。
 裁判官は、裁判当事者の主張を争う民主主義の根幹を支える制度です。裁判官は、当事者の主張を公平かつ公正に審理し、合理的な判断を下す必要があります。そのためには、裁判官は、裁判当事者の主張に対する採用不採用の理由を明確にする必要があります。

2 裁判官の理由付記に関する能力
 裁判官の理由付記については、以下の指摘もある。
 「採用するに足りないとか、これを認めるには足りないとか、国語力だけでつぶす人もいるんですけど、それでは説得力がないし、『こんな理由ではねたの?』とみんなに思われてしまうと、その裁判官のプライドにかかわるんですよね。それはすごく嫌なんです。当事者、代理人に見られるのも嫌だし、もちろん高裁の裁判官に見られるのも嫌だしね。だから、『確かにこういう証拠はあります。しかし、こう考えると、これはダメです。』と、反対証拠を説得力をもってつぶすのが裁判官の能力だとみんな思っているので、そこにものすごい時間がかかるんですよ。」(岡口基一「裁判官は劣化しているのか」羽鳥書店、2012)。
 さて、上記の指摘が当てはまらない裁判官もいることに本書面を読み進めることで気づくかもしれない。つまり、説得力のない判示を書いても気にしないし、そこにプライドを持つ矜持もない裁判官である。
 むしろ、反対証拠を説得力をもって潰すのが裁判官の能力のバロメーターというのなら、反対証拠を説得力をもって潰すことができない裁判官は、低能ということになろう。それどころか、反対証拠を採用しない合理的理由を提示できていないのならば、民事訴訟法253条3項や家事審判手続法76条2項の二が規定する理由付記に反する違法裁判官ということにもなる。
 そもそも単純に考えて、反対証拠を説得力をもって潰せないのなら、その証拠は正しいと判断すべきなのではないか。少なくとも、その証拠の矛盾や、より説得力のある証拠の存在を示す等で、その証拠を採用しない合理的理由を明らかにすべきである。
 また、裁判官に対する幻想を捨て去れば、裁判官がその地位を利用して恣意的判断をするため、説得力をもって潰すことができなかった反対証拠は無視することで恣意的判断を強行したのではないかとの疑義が生じるのは、当然の帰結である。

Tips_2_2(Bard)
問:
裁判官が反対証拠を説得力をもって潰せているかに、裁判官の能力の一面が表れるか。

回答:
 はい、裁判官が反対証拠を説得力をもって潰せているかに、裁判官の能力の一面が表れます。裁判官は、両当事者から提出された証拠を検討し、真実を明らかにする必要があります。そのためには、反対証拠を理解し、その論理的な誤りを指摘する能力が必要です。反対証拠を説得力をもって潰すことができれば、裁判官は公正かつ適切に判決を下すことができると評価されます。
裁判官が反対証拠を説得力をもって潰せていない場合、次の理由が考えられます。

反対証拠を理解していない。
反対証拠の論理的な誤りを指摘する能力がない。
反対証拠を無視している。
反対証拠を受け入れたくない。

 裁判官は、反対証拠を公平かつ客観的に検討することが重要です。反対証拠を理解し、その論理的な誤りを指摘する能力があれば、公正かつ適切に判決を下すことができます。

3 一括不採用の検証不可能性(魔女っ子裁判官)
 裁判官が理由付記ならぬ理由不記をする手段として、以下のものがある。
 「あまりにも多くの意味のない主張がされた場合、それらをまとめて排斥する例がないわけではない。その場合、判決には『控訴人は、るる主張するが、いずれも採用するに足りない』などと記載される」(岡口基一「最高裁に告ぐ」132頁、岩波書店、2019)。
 岡口基一はこのように述べているが、「るる」が意味のない主張の排斥のみに使われているのと断言できる根拠はあるのだろうか。むしろ、この「るる」は容易に悪用可能である。つまり、裁判官が恣意的判断をするのに都合が悪い主張や証拠を一括で排斥するのに悪用している可能性である。そしてこの可能性が否定されないかぎり、その裁判官の結論が合理的理由によって導かれたものであるとは言えない。
 たとえて言えば、「私、魔法少女ルル。合理性判断なんてバカみたいよね。私が『るる(縷縷)~』と唱えたら、どんな都合が悪い主張でも全部誤魔化せちゃうの。矛盾する主張や証拠は触れなければOK! 書きやすい理由だけ書いて、あとは『るる(縷縷)~』って誤魔化したら一応それっぽい文章になるしね。これでどんな恣意的判断も好き勝手に自由自在よ♪」という裁判官の態度だと言えるだろう。
 上記した岡口基一の指摘についても、もはや国民は裁判官に対して、「意味のない主張にしか“るる~”を唱えない」との根拠がない信頼感を向けておらず、むしろ、恣意的判断をするため、都合が悪い主張は「るる~」と唱えて誤魔化していると考えるのが、合理的と言える。そのため、裁判官が「るる~」を唱えた場合、それが意味のない主張にしか使っていないのか、それとも、恣意的判断をするために合理的理由をもって排斥できない主張に答えていないことを誤魔化す手段として「るる~」と唱えていないかを検証しなければならず、その検証可能性のために裁判官は判断理由を具体的に記載しなければならないが、それは結局、全ての主張について、それを採用する理由、あるいは、排斥する理由を具体的に記載する必要があるということなのだから、結局のところ、裁判官が「るる~」と囀ることは国民にとって、裁判所に対する不信感を深めるだけで、何のメリットもない。むしろ、裁判官の魔法少女ルル化という意味では有害である。
 これは法の支配にとって非常に恐ろしいことであり、裁判官の魔法少女ルル化は、当事者がどんなに合理的に主張し、十分な証拠を示したとしても、裁判官の資質次第でそれらを一括で排斥しての恣意的判断が可能ということである。
 最初に述べたように、権力は腐敗する。裁判官に悪意(ヒラメ根性も含む)があれば、どんな主張立証も無視して恣意的判断が可能という法制度は、法の支配の前提である公正な裁判に対する重大な危機である。
 そのため、裁判官の独立は保障されるとしても、その判断の根拠が適切であるかの合理性は検証されなければならず、その検証が不可能である理由提示が不十分な判示は、それ自体が家事審判手続法第76条2項が定める理由提示義務に反していると言わざるをえない。

Tips_2_3(Bard)
問:
 裁判官が都合が悪いが合理的理由をもって排斥できなかった主張立証を無視するために、「控訴人は、るる主張するが、いずれも採用するに足りない」との表現を使っている場合、公正で透明性のある裁判になっているか。

回答:
 いいえ、裁判官が都合が悪いが合理的理由をもって排斥できなかった主張立証を無視するために、「控訴人は、るる主張するが、いずれも採用するに足りない」との表現を使っている場合、公正で透明性のある裁判になっているとは言えません。裁判は、当事者の主張立証を公平に審理し、判決を下すことが重要です。裁判官が都合が悪い主張立証を無視することは、公平な審理を妨げ、裁判の透明性を損なうことになります。

4 独自の見解裁判官
 裁判官の知性に疑義が生じる態度として、「独自の見解裁判官」がある。これは「独自の見解」とのレッテルさえ貼れば,主張を排斥する理由になると思い込んでいる裁判官の一形態である。しかし「独自の見解は採用できない」を換言すれば、「少数派の見解は間違っているに違いない」、「主流派の見解は常に正しい」と言っているのと同義の、何の合理性もない判断であり、そこに少数派に対する弱者救済や、合理的思考といったものは全く存在しない。当然、検証可能性も皆無である。歴史を振り返っても、当時の社会では受け入れられなかった「独自の見解」が、後世で正しいことが証明された事例は枚挙に暇がない。小学生でも分かるたとえを挙げれば、ガリレオ・ガリレイの地動説もこれに該当するだろう。「独自の見解」であることを理由に当事者の主張を排斥することは、事実上、新しい考え(独自の見解)は無条件に間違っているとするのと同様の、老害の典型的な見本というべき醜悪な態度である。

Tips_2_4(Bard)
問:
裁判官が、裁判当事者の主張を「独自の見解」であるとの理由のみで排斥している場合、公正で透明性のある裁判になっているか。

回答:
 裁判官が、裁判当事者の主張を「独自の見解」であるとの理由のみで排斥している場合、公正で透明性のある裁判になっているとは言えません。裁判は、すべての当事者に公平な審理を受ける権利を保障することが重要です。裁判官は、当事者の主張を慎重に検討し、その主張が合理的で、証拠に基づいたものであるかどうかを判断する必要があります。裁判官が当事者の主張を独自の見解であるとして排斥するだけでは、裁判の公正性や透明性は担保されません。
裁判官は、当事者の主張を排斥する際には、その理由を明確にする必要があります。また、当事者が排斥された主張について、再び主張する機会を与える必要があります。裁判官がこれらの点を考慮することで、より公正で透明性のある裁判を行うことができます。

5 ただちでなかったら無問題裁判官
 「(ただちに)~ない裁判官」の知性にも疑義が生じる。これは「(ただちに)~ない」とさえ言えば,どんな不合理でも誤魔化せると思い込んでいる裁判官の一形態である。そもそも、“ただち”でなかったら問題ないのか、結局、長期的に見れば影響があることを否定できないということではないのか。そのような疑問からすれば、「(ただちに)~ない」だけで排斥している裁判官の態度がまともな合理的理由を提示できていないことは明らかである。

Tips_2_5(Bard)
問:
裁判官が、「(ただちに)~ない」と、長期的な影響を考慮せずに即時に影響が出ていなければ問題ないとする判断をすることは、公正で透明性のある裁判になっているか。

回答:
 裁判官が、直ちに影響が出ていなければ問題ないとする判断をすることは、公正で透明性のある裁判とは言えません。裁判は、当事者双方の言い分を十分に聞いて、正義に基づいて判断すべきものです。直ちに影響が出ていなくても、長期的に悪影響を与える可能性がある場合は、裁判官はそれを考慮して判断する必要があります。
 例えば、環境問題に関する裁判で、ある企業が環境汚染を起こしていると訴えられたケースを考えてみましょう。この場合、企業は、直ちに環境汚染が起こっていないと主張するかもしれません。しかし、裁判官は、企業の活動が長期的に環境に悪影響を及ぼす可能性があるかどうかを慎重に検討する必要があります。もし、企業の活動が長期的に環境に悪影響を及ぼす可能性があると判断された場合、裁判官は、企業に環境汚染を防止するための措置を講じるよう命じるべきです。
 裁判官は、公正かつ透明性のある判断をするために、当事者双方の言い分を十分に聞き、正義に基づいて判断する必要があります。直ちに影響が出ていなくても、長期的に悪影響を与える可能性がある場合は、裁判官はそれを考慮して判断する必要があります。

6 不意打ち裁判官
 裁判所が当事者間で争点になっていない新たな法的見解を採用するつもりならば,その争点について当事者に主張立証の機会を与えなければならず,それをしていない釈明権の行使を怠った判断は違法である(最高裁判所平成22年10月14日判時2098号55頁)。このような違法を犯す裁判官が「不意打ち裁判官」である。

Tips_2_6(Bard)
問:
裁判官が判決文において突然に、当事者間で争点になっていない新たな法的見解を出すことは、公正で透明性のある裁判になっているか。

回答:
 裁判官が、判決文において、当事者間で争点になっていない新たな法的見解を出すことは、公正かつ透明性のある裁判とは言えません。裁判は、当事者双方の言い分を十分に聞いて、正義に基づいて判断すべきものです。当事者間で争点になっていない新たな法的見解を出すことは、当事者双方にとって予想外であり、公正な裁判とは言えません。
裁判官は、公正かつ透明性のある判断をするために、当事者双方の言い分を十分に聞き、正義に基づいて判断する必要があります。当事者間で争点になっていない新たな法的見解を出すことは、当事者双方にとって予想外であり、公正な裁判とは言えません。

7 ようするに裁判官
 これも合理性に欠いた裁判官の一形態で、当事者の主張を「ようするに」との言葉に続けて言い換えることで、都合が悪いが合理的理由をもって排斥できない当事者の主張を無視したことを誤魔化す手口である可能性が疑われる。
 裁判官盲信教や裁判官狂信教の信者でなければ、裁判官であっても判断を誤る場合があることを否定する者はいないだろう。だからこそ、裁判官はその判断の理由を明らかにすることで、当事者に不服申立ての便宜を与えるものでなければならない。
 そうすると、当然、この「ようするに裁判官」はまともな判断理由の提示をしていないのだから、その判断に誤りがあったとしても、適切な理由を記載しての上訴をすることが困難になる。むしろ、裁判官は適切な上訴をさせないために故意にこのような「ようするに裁判官」になっているのかもしれないが、それが不適切であるのは言うまでもない。

Tips_2_7(Bard)
問:
裁判官が「ようするに」との言葉に続けて当事者の主張を言い換え、当事者の主張に対する判断を示さず、事実上、都合が悪いが合理的理由をもって排斥できない当事者の主張を無視したことを誤魔化す手口を使うことは、公正で透明性のある裁判になっているか。

回答:
 裁判官が「ようするに」との言葉に続けて当事者の主張を言い換え、当事者の主張に対する判断を示さず、事実上、都合が悪いが合理的理由をもって排斥できない当事者の主張を無視したことを誤魔化す手口を使うことは、公正で透明性のある裁判とはいえません。
裁判官は、当事者の主張を正確に理解し、その主張に対する判断を示す必要があります。また、当事者の主張が合理的理由をもって排斥できない場合は、その主張を認めなければなりません。裁判官が「ようするに」との言葉に続けて当事者の主張を言い換え、当事者の主張に対する判断を示さず、事実上、都合が悪いが合理的理由をもって排斥できない当事者の主張を無視したことを誤魔化す手口を使うことは、これらの義務に違反するものです。
このような手口が使われると、当事者は裁判官が自分の主張を正確に理解し、その主張に対する判断を下していないと感じてしまいます。また、当事者の主張が合理的理由をもって排斥できないにもかかわらず、その主張が認められないと感じてしまいます。このようなことが続けば、当事者は裁判制度に不信感を抱くようになり、裁判制度の公正性や透明性が損なわれてしまいます。

8 裁判官の科学的態度について
 心理学者で元新潟大学教授であった鈴木光太郎は、科学とは絶対的真実を認めず、常に誤りを修正し続ける活動であると述べるとともに、以下のようにも述べている。
 「教科書には正しいことだけが書かれていなければならないとは思っていない。むしろ、誤った記述があっても許されると思う(誤りは直せばよい)。科学は誤ることがあたりまえであって、そもそも科学とは、そうした誤りをたえず書き改めてゆく営みだからだ。私が許されないと思うのは、だれかが誤って書いたものをなにも考えずに受け売りしたり、それを孫引きやひ孫引きしたり、果ては先祖がたどれない引き方をしている場合である。」(鈴木光太郎「オオカミ少女はいなかった 心理学の神話をめぐる冒険」2008年、新曜社)
 さて、裁判官の理由の記載が根拠をたどれない場合、科学的態度に反しているのは明らかである。理由の記載が科学的でないということは、判断自体が合理的でないということでもあり、具体性のない理由付記だと上訴をしたくても具体的主張をすることが不可能という意味においても、裁判官に課せられている理由付記の義務(家事審判手続法76条2項の二等)の履行は、具体的で検証可能性があるものでなければならない。

Tips_2_8(Bard)
問:
裁判官の判断の根拠が不明である場合、そのような裁判官の態度は合理的か。

回答:
 裁判官の判断の根拠が不明な場合、そのような裁判官の態度は合理的ではありません。裁判官は、法に基づいて公正かつ公平な裁判を行うことが期待されています。そのため、裁判官は、自分の判断を支持する根拠を明確に説明する必要があります。判断の根拠が不明な場合、当事者や国民は、裁判官の判断が正当なものかどうかを判断することができず、司法に対する信頼を失うことになります。

9 採証法則
 我が国の裁判は自由心証主義となっていて、たとえば民事だと以下のような条文がある。なお、家事事件においてもこの条文が準用されている(家事事件手続法第79条)。
「民事訴訟法第247条 裁判所は、判決をするに当たり、口頭弁論の全趣旨及び証拠調べの結果をしん酌して、自由な心証により、事実についての主張を採用すべきか否かを判断する。」
 この自由心証主義とは、事実認定や証拠の評価などを裁判官に委ねることである。しかし、これは裁判官の恣意的判断を合法とするものではなく、自由心証主義であっても裁判官の判断は論理法則や経験則に基づく合理的なものでなければならない。これは当然であり、証拠を無視したり曲解したりする権限までもが裁判官に付与されているのかと言えば、これを肯定する者などいないだろう。事実、仮に裁判官の判断が合理性に欠けている場合、最高裁は違法との判断をしている(たとえば、最高裁判所昭和47年4月21日第二小法廷民集26巻3号567頁、最高裁判所平成18年11月14日第三小法廷判決集民第222号167頁、最高裁判所令和3年5月17日第一小法廷判決民集第75巻6号2303頁等)。
 つまり、証拠を適切に判断できていない裁判官は、違法を犯しているということである。

Tips_2_9(Bard)
問:
採証法則とは何か。また、裁判官が裁判当事者が提出した証拠に対する判断を何ら示さず、事実上、証拠を無視する態度をとった場合、そのような裁判官の態度は採証法則に則っているか。

回答:
 採証法則とは、裁判において証拠をどのように扱うべきかを定めた法則です。採証法則は、公平な裁判のために、証拠の収集、提出、評価を規制しています。採証法則に違反した証拠は、裁判で使用することができません。
裁判官が裁判当事者が提出した証拠に対する判断を何ら示さず、事実上、証拠を無視する態度をとった場合、そのような裁判官の態度は採証法則に則っていません。採証法則は、裁判官がすべての証拠を公平に評価し、真実を明らかにすることを要求しています。裁判官が証拠を無視した場合、裁判は公正に行われていないと判断される可能性があります。

10 裁判官の鬼ごっこ
 2020年、アニメ「鬼滅の刃」の劇場版が国内上映映画の興行収入歴代1位になったことで話題になった。このアニメには鬼が出てくるのだが、その鬼のボスのセリフに、「私は何も間違えない」や「私の言うことは絶対である」といったものがある(なお、これらのセリフはアニメだと1期26話にあり、上記した2020年劇場版には出てこない)。
 さて、鈴木光太郎が許されないとしている、先祖をたどれない非科学的な態度は、根拠や原典をたどれないとも換言できる。裁判官の具体的理由が示されていない「その他申立人が主張することは、いずれも採用することができない。」等の記載が正にこれであり、裁判官が採用しなかったことの中に誤りがあったとしても、それを検証することができない右記載は、検証可能性が無いという意味においても非科学的であり、非合理である。そして、なぜ裁判官がこのような記載をするかといえば、その精神性の本質が上記セリフに示されている鬼のボスと同じところにあるからとの結論に至る。つまり、このような裁判官は「黙れ、私は何も間違えない。私の言うことは絶対である。だから判断理由の具体的説明なんかしない。とにかく私が"正しい"と言ったことが"正しい"のだ。」との態度だと言えるだろう。
 なお、一見、傲慢に見える上記セリフであるが、むしろ鬼のボスの精神性は“小物”との評価もされている。なるほど,自らが正しいと思うのならそれを正面から論理展開すれば良いのだから、非論理的な一方的な決めつけでしか語れない姿は、確かに小物なのだろう。
 また、上記セリフはパワハラ発言とも指摘されている。他者の話を聞かず、だから他者の主張の合理性を検証することもなく、自分が過ちを犯す可能性の一切を否定した上記セリフがパワハラに該当するのは当然であるし、裁判官が同様の態度をとる場合も、裁判官の裁判当事者に対するリーガルハラスメント(司法的立場を利用したいじめ)と言えるだろう。
 また、裁判官が判断の合理的理由を示さず、事実上、「黙れ、私は何も間違えない。私の言うことは絶対である。だから判断理由の具体的説明なんかしない。とにかく私が"正しい"と言ったことが"正しい"のだ。」との態度の場合、鬼のボスと類似の精神性であると言えるのだから、裁判官のこのような態度は「裁判官の鬼ごっこ」とでも呼称すべきだろう。
 このような精神性を基礎とした裁判官の判示は、裁判官の慎重さと公正さを担保してその恣意を抑制し、不服申立てに便宜を与えるものになっていないことから、最高裁判所第三小法廷判決昭和60年1月22日(民集第39巻1号1頁)、及び、民事訴訟法253条3項ないしは家事審判手続法76条2項の二に違背していると言わざるを得ない。とはいえ、裁判所が組織的腐敗をしている場合、上記最高裁判例での理由付記の要件を無視して、裁判官には甘々な理由提示義務でかまわないとするのだろうが。より厳格性が求められる裁判において、裁判官に対する理由提示義務が甘々で、裁判当事者が十分な理解に至ることができず、そのため適切な上訴も困難となるようなものでもかまわないするという態度を最高裁がとるのであれば、それは最高裁の裁判官らの良心の欠如を示すものと言えるだろう。
 なお、判例集等では裁判官が判示したものでしか当事者の主張が記載されていないため、裁判官に都合が悪いことは触れていない、つまみ食いした当事者の主張を対象にしか考察がされていないおそれがある。このことは、裁判官の理由不記は隠蔽されやすい構造となっているということである。このような裁判官による隠蔽や理由不記を見える化することも、裁判官の汚職を抑止するために必要である。

Tips_2_10(Bard)
問:
裁判官が判断の合理的理由を示さず、事実上、「黙れ、私は何も間違えない。私の言うことは絶対である。だから判断理由の具体的説明なんかしない。とにかく私が"正しい"と言ったことが"正しい"のだ。」との態度をとっている場合、公正で透明性のある裁判になっているか。

回答:
 いいえ、裁判官が判断の合理的理由を示さず、事実上、「黙れ、私は何も間違えない。私の言うことは絶対である。だから判断理由の具体的説明なんかしない。とにかく私が"正しい"と言ったことが"正しい"のだ。」との態度をとっている場合、公正で透明性のある裁判になっているとは言えません。
裁判は、法に基づいて、公正に行われることが重要です。裁判官は、法の専門家であり、法に基づいて判断を行うことが求められています。裁判官が判断の合理的理由を示さない場合、裁判の公正性が疑われます。また、裁判官が「黙れ、私は何も間違えない。私の言うことは絶対である。」との態度をとっている場合、裁判の透明性が失われ、裁判の公正性がさらに疑われます。
裁判は、国民の権利を守るために重要な制度です。裁判の公正性は、国民の権利を守るために不可欠です。裁判官は、裁判の公正性を守るために、判断の合理的理由を示す責任があります。

11 「不満」等へのすり替え裁判官
 悪質な裁判官の手口の1つに、主張のすり替えがある。当事者が主張していることを無視しまくるのは対面が悪いが、だからといって恣意的判断のためにその主張を合理的理由をもって排斥することもできないとき、論点をずらすことで恣意的判断を強行するという手口である。
 たとえば、当事者が「違法」として主張していることでも、それを「不満」や「
不服」といった表現にすり替えるという手口である。なるほど、不満であれば、「原告は不満を主張しているにすぎない」で終わらせることができると思っているということだろう。しかしこれが違法であれば、「原告は違法を主張しているにすぎない」としても、「だったらその違法の主張が正当かどうか公正に検討するのが裁判官の役目だろ」となる。つまり、判断から逃げられないことになる。
 さて、裁判官のどの手口にもいえることだが、岡口基一が指摘した「反対証拠を説得力をもってつぶすのが裁判官の能力だとみんな思っている」からすれば、原則的に裁判官は説得力をもった判示をしたがっていることになる。しかしそれを裁判官がしていない場合、そこに悪質や姑息な裁判官の心理が働いたと解するのが妥当だろう。要するに、「恣意的判断をするのに都合が悪いが、合理的理由をもって排斥できない当事者の主張であるため、無視やすり替えなどの悪質で姑息な手段によって恣意的判断を強行することを選択した」という裁判官の心理である。
 ちなみに、裁判所のウェブサイトにあった控訴状の書式には、以下のような記載があった。

「上記当事者間の〇〇地方裁判所平成  年(ワ)第  号売買代金等請求事件について平成 年 月 日に言い渡された下記判決は,不服であるから控訴する。」

 ここでは「不服」との表現が使われているが、「不服」だからということを根拠に、どのような控訴の理由を書いたとしても棄却されるのだろうか? 当然そのようなことはなく、「不服」だからと上訴したとしても、その後の判断は原審に違法性があったかで判断されなければならない。
 そうすると、そもそも「不服」や「不満」といった表現に裁判官がすり替えたとしても、それによって当事者が主張した内容を検証することを怠る理由にはならず、それは裁判官としての職務怠慢や職務放棄というべきものだろう。

Tips_2_11(Bard)
問:
裁判当事者が違法を主張していても、裁判官がそれを「不満」等と言い換え、裁判当事者が主張している違法に対する判断とその具体的理由を示さない場合、公正で透明性のある裁判になっているか。

回答:
 いいえ、裁判当事者が違法を主張していても、裁判官がそれを「不満」等と言い換え、裁判当事者が主張している違法に対する判断とその具体的理由を示さない場合、公正で透明性のある裁判になっているとは言えません。
裁判は、法に基づいて、公正に行われることが重要です。裁判官は、法の専門家であり、法に基づいて判断を行うことが求められています。裁判官が裁判当事者が主張している違法性を「不満」等と言い換えることは、裁判の公正性を損なう行為です。また、裁判官が裁判当事者が主張している違法に対する判断とその具体的理由を示さない場合、裁判の透明性が失われ、裁判の公正性がさらに損なわれます。
裁判は、国民の権利を守るために重要な制度です。裁判の公正性は、国民の権利を守るために不可欠です。裁判官は、裁判の公正性を守るために、裁判当事者が主張している違法性を認め、裁判当事者が主張している違法に対する判断とその具体的理由を示すべきです。


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