無職転生のアニメ2期、5話の感想

はじめに

 ま、ざっと言ってしまえれば、力を入れてほしかったルーデウスとフィッツの出会いがあまりにもあっさり描かれて、非常に残念なものとなっていた。

 つまり、期待したいところにちゃんと力を入れて映像化してくれることはないのだろうなぁと悟ったのだ。

 恐らく、この後も見るだろうけれど、インパクトの薄い、とりあえずアニメ化しましたという映像が流れるのだろうと思うと残念でならない。

どこからのファンであるか

 無職転生は、もともとなろう版で一通りアニメ化の話も出る前から読んで好きだった作品だ。

 アニメ化しても、きっとうまくいくようなものではなかろうと思っていた。なにせ、戦闘で単純に俺ツエーを魅せて積み立てていけばいいという作品ではない。泥臭い作品だ。

 だから、アニメ1期は奇跡だった。

 まごうことなき奇跡だった。もちろん、どこをとっても高クオリティであるというわけでもない、危ういところもたくさんあるが、ここぞという場面はきっちりと力が込められていた。

 そう、アニメ2期は「ここぞという場面に力を入れない」のだということが明確に示されたのがこの5話だと言える。

 いろんなところをカットしているのは構わない。そう、5話はいろいろバッサリカットしていたが、問題はそんなことではない。大事な場面が、なんともない平凡な場面かのように描かれて流れたのだ。

どう残念なのか

 ルーデウスとフィッツの出会いというのは、つまり、対決の場面だ。ルーデウスが入試の試験として課せられた対戦なのだ。

 出会いがしらからしてダメだった。

 フィッツは呼びかけようと一言こぼれたのをさえぎって、ルーデウスがあいさつをしてしまう。そう、このすれ違いこそが決定的なすれ違いの第一歩にもかかわらず、表現されなかった。

 フィッツはきっと正直に言ってしまおうとしていたのかもしれないのに、そこを先んじてルーデウスがあいさつしてしまったがゆえにフィッツはちゃんと名乗りそこねた、それが描かれていない。

 また、明確にフィッツが男性であるとルーデウスは勘違いしているのだが、そこも描写されない。

 そして、ルーデウスは負けたらいやだから、本気で行こうとしているのがなろう版だ。だが、まったくもって真剣な空気感をアニメ版ではださない。

 そう、主人公の感情をまるで考えず絵だけなぞったような情景だ。音楽は無音のまま。真剣さは後のゴリアーテさんとのパンツ事件の方があるくらいだ。そう、チグハグである。

 アニメ版の描写のいい加減なところは、乱魔でフィッツの魔法が霧散させられるカットだ。

 そのカットに切り替わった瞬間から、フィッツの顔はもう困った顔をしている。霧散させられる前から困った顔推しているのだ。意味が分からない。

 それに、困った顔推しているのもおかしい。そう、ここは、困るだけではない、なにより驚きが必要な場面だ。

 やっぱりルーデウスはすごい、そうフィッツが確信する第一歩の材料だからこそ、ただ困った顔というのは不適切なのだ。

 ルーデウスはフィッツの顔ド真ん中を狙っていたがやめた、というのも省略された。そう、これは彼自身が自分の力量をよくわかっていないが事の布石でもあるが、これも省略された。

 後に別の人物との対峙での布石になるものを丸々カットしている、後々のことなど考えていないのだろう。

 しかも、アニメは無駄に岩砲弾を3つもはなっているが、そんなに放つ必要は全くない。

 ルーデウスは治癒魔術についての懐疑があって、だからこそ顔のど真ん中を外していて、その結果、傷ついて血が出たフィッツを見たルーデウスは、ちゃんと外しておいてよかったと安心するのだ。

 そんな、安心の気持ちさえアニメには表現されない。

 そう、これは非常に重要な場面だ。なぜなら、ルーデウスは自分の力量をちゃんと計れていないことを示す一助だった。

 ルーデウスは、あまりに高みで戦いすぎたが故、自分自身の強さが分からなくなっている、そのズレが示される場面だった。

 そして、その後に思う「やってしまった」という感情もアニメ版はとことん希薄だ。重大な失敗という認識をしている表現になっていない、せいぜい凡ミスした程度のような表現だ。

 ここで、重大な失敗をしたと思ったからこそ、その後はとくと品行方正に努めようとしたし、そしてなによりフィッツの態度に大きく安堵するのだ。

 ここを軽い失敗としか認識していなくて、どうしてフィッツの態度に大きく安堵できようか。

 乱魔についても、ルーデウスはそこそこの魔術師なら知っているのではないかと勘違いしている。ルーデウスは、自分の実力を大きく見誤っているが故の反応は、アニメではまったく考慮されない。

 そして、この乱魔によって、きっとフィッツはルーデウスのすごさを再認識したはずなのだ。やっぱりすごいと。だからこそ、強い視線がルーデウスに送られた。それが、まったくもって描かれなかった。

 この、出会いがまったく無下に描かれたということは、起承転結の起をちゃんと起として描く気がないということだろう。

 ということは、おそらく、起承転結そのすべてを、ろくに描く気はないのだろうと思えてならない。

最後に

 違和感があるのは、このフィッツとの出会いより、パンツ事件のほうが緊張感をもってさも重要かのように演出されていたことだ。緊迫感の戦闘音楽も入っている。

 つまり、作品のなかでの重要なものの優先度がちゃんとつけられないのだなぁと感じた。

 もう見ごたえのするワクワクさせられたあの1期の無職転生ではなくなったんだなと実感させられた。

 ルーデウスが大きな水魔術で屋根裏をぶちぬいたとき、いや、その前に無詠唱魔術をやったときのような驚嘆する演出をしてみせた力はもうないのだなと確信したのである。

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