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陥穽Ⅲ:身分論

畑中氏は「身分」を「人間の存在様式」であると考える。
<私が私であること>・<あなたがあなたであること>を,自分も周囲も認知(存在証明)する「存在様式」である。すなわち,<身分>を「社会における個人の認知(存在証明)」であると捉えている。

江戸時代にあっても,身分とは,いわゆる「士農工商穢多非人」すなわち武士や平人(百姓・町人など)や「かわた」などの身分存在を示すだけではなく,階層・社会的地位・人間関係を一般的に表現する言葉であって,基本的には<その人が何者か>を示す言葉であった。

ただ,各々の時代において内容に違いがあるという。

身分は「人間の存在様式」という共通の概念で括ることができるが,身分というものの社会認識・認知の具体的在り方において異なっているのである。その認知(存在証明)の仕方が,時代の政治・社会の在り方によって相違するというように考えればよいのである。人々がどのように認識(認知)していたか,あるいは政治(権力)がどのように身分支配(把握)をしていたか,等々において江戸時代の身分と現在の身分とが実際には異なった内容・様相を示すことになっているのである。

各時代における「人間の存在様式」の違いが「身分」の違いであり,その在り方を規定するのが各時代の「政治・社会の在り方」であるという。つまり,「政治・社会の在り方」が「身分」を規定し,人々の「身分」に対する認知を規定するという考えである。この考えは,マルクス主義歴史観に近い。

部落差別は,個人のレベル(自己認識)及び社会的認知のレベル(存在証明)において,すなわち<私が私であること>・<あなたがあなたであること>のレベルにおける差別なのであり,その意味において身分差別なのである。
…「部落民」とされた人達は,…まるで宿命の如くに<おまえたちは○○だ>と強要され,自己認識が阻害され歪められてきた。また,押しつけられてきた<あなたはあなたであること>を口実に不利益(社会的認知の差別)を受けてきたのである。

畑中氏は,部落差別は「社会的認知の差別」であるという。

部落史・ハンセン病問題・人権問題は終生のライフワークと思っています。埋没させてはいけない貴重な史資料を残すことは責務と思っています。そのために善意を活用させてもらい、公開していきたいと考えています。