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「政治起源説」への疑問

部落解放研究所のHPにあるPDF版『部落解放研究紀要』(1997 6)に,渡辺俊雄氏の「活人活論『いま,部落史がおもしろい』その後(2)」が掲載されている。
渡辺氏の『いま,部落史がおもしろい』など一連の本が「部落史の見直し」に人々の目を向けた功績は大きい。私自身も気づかされたことは多く,部落史研究に取り組むきっかけの一つにもなった。

…これまで近世政治起源説がイメージしてきたように「違いのないところに差別をつくった」のではなく,そもそも違いがあったことを意味している。
だとすれば,これまで定説とされている,部落民には他の曰本人と価値観や宗教観,言語などの違いがなく「差別されるものが部落民」だとしか規定のしょうがないという議論自体が再検討されるべきだろう。

以上のことと関連して言えば,これまで部落解放運動や教育・啓発などの基本的な認識は,部落差別のような悪い習慣は不合理なものであり,本来あるはずがない,あるべきでない,民衆が許すはずがないものだ,ということだったように思う。だから部落史研究においても,あるはずのない部落差別が「なぜつくられた」のかという枠組みで議論してきたし,民衆が許すはずのない差別が残ってきたのは「政治」が差別するように仕向け,「権力」が差別を残してきたのだと考えてきた。中世であれ,近世であれ,政治起源説とは,そうした暗黙の了解のうえに議論されてきた。

しかし,果たして,部落差別はそのようにして「つくられ」「残されて」きたのだろうか。部落差別は,(今後もあっていいとは言うつもりはないが)少なくとも歴史的には,「あるべくして,あった」と思う。歴史で解明すべきは,それぞれの時代や社会に差別が「どう,あったのか」であって,あるはずのない部落差別が「なぜ,つくられた」のか,「誰が,残してきた」のかではないし,権力であれ民衆であれ,差別を残してきた「犯人」探し,責任追及なのではない。いま部落史研究,ひいては部落史の教育・啓発で問い直されているのは,そうした歴史の見方を含めての話である。

つまり部落史をどう考えるかは,それぞれの個人がこれまで自分が生きてきた過去をどう自覚するのか,これから部落問題・部落差別とどう向き合って生きていこうとするのかという問題と深く関係する。だから部落史をどう見るかは,結局は一人ひとりで発見するしかないのだ。私が拙著の補論で「自分と部落」史のすすめを書いた背景にも,そうした問題意識があった。

私に言わせれば歴史的な事実を踏まえていれば(と簡単にはいかず,このこと自体が大きな論争になるのは承知しているが),それをどう意味付けて部落史として再構成するかは,十人いれば十人とも違っていてもいい。部落史の理解は「これが決定版だ」とか「これが正しく,あれが間違い」などと提示されるべきではない。誰か部落史の権威者が「真実は,こうだ」と言い,啓発や教育の現場がみんなそれにつき従うというようなことはどこかおかしいし,これからはそんな時代ではないだろう。

上記に引用した部分は,私も従来より思ってきたことであり,「部落史の見直し」の核心と思っていることである。

「起源」(=「なぜ,つくられた」のか)にこだわるよりも,実態(=「どう,あったのか」)を史実から解明していくべきだと考えてきた。政治起源説の前提となった「暗黙の了解」である「政治」あるいは「権力」が「差別をつくった」「差別を残してきた」という考え自体を問うべきである。

政治や権力の関与について考察することが,部落史の見直しにつながる。「なぜつくられた」という枠組みでは解明できないことがわかった,そのことが「部落史の見直し」の出発点でもあったのだ。

私が特に渡辺氏に同感するのは,最後に述べられている<部落史の理解は「これが決定版だ」とか「これが正しく,あれが間違い」などと提示されるべきではない。誰か部落史の権威者が「真実は,こうだ」と言い,啓発や教育の現場がみんなそれにつき従うというようなことはどこかおかしいし,これからはそんな時代ではないだろう。>という部分である。

私も,特定の歴史観やIdeologieを前提として史的解釈は限界にきているように思う。まして,これ以外の歴史解釈・歴史認識はまちがいであると自説に固執するなど欺瞞的な感じがする。むしろ,多面的・多角的に視点から史実を分析・考察して包括的な全体像を把握していくべきだと思っている。
そのうえで,差別の概念や差別の実態をとらえ,現代の部落問題の解決に取り組んでいくのが最適な方法と思っている。

部落史を学んだからといって差別心がなくなるはずもない。部落史学習を通して部落や被差別者,社会的弱者,日本社会の差別構造等々に対する自己認識を変革し,他者との関係を自己反省を踏まえて再構築していく営みによって社会や人々の意識が変わっていくのである。

部落史・ハンセン病問題・人権問題は終生のライフワークと思っています。埋没させてはいけない貴重な史資料を残すことは責務と思っています。そのために善意を活用させてもらい、公開していきたいと考えています。