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「解放令」 -身分差別と部落差別の分岐-

1「解放令」の波紋

 ○「解放令」伝達に関する史料

…今上帝の叡慮を以て穢多の種別を御免ありし上は,此度伊勢の御宮に詣でんも御札をわが家に祭らんも苦しからぬ事なれば,最早何をか忌み何をか嫌うへき,又非人という人でなしといへる文字也,其始まりはさだかならねど常に食を人に乞ひ人たる自立の働きなかりし故,かくは名付けて種族の別れしなるべけれども,或は人に雇はれ或は草履雪駄など造り出して,おのれおのれが力に食まんには是又賤しむべきにあらず,縦令四肢百体はいときよく具はりたりとも,源平なり藤橘なり其姓氏は正しくとも,人の人たる道を勤めず親に不孝にしてふくろうの行ひあり,人を害ひ傷ついて豹乱にして禽獣の行ひあらんには,是をこそ人に非ずとも穢れ多しともいうべけれ,されば人の人たる道を尽すを以て尊しとし否らざるを賤しとすべき事にて,同じ万物の霊たる人間中に別に賤しみ嫌べき種族はなき筈なれば,此より後は彼此の差別を立ず共に人たちの道を尽して,朝廷深き御趣意のありがたさに報ひ奉るべき事にこそ。
(『松山藩布告留』)
穢多非人の称被廃,平民籍編入費仰付上は旧来穢多之風習を相改め,人民一般の礼譲に基くへき筈に候。然るに其風習を改めずして直ちに平民に上りたる心得を以て市中を横行し,動もすれば喧嘩口論等に及び候趣却て人民一般の礼儀を相弁へず,徒に平民と成りたる意地を構へ候儀,以の外の事に候。若此儘にて折角朝廷の御趣意,人民一般公平の御処置に戻り候様可相成,仍て其人民一般の礼儀に基き,心を清め形を潔するの大旨を示すこと,左の如し。
一,穢多の称,元来不浄を取扱ふを職業とし,人民一般信仰すべき神仏をも拝する事能はず,民中の度外にあり,是其年久しく汚業をなす風習に安んじ平民と火を同じくせざるものにして,今俄に平民の籍に入るとも従来の平民に忌み嫌はるるは固より自然の事なり。依て旧来の風習を改め,汚穢を去り心身を浄潔し,然る後に平民同様神仏へも参詣し一般の交際をなすべし,此次第を弁へずして猥に平民と交際せんとするは,却て穢多の称を免かれざるべし。…
(『高知藩諭告』)

上記の史料は,「解放令」(賤民廃止令)が明治政府より各藩に伝達された後,各藩が布達するに際し,民衆の混乱を予測して「解放令」の付書(解説書)として作成して配布したものである。この史料から,当時の人々や社会が被差別民をどのように認識していたかということ,被差別民を平民と同様にすることがどれほど民衆を混乱させることになる政策であったかということが推測できる。
しかし,これらの史料は被差別民を民衆がどう見ていたかであって,賤視を歴史的に肯定する内容となっている。
差別を受けるのは,被差別民に問題があるという論理であり,天皇や朝廷の「御趣意」によって「平民」にしてもらえたのだから,旧来の悪しき風習を改めて生活するように諭している。同様の論理で,民衆に対して「解放令」の趣旨を受け入れるように説いている。

(2) 「差別」の認識

これに対して,下記の史料は,被差別民自身がどのように差別を受けてきたか,どのような差別を受けてきたかを述べたものである。自分たちが受けてきた仕打ちや扱いから「差別とは何か」を見抜いている。

○「復権同盟結合規則」

新平民ナル私共儀,往古ヨリ世ニ穢多ト称セラレ,人界外ニ擯斥セラレ,四民ト雑居スル能ハス,同等ノ交際ヲ為ス能ハス,事ヲ共ニスル能ハス,四民ノ以テ穢ハシトシテ為スニ堪エサル所ノ事ヲノミ為スヲ以テ恒識トシ,人畜ノ間ニ占居罷在候イシカ,辱クモ王政復古・開明進歩ノ秋ニ遭遇シ,初テ四民同等ノ権利ヲ復スルノ自由ヲ与エラレタリト雖モ…
…世ニ人外視セラレテ,而テ別ニ異界ヲナシ,世ノ最モ穢ハシトスル所ノ業ニノミ従事スルヲ以テ,我曹ノ当務トセシ事,…

ここで表現されている「人界外」「人外視」という言葉,さらには「人畜ノ間ニ占居」という言葉から,被差別民が「人間」の内に含まれず,「人間として扱われなかった」ことがわかる。
石瀧豊美氏はこの部分について,同じ「人間」なのに,人間扱いされないというところに,差別される側の「辛さ」「悲しさ」があり,「人畜の間」(人間と動物の間の存在)と見なされるところに,差別の「厳しさ」があると述べている。

差別は,「上下の差別」ではない。見下し・蔑むものでもない。「排除・排斥」である。しかも同じ人間を排除するのではなく,人間と認識していないから「人間扱いしない」ことは当然であり,その対応も「畜生(動物)」と同じになる。そう考えれば,「雑居しない」「同等の交際をしない」ことは当たり前である。そのように認識している被差別民が自分たちと同じ「平民」となり,同等の付き合いをしなければならなくなる。そう理解すれば,民衆の戸惑いと嫌悪感は想像するに難しくない。

(3) 「平人化」行動の意味

被差別民にとっての「平等」は,「平人と同じことをすること」「平人と同じ扱いを受けること」であった。「平人」の側に入ること,「平人」になることが彼らの目指した「平等」であった。
江戸時代には身分制の下,法制度によって差別的制約が課せられ,身分によって生活が差別化されていた。着衣や髪型などの容姿,住居の場所,本村の年中行事への参加制限など生活一般に差別化があり,強化されていった

「社会外の存在」「人外の存在」と位置づけられた被差別民であることから,彼らの目指す「平人化」は「社会内の存在」「同じ人間とみなされる」ことであり,このことが彼らにとって「平等となること」であった。

部落史・ハンセン病問題・人権問題は終生のライフワークと思っています。埋没させてはいけない貴重な史資料を残すことは責務と思っています。そのために善意を活用させてもらい、公開していきたいと考えています。