見出し画像

陥穽Ⅰ:「部落史」の枠組み

私の専門と言えるほどのものではなく、ただ興味関心と問題意識から長年取り組んできただけであるが、少しでも誰かの、僅かでも何かの役に立つことができれば幸いである。
今まで書きためてHPやblogに公開してきた「記事」を今年からnoteに移行させている。随分昔に書いたものや最近書いたものまで混在しているが、自分の「記憶」としても残しておきたいので、重複している内容や文章も多いかもしれないし、逆に時代錯誤や誤謬の内容もあるかもしれないが、お許しいただきたい。
-----------------------------------
藤田敬一編『「部落民」とは何か』をあらためて読み返しながら,「部落民」は存在するのか,存在していたのか,と考えている。

畑中敏之氏は次のように提起している。

部落民や部落は本来存在しない,けれども存在しているという。それを解いていく必要がどうしてもあるんです。

本書とほぼ同時期に出版された雑誌『現代思想』(1999年vol.27-2)の特集「部落民とは誰か」に畑中氏の論文『「部落史」の陥穽』が掲載されている。畑中氏の論考をもとに,「部落史の枠組み」について考えてみたい。

畑中氏は,「部落史」に描かれてきた個々の事実のあれこれではなくて,全体としての<枠組み>がおかしいのではないか,と主張する。

…近世までは多種多様な身分的存在が登場しているのに対して,近代以降では,様相が一変する。登場するのは「部落」のみになる。近世までの「部落史」では描かれていた手工業者・職人,勧進(乞食)・宗教者,芸能者,病者・障害者が,近代以降の「部落史」からは全く姿を消すのである。…
では,「部落史」から癩者(ハンセン病者)が何故に消えたのか。…「部落史」通史の近代以降の部分は,まさに「部落史」=部落問題史になっているからである。それに対して中世までの部分では,「部落史」=被差別民衆史として描かれていたのである。

畑中氏は,「部落史」を「被差別民衆史」と「部落問題史」に大別して,その陥穽(問題性)を指摘する。

…林屋辰三郎さんが『歌舞伎以前』などにおいて…その「部落史」に込めたのは言わば被差別民衆史であった。そして古代~現代の「部落史(広義)」=被差別民衆史,近世以降の「部落史(狭義)」=部落問題史というように説明したのである。しかし,この場合は,広義の「部落史」の中に,狭義の「部落史」があるという捉え方なのであって,…二つの「部落史」が不自然につながっているという認識ではなかったはずである。
…近代以降の「部落史」=被差別民衆史は,「部落史」=部落問題史に取って代わられており,近世(もしくは中世までもが)の「部落史」=被差別民衆史は,「部落史」=部落問題史の影響を強く受けて穢多身分偏重の叙述となっているのである。
「部落史」=被差別民衆史が,「部落史」=部落問題史によって取って代わられ,近代以降は断絶してしまうことは,一方では部落問題史が近代以降の歴史であることを曖昧にし,他方では被差別民衆史=部落問題史であるかのような錯覚を生むことになる。

確かに,この指摘は当たっていると思う。

「被差別民衆史」と「部落問題史」は<枠組み>自体が異なるものであり,それを曖昧に混在させてきたことによって「部落史」研究の内容も目的も不明瞭なものにしてきたと思う。この結果,「部落史」学習もまた内容・目的が不明確になっていた。

私は,大枠において畑中氏・林屋氏の考えに近く,「部落史」を古代・中世から近現代までの通史として概観する場合は「被差別民衆史」に立つべきであると考えている。そして,部落問題に焦点を絞った場合は「部落問題史」としての「部落史」を考察すべきであると考える。

その上で,「差別」を時代史的に考察する場合,概念をより明確にする必要を感じる。つまり,「被差別民(賤民)」として一括りにする場合の「差別」と,その中の「(被差別)部落民」を特化させて考察する場合の「差別」を明確に分けて概念化して使う必要がある。
-----------------------------------
「部落史」の枠組みがなぜ歪んでしまったかを,畑中氏は「部落の起源」論が要因であると言う。

…起源論をベースにした「部落史」は,まさに<「部落」の歴史>・<「部落民」の歴史>になる。地縁・血縁で「部落」(集落・共同体としての)「部落民」(身分存在としての)を捉え,その系譜で歴史を描くということになってしまうのである。現在を起点にして過去に遡り(しかも血統で),その「起源」から<「部落」の歴史>・<「部落民」の歴史>を描くというのだから,まさに<特定の人達の特定の歴史>なのである。この結果,地縁・血縁では「現在の部落」につながらない前近代の諸賤民(被差別民衆)は視野の外に置かれるか,もしくは従的(第二次的)扱いしか受けないようになるのは明白であろう。

畑中氏は「近代以降現代につながる部落問題を視点(起点)にして前近代に遡って歴史を描く」ことを「歴史の真実を捉え損なう危険性」があると問題視するが,私もまったく同感である。

…たとえば,近世の「かわた」(穢多称を強制された人達の自称)身分など賤民の在り方を<悲惨・貧困>一色で描いてきた事実認識の従来の誤りは,近代以降の部落問題からの投影そのものであったと言えるだろう。近代以降の「部落」の実態が<悲惨・貧困>に象徴されることは間違いない。その実態認識がそのまま近世に投影されたわけである。
…近世において「穢多」などの賤称が法制化されていたという事実はない。近世においても,「穢多」呼称は,特定の場合に特定の意図をもって使われる蔑称なのである。幕府や藩が穢多身分として制度化していたというわけではない。

このような畑中氏の指摘以外にも従来の部落史観・部落認識には,近代の部落問題(実態)を通して認識された視点をもって近世を捉えてきたことによる誤認は多い。
現代の価値観で過去を推し量る(投影する)ことがまちがいなのである。

「部落の起源」論は,まるで固有の民族として存在するかのように,「部落民」を歴史に登場(固定)させることに大きな役割を果たしてきたと言わねばならない。地縁・血縁で歴史を遡ることができるというように考えること自体が,そのような「部落民」=民族の存在を前提にしたものである。「部落民」は何故に「部落民」なのか,という疑問に,地縁・血縁で「かわた」身分=「部落民」という説明(回答)をすることは不条理である。祖先が「かわた」身分だから,その子孫が「部落民」になったわけではない。<まず「部落民」ありき>ではない。あえて言うなら,<まず差別ありき>であろう。差別の結果としての「部落」「部落民」である。
…そもそも部落問題とは,「部落(民)」の問題だったのか。部落差別とは,「部落(民)」に対する差別ということだったのか。それは逆である。各々の時代における差別の在り方が,各々の時代における被差別民衆(「部落民」を含む)を生み出してきたのである。

この論理に私は同感である。「部落がある」から「差別がある」のではなく,「差別がある」から「部落がある」のだ。つまり,「差別」が「部落」を生み出してきたのだ。

では,「差別」を生み出したのは誰か,あるいは何か。この問いが「被差別民衆史」の目的である。

部落史・ハンセン病問題・人権問題は終生のライフワークと思っています。埋没させてはいけない貴重な史資料を残すことは責務と思っています。そのために善意を活用させてもらい、公開していきたいと考えています。