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親鸞と被差別民衆

河田光夫氏の「切り捨ての流れの中で」に,次の一文がある。

…親鸞の思想で重要な意味を持つ「悪人」の語は,当時,「けがれ」の語とともに,屠殺者・狩人・漁民・行商人・「非人」・「癩者」・女性などの被差別者をきめつける言葉でもあった。国家権力と結びついた旧仏教は,特に殺生の生業にたずさわる被差別民を,「よろずの仏に疎まれて」死後の救いもない「悪人」として切り捨ててきた。それを批判して,被差別民も救済されるとする動きが出てきた。親鸞は,それをも乗りこえた。社会的にも仏教的にも差別され,切り捨てられた人々が,その故に持つ差別の全否定という要求の中に,親鸞は,念仏集団に対する弾圧者・敵対者としての「逆謗闡提」までも救い尽くすという広大無辺なアミダ仏の平等の慈悲心を認識した。また,彼ら被差別民が,世俗的な善・悪の可能性として内に秘めている姿を見ることによって,「自らが身を善しき思う心を捨て」,「悪しき心をかえりみず」,ひとえに「他力をたのみたてまつる」信心の本質を見出したのである。そして,自分も含めたすべての人が,自力に頼る「善人」の心をひるがえし,煩悩具足の凡夫としての「悪人」に徹することによって,そこに到達できると見た。こうして「悪人」であるが故に,「他力をたのみたてまつる」という信心を起こして往生するという,親鸞の悪人正因思想が成立したのである。
親鸞の言う「悪人」は,そこからこそ,あらゆる可能性が生まれて来る人間の本質であるが,それが最も典型的に現れるのが,「悪人」として差別され,切り捨てられてきた被差別民の姿であった。
…被差別者でない者が差別とたたかう場合,決して彼らを「救済」対象としてのみ見るのではなく,彼らが,その故に持つことのできる人間的な輝きに触れることによって,自分自身を改革し解放するということが,根本においてともなわなければならないであろう。

河田氏は,大学に残っての研究者の道を選ばず,定時制高校に勤めたことによって,生活環境の厳しい中で生きる生徒と深い関わりをもったからこそ,親鸞の思想を極めることができたのだ。
書物の中だけで,頭の中だけで,限られた人間関係の中だけで,狭い世間の中だけでは,決して気づくことも感性が磨かれることもなかっただろう。河田氏は定時制高校に通ってくる生徒たちとの「人間的な輝きに触れることによって」体感したのだ。

河田氏の講演録『親鸞と被差別民衆』の中に「…昼間働いて,夜勉強する。そういう苦労しているのに明るい。のにという逆接なんですね。何々にもかかわらず明るい,という見方だった。それが崩れるまで私も数年かかりました。そうじゃない,“のに”じゃなくて,“そうであるから”明るさを持っているわけなんですね。苦労して働いている,だから明るさがある。」という一節がある。

生徒たちの生活体験と背後に抱えた彼らの生育歴が見えていないで表面的な形式的なやりとりに終始する限りにおいて「生きた授業」は成立しない。わかった気になったり,自分勝手な解釈で理解したつもりになったりしているだけである。本当に相手が伝えたいと思っていることや本心など,相手を理解しようとせず最初から批判的,あるいは拒否的に見る姿勢の人間には,曲解と的外れな理解しかできない。

河田氏は,この「のに」と「そうであるから」のちがいを「水平社宣言」の中にも読み取る。

被差別部落民の結社,水平社の「宣言」である。
人の世の冷たさがどんなに冷たいか,人間をいたわることが何んであるかをよく知っている我々は,心から人生の熱と光を願求礼讃するものである。
わたしはこの文を,「人の世の冷たさがどんなに冷たいか」をよく知っているが故に,「人間をいたわることが何んであるかをよく知っている我々は…」と読み取る。「宣言」は,また言う。
ケモノの皮をはぐ報酬として,なまなましき人間の皮をはぎ取られ,ケモノの心臓を裂く代償として暖かい人間の心臓を引き裂かれ,そこへくだらない嘲笑の唾まで吐きかけられた…
このような歴史を持つが故に,「心から人生の熱と光を願求礼讃する」のである。七百年前の被差別民は,まだ,そのことを自覚していなかったであろう。しかし,それは,確かに被差別民の中に秘められていた。それを親鸞が見抜き,「悪人」は,「悪人」なるが故に,熱烈にアミダ仏を求める信心を得て往生する,と認識した。水平社「宣言」は,間違いなく,親鸞思想をうけている。その伝統は,真宗の教学の中にではなく,被差別民の生き様の中に脈打っていたのである。

「苦労しているけれども明るい」の理解からは,「水平社宣言」の「エタを誇りうるときがきた」の一文は生まれないだろう。自らの「祖先」に対して「なまなましき人間の皮をはぎ取られ,ケモノの心臓を裂く代償として暖かい人間の心臓を引き裂かれ,そこへくだらない嘲笑の唾まで吐きかけられ」るような差別を受けてきたという認識だけでは「自由,平等の渇仰者であり,実行者」という評価は生まれない。
まして「卑屈なる言葉と怯懦なる行為によって,祖先をはずかしめ,人間をぼうとくしてはならぬ」という考えには至らないだろう。「苦労しているからこそ明るい」の視点に立って初めて,このような一文を書くことができたのだと思う。

部落史・ハンセン病問題・人権問題は終生のライフワークと思っています。埋没させてはいけない貴重な史資料を残すことは責務と思っています。そのために善意を活用させてもらい、公開していきたいと考えています。