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差別の根源 … 人間の多様な心理

昔の拙文を再掲する。
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上杉聰氏の『部落を襲った一揆』が新装版として再刊された。旧版以来の新事実や考察を追記しての新装版である。

私は旧版の元原稿が『解放新聞』に連載されて以来,上杉氏の論考に多くのことを教示されてきた。旧版は幾度読み直したかわからない。何か調べているときに関係箇所を開くのだが,読み始めるとつい他の部分やその先まで読み耽ってしまったことも何度となくある。

本書の中心である明治六年に岡山県北部で起こった解放令反対一揆,美作騒擾で襲撃された部落を校区に含む中学校に赴任し,この史実を聞いたときから,解放令反対一揆は私のライフワークの一つとなり,私の部落史研究の原点となった。

なぜ私が「解放令反対一揆」にこだわり続けるのか。

それは,この史実が凄惨な惨劇であったこと,私が習った大学までの歴史の授業にもおいて語られることも教えている教科書において記述されることもない歴史の中に覆い隠されてきた史実であること,それ以上にこれほどの残虐な行為を民衆ができるのか,その心理が知りたかった。

民衆,いや人間が集団化して負のベクトルへと向かうときの暴力的なパワーの要因と経緯,動向を明らかにすることで人間心理の深淵に踏み込めるのではないかと考えている。

本書の「おわりに」で,上杉氏は「なぜこんな事件が起こったのか」への回答を提出している。

上杉氏は「岡山・美作の明治六年騒擾と同じ場所で七年前に起こった改正一揆」に「多数の部落民が動員され」たときに,農民たちと「うち交わり」一緒に食事をしたことをヒントに,次のように考察する。

…両者は一見して大きな矛盾にしか見えない。だが,もし農民が多様な実態をもち,部落差別にたいしても様々な立場から構成されているとしたら,その矛盾は消える。民衆が一枚岩でないとしたら,差別を嫌う者もいれば,大好きな者もいよう。ただ,どちらも少数派であろう。圧倒的多数は両者の間を左右に揺れ動いている中間派である。もし差別を嫌う派が中間派を味方に取り入れれば,改正一揆のような形が実現する。
…しかしその七年後,差別的な意識をもつ農民が主導権をもったとしたら,どうだろうか。中間派はそのとき,部落側の平民をめざす行動に圧倒され,自分たちの利益と結びつくところを発見できないまま受け身となり,被害者意識さえ高じさせていたとしたら,「奴らは“傲慢”になった。わしらの村のなかを生意気に風を切って歩いとる。懲らしめる必要はないか」という問いかけに,多くが動揺したのではないだろうか。

上杉氏は「民衆は多面的で複雑な立場から構成されている」という論理を「歴史の場へ持ち込む」ことで「残虐な行為がなされた」心理的背景が説明できるという。また,この上杉氏の論法は,マーケティング理論や組織論でよく使われる人間集団の特性を示す「2・6・2の法則」の応用である。

確かに従来の歴史学は「制度」「できごと(事件・動向)」の解明に重点をおき,制度を作り上げ,できごとを起こした人間や社会の心理を分析・考察することは少なかったように思う。また,民衆心理を画一的・集約的にとらえてきたように思う。

「百姓は貧しい」という貧困史観など,その最たるものだろう。教科書の断定的な記述により,どれほど歴史が狭められて,一面的に理解させられてきたことだろう。(社会科教師として責任を痛感している)

民衆,人間の心理が多様であることは当然である。いつの時代,いかなる時代であっても,いかなる集団であっても,根本的に人間はまったく同じ心理ではないと思っている。
たとえば,宗教教義,政治理念,主義主張,規律など,それらを核として形成(組織)された集団や社会であっても,個々の人間の心理や考えが同一(統一)ではないと考える。ある部分においては(大部分であっても)共通認識がはかれたり同じ思いであったりはするだろうが,まったく同じであることは断じてない。また,その時々の状況下における判断や行動の背景にある心理は異なっている。
ただし,群集として動く場合に働く集団心理もあるが,それでも各人の心理がまったく同じではない。人間は各人の心理や思考によって生きて行動している。

本書の中でも述べられているが,一揆勢を部落に案内した「部落の竹藪越しに百メートルもない」隣村の百姓もいれば,「近村へ逃げていった」部落の妊婦を「屋根裏の藁のなかにかくまった」「懇意にしていた農民」もいるように,部落を襲撃した百姓の心理・意識は決して一様ではない。

この美作の解放令反対一揆だけでなく他県の騒擾においても,一揆に参加しなければ家や村を焼き払うと脅され,仕方なく参加した百姓も多い。逆に,小林久米蔵のように自らのプライドを傷つけられ憎悪を強く抱いた者や部落民の言動を増長と感じて苦々しく思っている者も多くいただろう。

百姓にも様々な考えや性格,人間性の者がいるように,部落民にも様々な者がいる。これは江戸時代であろうと明治・大正であろうと,現代であろうと同じだ。

「番人」や「目明かし」として村や町の治安維持に勤めた「穢多」の中にも,様々な者がいたように,命がけで尽くす「穢多」に感謝した百姓もいれば蔑んでいた百姓もいただろう。賤視されることで卑屈になった穢多や非人もいれば,自らの立場に誇りを持って差別を撥ね除けようと生きた者もいただろう。

百姓を画一的に捉えてはいけないように,穢多・非人などの被差別民も統一的・画一的に捉えるべきではない。多様な存在形態があった中にあって,さらに様々な考えや人間性をもった百姓の姿,穢多・非人の姿があったはずだ。
それを画一化して独断的に決めつけて論じること自体が間違っている。

このことは,現代においても同じである。

部落問題に関わらず,人間としての生き方・在り方の問題である。他者に対して同じ人間としての尊厳を認めず,揶揄・愚弄する人間(の心理)こそが「差別を残存させる根源」である。
自らの言動を顧みることなく,自らを「絶対視」する独善・傲慢こそが差別の温床である。

これは昔も今も変わらない。

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藤田孝志
部落史・ハンセン病問題・人権問題は終生のライフワークと思っています。埋没させてはいけない貴重な史資料を残すことは責務と思っています。そのために善意を活用させてもらい、公開していきたいと考えています。