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『水平社宣言』読解(1)

石瀧豊美先生の考察・論考を基に「自尊感情と自己実現」を視点として
読み解いていきたい。

1 現状認識(現在),そして自己確認(過去)から自己実現(未来)へ 

『水平社宣言』は3つの段落から構成されている。それぞれの段落は「現在・過去・未来(展望)」を意味し,自分たち被差別民を歴史的存在として時系列的に分析した考察を述べている。本論考では,この視点からそれぞれの段落についてテクスト分析をおこなってみたい。
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(1) 現在の認識

長い間いじめられてきた兄弟よ。過去半世紀間に,種々なる方法と多くの人々とによってなされたわれらのための運動が,なんらのありがたい効果をもたらさなかった事実は,それらのすべてが,われわれによって,また他の人々によって,つねに人間をぼうとくされていた罰であったのだ。そして,これらの,人間をいたわるかのごとき運動は,かえって多くの兄弟を堕落させたことをおもえば,この際われらの中より,人間を尊敬することによってみずから解放せんとする者の集団運動を起こせるはむしろ必然である。

第1段落は,解放令から現在までを分析し,部落解放の動きを考察し批判している。

「過去半世紀間」は,大正11年(1922)が,「解放令」が出された明治 4年(1871)から51年後であること,つまり「解放令」から「水平社」創立までの期間を意味しており,その間におこなわれた「われわれのための運動」=部落解放運動に関して考察し批判している。

その間の「種々なる方法」と「多くの人々とによってなされた」部落解放運動を時系列的に3つの段階に大別して考えてみたい。

①「平民」化行動の段階

「身分が変わったのだから,平民として扱え」という江戸時代の身分意識に基づいた行動

これは被差別民の側から自主的に日常生活での差別を克服しようとしてあらゆる場面で「平民」としての同じ待遇を周囲(一般部落)に対して要求していった行動である。「解放令」を実体化させようとする運動であった。しかし,この段階では人々の意識は江戸時代の封建的身分意識のままであり,「賤民身分」でなくなったから「平民身分」として扱ってほしい(扱うべきだ)という認識であった。それを受け入れられない(認められない)民衆は拒絶や反発の行動をおこし,それが高じて「解放令反対一揆」となったのである。

②部落改善運動の段階

「改善の対象は部落である」という部落問題の原因を被差別民に求め,その改善を要求した運動

明治20年代から,部落差別を放置しておくことは,犯罪発生率を高めることになるという認識に基づいて,行政側から部落への働きかけが始まる。これに呼応して,部落内部からも生活改善への動きが起こった。
いずれの場合も,部落側に一方的な努力を求めるものであった。この背景には部落の経済的困窮化がある。江戸時代の身分的特権を剥奪されたことで権益による収入が激減するとともに減免されてきた税負担も課せられるなど,生活が困窮化・貧困化していった。

また,一般地域に比べて意図的に部落に対する社会資本(環境)の整備が遅れ(放置され)たこともあり,部落の生活環境は劣悪なものであり,そこに農村部などの部落や貧困層が流入し始めてスラムの様相を呈するようになる。そのような部落の劣悪な生活環境が差別の要因であるとの認識から生まれた運動である。

③融和運動の段階

差別を放置することは,天皇の意志に反するという「臣民としての平等観」の立場から生まれた運動で,「同情融和」の言葉に示されるように同情に基づいていた。この運動は,「上から下を見下ろす」という差別的な視点から表面的な交流であり,結婚など本質的な交流ではなかった。

これらの運動に共通するのは,差別の根拠(周囲の差別を生む要因)を被差別者(部落)の側に求め,被差別者の努力によって差別を克服すべきであるとする方向性をもっていた。差別されるのは差別される側に差別される理由があるからであるとの認識に基づいた運動であった。
しかし,これらの運動(潮流)があったから,これらの運動を反面教師として乗り越えて,水平社が生まれたと考える。
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(2) 過去の分析

兄弟よ。われわれの祖先は自由,平等の渇仰者であり,実行者であった。陋劣なる階級政策の犠牲者であり,男らしき産業的殉教者であったのだ。けものの皮をはぐ報酬としてなまなましき人間の皮をはぎとられ,けものの心臓を裂く代価として温かい人間の心臓を引き裂かれ,そこへくだらない嘲笑のつばをはきかけられた,のろわれの夜の悪夢のうちにも,なお誇りうる人間の血は涸れずにあった。そうだ,そしてわれわれは,この血を亨けて,人間が神にかわろうとする時代におうたのだ。犠牲者がその烙印を投げ返す時が来たのだ。殉教者がその荊冠を祝福される時が来たのだ。
われわれが「えた」であることを誇りうる時が来たのだ。

自分たち被差別民とは如何なる存在であったのかを過去に遡って歴史的背景を分析するとともに,祖先の生き様を知ることで自分たちの存在意義を見いだした。今まで自分たちが周囲から聞かされてきた自分たちの存在(エタとはどのような存在であり,なぜ差別されてきたのか,どのような差別を受けてきたのか)について問い直すことで,差別に関する認識の転換をはかることができた。

①差別の本質の認識

差別とは「差別を肯定する価値観や人間観」「差別する者」がいるから存在するのである。つまり,部落があるから部落差別があるのではなく,差別があるから部落差別があるという差別観を転換することができ,差別の本質的理解を得ることができたのである。

このことにより,それまでの運動とちがって,自分たちの内部ではなく,自分たちをとりまく社会の側に差別を生み,差別を支える構造を見出したのである。

②「えた」である自己存在の認識 

「差別される人間」=「エタ」として,自らの存在そのものを否定的にとらえ,自らを卑下して生きていた。周囲から差別されるのは,昔より差別されてきたからであり,差別されるような職業や生活をしてきたからだと思っていた(思わされていた)ことのまちがいに気づいたのである。

差別されるのは,自分たちに理由があるのではなく,差別する人間に問題があるのだという認識の転換により,祖先は決して恥ずべき生き方や仕事をしてきたのではなく,むしろ「犠牲者」であり「殉教者」であったことに気づいたのである。

周囲から差別されていたにもかかわらず,誰よりも人間らしく生きてきた祖先という認識の転換は,差別を受けていたからこそ最も人間らしい生き方をしてきたという祖先への再評価を生んだ。
そして,祖先への認識の転換により,差別を受けてきたことは隠すべきことでも恥ずかしいことでもないという価値観の転換が生まれた。

この祖先への再評価と価値観の転換が,「えた」であることを誇りうる時が来たのだという表現に込められている。つまり,差別認識と価値観の転換によって祖先の姿を再評価することができ,「えた」である自分自身に「自尊感情」を見いだしたのである。
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(3) 未来の展望

われわれは,かならず,卑屈なる言葉と怯懦なる行為によって,祖先をはずかしめ,人間をぼうとくしてはならぬ。そうして人の世の冷たさがどんなに冷たいか,人間をいたわることがなんであるかをよくしっているわれわれは,心から人生の熱と光を願求礼讃するものである。
水平社はかくして生まれた。人の世に熱あれ。人間に光あれ。

「解放令」以後の現在を振り返って様々な運動や方法を検討したことで,差別観・人間観・価値観を転換させたことで,差別解消の方向性を見出した。

①「人権(人間観)拡大」の展望

なぜ「人の世」「人間」なのか。「特殊部落民」ではないのか。

部落差別をなくすことは,すべて人間が「差別されない」社会を実現することである。人間が人間であること自体の中に「平等の根拠」がある。あるがままの自分を肯定する思想=「自己同一性(アイデンティティ)」「自己実現」につながる。つまり,普遍的な人間の価値=人権の実現(拡大)を求めることで,「えた」である自らの自己実現をはかろうとしたのである。

②「人間解放」による自己実現の方向性

「人間をいたわる」のではなく「人間を尊敬する」ことで差別解消を実現していく方法(方向)を最善と考えたのである。

「卑屈なる言葉と怯懦なる行為」は「人間をぼうとくする」ことになることを,今までの運動を分析して学んだのである。

「卑屈なる言葉」とは,差別する側に媚び諂い,差別されることを甘受することである。「怯懦なる行為」とは,差別されることに怯えたり,気弱で臆病な対応をすることである。それは「祖先をはずかしめ」ること,「自由,平等の渇仰者・実行者」であった祖先を否定することになる。

また,それは「人間をぼうとく」すること,差別を認めることは人間の尊厳を否定することにもなるからである。

「えた」であることを誇りうることで「自尊感情」が生まれ,「自己実現」への展望が見えてくる。その延長線上に,すべての人間が人間として互いを「尊敬し合う」ことで,互いの存在を認め合う社会が実現され,部落差別が解消されると考えたのである。

「人の世に熱あれ」とは,そのような社会(人権社会)を実現していく展望を示し,「人間に光りあれ」とは,その社会を実現できる力が人間にあることを示している。

さらに図化してテクスト分析したものをPDFにしておく。参考にしていただければ幸いである。


部落史・ハンセン病問題・人権問題は終生のライフワークと思っています。埋没させてはいけない貴重な史資料を残すことは責務と思っています。そのために善意を活用させてもらい、公開していきたいと考えています。