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本との出会い

参考文献や引用文献から本を注文することが多いのだが,その約3分の1は期待はずれのことが多い。その中にあって,買ってよかったと思う本に出会うことが稀にある。
最近は,ハンセン病関係の本を収集しているが,その中で資料関係は別として,読み始めて,すぐに心惹かれて一気に読み終え,深い感動を味わった本が幾冊かある。

『ハンセン病とともに 心の壁を超える』(熊本日日新聞社編) 岩波書店
『開かれた扉 ハンセン病裁判を闘った人たち』 講談社

特に,上記の2冊には心動かされた。涙と怒りと喜びが,読み進むたびに,交互に同時に私の心の中に強い感情の発露となって湧き出した。これほどに感動した本と出会ったのは十数年ぶりだろう。
ハンセン病問題に興味関心をもつ人には是非とも読んでもらいたい。必読書である。

私のnoteの<マガジン>の1つ、ハンセン病問題に関する論考を集めたものには、この本の題名から借りて付けた。

机上でしか考えず発言もしない人間とはちがって,彼らはまさに行動の中で,人と共に闘う中で,確実に何かを成し遂げようとした。人と連帯し,人と共闘し,世の中を変えようと行動した。

丸山真男だと記憶しているが,彼は日本の学者を表して「タコ壺の中から発言する」と批判した。自らは外に出て闘わず,攻撃から身を守る「(タコ)壺」に隠れて墨を吐く(批判する)ばかりだ,という意味だろうか。

この本に登場する学者・研究者・弁護士・ハンセン病回復者・新聞記者たちは,常に行動する。堂々と前面に出て闘う。私は,彼らのその勇気を讃えたい。そして,それを教育の現場に生かしたいと思う。
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『歴史のなかの「癩者」』も,私が求めていたテーマに合致した本である。

…歴史的呼称とはいえ「癩者」という表記をそのまま使用することには,ためらいもあった。なぜならば,「癩」という語にこそ強烈な差別・偏見が凝縮しているからである。しかし,あえて,この語を使用し,本のタイトルにもした。差別の現実を覆い隠すことなく,その歴史と現実を直視するためである。

本書はハンセン病患者への差別の歴史を明らかにするものである。差別は古代から存在した。しかし,古代からの差別がそのまま継承され現代にまで至っているわけではない。差別には,それを規定したその時代の歴史的背景があるはずである。近年,部落差別の原因をめぐって,それを超歴史的に解明しようとする傾向がある。たしかに部落差別の意識には古代からの「けがれ」観も影響している。しかし,それをそのまま近現代の部落差別に結び付けることは歴史学を無視した暴論である。あるいは,衛生問題への関心が強まり,近世の民衆のコレラへの恐怖観をそのまま近代に持ちこもうとするような研究もある。こうした研究は,国家を忘れた歴史観に基づくものであり,そこには,興味本位かつ,学問の目的を単に自らの知的好奇心を満たすことのみに置く姿勢が明瞭である。社会の矛盾を解決し,不合理な社会関係を変革していこうとする意識を欠落させている。…ハンセン病患者への差別を国家が扇動した象徴としての「らい予防法」の廃止を見据えながら,法律が廃止される今こそ,歴史のなかにハンセン病患者の存在を深く刻み込んでおかなければならないという確信のもとに,古代から現代までの日本の歴史のなかで,ハンセン病患者への差別がどう形成され,どう変容してきたかを追究した。
(同書 「序」より)

引用したこの一文を読んだだけで,私が求めていた「視点」と内容であることを直感する。この「視点」に関しては,部落問題・部落史を研究テーマとして試行錯誤の中で辿り着いた現時点での私自身の考えに最も近く,賛同する。つまり,その時代における歴史的背景を重視する視点である。
そして,何よりも「社会の矛盾を解決し,不合理な社会関係を変革していこうとする意識」を研究の立場におく点は,まったく同感である。

部落史・ハンセン病問題・人権問題は終生のライフワークと思っています。埋没させてはいけない貴重な史資料を残すことは責務と思っています。そのために善意を活用させてもらい、公開していきたいと考えています。