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『水平社宣言』読解(2)

石瀧豊美先生の考察・論考を基にテクスト分析を行い、『水平社宣言』に込められた思想を解き明かしてみたい。
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2 文意・言意の分析・考察

(1) 全国に散在する,わが特殊部落民よ団結せよ

・水平社が部落民自身による組織であるという「組織原理」
・「烙印」=「特殊部落民」(差別者の側からの視点)
・マルクス,エンゲルスの『共産党宣言』の末尾の一節「万国のプロレタリア団結せよ」が下敷きになった表現
・部落民は「全国に散在する」少数者であるから「団結」する必要がある。運動組織も各地に散在しているから,全国統一組織が必要である。
・原テキストである創立大会に提出されたビラ(『全国水平社』大阪人権歴史資料館)では,この一行だけが段落を示す一字下げがなく大きい字で印刷されている。

長い間いじめられてきた兄弟よ

・「いじめられた」=差別 → 人間外,社会外の存在として扱われてきた
・「兄弟よ」=「特殊部落民」

(2) 過去半世紀間に,種々なる方法と多くの人々とによってなされたわれらのための運動が,なんらのありがたい効果をもたらさなかった事実は,それらのすべてが,われわれによって,また他の人々によって,つねに人間をぼうとくされていた罰であったのだ。

・……運動が,……効果をもたらさなかった事実は,それらのすべてが,……(われわれが) 人間をぼうとくされていた罰であったということを意味している。
・部落改善運動や融和運動が「ありがたい効果」をもたらさなかったのは,被差別者も差別者も「人間をぼうとくしていた」からだ。
・被差別者の側に「差別の理由や根拠」を見いだし,被差別者の努力だけで差別の解消をめざした運動であったから,そのような考えや運動(「卑屈なる言葉と怯懦なる行為」)は「人間のぼうとく」である。

(3) そして,これらの,人間をいたわるかのごとき運動は,かえって多くの兄弟を堕落させたことをおもえば,この際われらの中より,人間を尊敬することによってみずから解放せんとする者の集団運動を起こせるはむしろ必然である。

・「人間をいたわるかのごとき運動」 ←→ 「人間を尊敬すること……集団運動」

○「いたわる」に込められた意味

・部落改善運動や融和運動が,部落のためを装いながら,実際は部落の側に差別の根拠を求めていた。「同情」に基づくだけの運動は,根本的な解決にならないだけでなく,それは部落内部からそれらの運動へ参加した人々を堕落させるものであった。
・「いたわる」…自己を優越的な立場に置き,相手に同情すること
・「人間を尊敬する」…人間としての誇りを失うことなく,相手の立場を重んじること
・同情を受ける存在に甘んじること,それは人間の堕落である。 
・「~かのごとき(かのような,ニセの)」の解釈

「いたわる」という言葉自体に「自己を優越的な立場に置き,相手に同情すること」という意味が込められている。
最後の段落の「人間をいたわることがなんであるかをよくしっている」には「~かのごとき」はない。「いたわる」を「尊敬する」と対比させて,否定している。
従来の運動に参加することは自分たちの「堕落」(自分たちに差別の原因があると認めることになり,同情に甘んじれば卑屈に生きることを許容することになる)となるから「(部落)外」からの運動への参加を拒絶することも,「われらの中」より「集団行動」を起こすとも「必然である」となる。

・ゴーリキィ『どん底』(サーチンの台詞)
「人間は元来勦はるべきものぢやなく,尊敬すべきもんだ…。哀れっぽい事を云って,人間を安っぽくしちゃいけねえ」

(4) 兄弟よ。われわれの祖先は自由,平等の渇仰者であり,実行者であった。

・自分たちの祖先は,のどの渇いた人が水を欲しがるように,自由・平等をうしなっていたからこそ,その価値を最も知っている。
・被差別者として存在していること自体が「自由・平等の実行者」であった。
・『共産党宣言』:「ブルジョワジーにたいする彼ら(プロレタリアート)の闘争は,その存在とともにはじまる」
・祖先に対する認識の転換
 「差別された惨めな存在である」を否定する発想
 「差別されていた」から「自由,平等」が人間にとっていかに大切かをよく知っている。
 祖先(「えた」である存在)に対する認識(価値観)を変えることで,自分の存在を肯定的に受けとめることができた。 = 自尊感情

(5) 陋劣なる階級政策の犠牲者であり,男らしき産業的殉教者であったのだ。

・「産業的殉教者」…世間の人々が「けがらわしいとする仕事」を強制されていた。
・「陋劣」…「いやしく劣っていること」「心が狭くて卑しいこと」

参考:「陋習」…「旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クベシ」(『五か条の御誓文』)

・「陋習」(悪い習慣,いやしい習慣)は,明治期を通じて,「部落」を意味していた。
・「産業」=皮革業:「けものの皮をはぐ」(死牛馬処理の役目)
実際には,多くの「えた」身分は農業に従事していた。

(6) けものの皮はぐ報酬としてなまなましき人間の皮をはぎとられ,けものの心臓を裂く代価として温かい人間の心臓を引き裂かれ,そこへくだらない嘲笑のつばをはきかけられた,のろわれの夜の悪夢のうちにも,なお誇りうる人間の血は涸れずにあった。

○単に先祖の血を受け継いだというのではなく,「自由・平等の渇仰者であり,実行者であった」祖先の血,「階級政策の犠牲者であり,産業的殉教者であった」祖先の血,それを「誇りうる」という意味である。

・「夜」は「光」に対比している。
・「誇りうる人間の血」 → 祖先の生き様を肯定している。
職業(役目)を差別の根拠とせず,差別する側の人間観や職業観に求めているから,祖先を誇ることができる。
・祖先が命をつないでくれたから「涸れずにあった」 → 「血を享け」ることができた。
・「のろわれの夜の悪夢」→差別された日々

(7) 犠牲者がその烙印を投げ返す時が来たのだ。殉教者がその荊冠を祝福される時が来たのだ。

・「烙印」をおされた者=「殉教者」が「荊冠」(屈辱)を「祝福」される。
・「犠牲者」「殉教者」であったことが尊いことだ = 被差別者であったことが尊い
差別を受けていたからこそ最も人間らしい生き方をしてきた。
だからこそ,「えた」を誇りうることができる。

(8) われわれが「えた」であることを誇りうる時が来たのだ。

 ※「『えた』であることを誇りうる」とは

・ただ「えた」として生きたという事実によるのではなく,「誇りうる…血が涸れずにあった」こと,「この血を亨けて」いることによる。

○差別の苦しみの中でも,人間であることの尊厳を失わなかったから,「誇りうる」のだという意味である。

・「えた」という差別そのものの表現(烙印,レッテル)に対して,「誇りうる」としたことで価値観が転換された。 → 自尊感情

(9) われわれは,かならず,卑屈なる言葉と怯懦なる行為によって,祖先をはずかしめ,人間をぼうとくしてはならぬ。

○「卑屈なる言葉と怯懦なる行為」はなぜ,「祖先をはずかしめ,人間をぼうとく」することになるのか。

・差別を受けた時に,自分が「えた」の子孫に生まれたことを恥じたり,耳をおおってその場を逃げたりすること,それは「誇りうる」生き方ではないと否定している。
・一方からの同情は,他方で「卑屈,怯懦(きょうだ)」となる。
・「卑屈(いくじなく,こびへつらうこと)」「怯懦(臆病なこと)」
 「いたわる」に甘んじる態度=「堕落」である。

(10)そうして人の世の冷たさがどんなに冷たいか,人間をいたわることがなんであるかをよくしっているわれわれは,心から人生の熱と光を願求礼讃するものである。

・「人間をいたわる」ことは被差別者の堕落に他ならない。だから「人間を尊敬する」ことの価値に気づくことができた。
・「世の冷たさ」と「熱」,「尊敬すること」と「光」
・「願求」:「心から浄土に往生することを願い求めること」
・「礼讃」:「佛・法・僧の三宝に礼拝して,そのくどくを讃歎すること」
 仏にすがるほど,必死の思いで「人生の熱と光」の実現を求めている。

(11)水平社はかくして生まれた。

・ここまでの文は,水平社が生まれた「必然」の説明であり,水平社はそのような認識に立った上で,必然的に生まれたのである。
・「えた」であることを否定し,そこから逃げるのではなく,誇りを持って差別と向き合うという決意であり,人間らしい生き方を貫くこと,人間を尊敬することを「運動」の出発点に置こうとした。

(12)人の世に熱あれ。人間に光あれ。

・「人の世の冷たさ」=冷酷な差別,「人の世に熱あれ」=人と人の間に差別のないこと
・「光」…個としての人間の平等 = 人権の原点

※人間が人間であること自体の中に平等の根拠がある

3 水平社の思想

①それまでの運動とちがって,自分たちの内部ではなく,自分たちをとりまく社会に,差別を生み差別を支える構造を見出した。

②社会の側の同情にすがるのではなく,自分たちの力で差別に立ち向かおうとした。

③「人間をいたわる」のではなく,「人間を尊敬する」ことを運動の原点に置いた。

④差別を受けていたからこそ,最も人間らしい生き方をしてきた。差別を受けてきたことは隠すべき,はずかしいことではない。=「えた」を誇りうる時が来たのだ

⑤「人間に光あれ」と高らかに宣言することで,普遍的な人間の価値の実現を求めようとした。


部落史・ハンセン病問題・人権問題は終生のライフワークと思っています。埋没させてはいけない貴重な史資料を残すことは責務と思っています。そのために善意を活用させてもらい、公開していきたいと考えています。