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空の下にあるこの街を歩む理由

あまりにも良曲で気持ちが溢れすぎて大泣きしているので。

手島章斗さんを好きになり、手島さんが歌う曲をYouTubeで探して聴く毎日です。絶対にいい時間になるとわかっている1日の中で気持ちを楽に持てる時間。

能登半島地震があり能登豪雨があり、報道などで被災者のメンタルが心配されるとよく言っています。
私の心を整える「耳で聴くタイプのときめき」で私は今日も私を保つ。

「Hello, Again 〜昔からある場所〜」は大好きだけど苦手な曲。

JUJUさんがカバーしたこの曲のMVが私の心に響く。
MVに出てくるおじいさんに祖父が重なる。
約14年前にこれを見てからこの曲を聴くたびに必ず涙が出る。ちゃんと聴けない。
幼少期の思い出を振り返ることができる写真は、そのほとんどがカメラを構える祖父に向けて笑っている私たちが残されている。
笑顔の私たちが写っているが、その笑顔は祖父の「こっち向け」や「写真撮るぞ」に向けて笑っている。祖父を見る私たちが写真となって今に在る。
いい時間をたくさん過ごしてきた。

その祖父を数年前に見送り、そして祖母も同じ年に旅立ち、祖父が1人でいる時間が短かったことにちょっと安堵したりした。祖父が向けるカメラを見る祖母が綺麗だと思っていたし、祖母は祖父との結婚記念日を迎えた翌日に旅立ったから会いに行ったんだと思えた。
思うように動けなくなってから、苦しかった時間を過ごすことが長かった2人だから、少し楽な体になって一緒にいると思うようにしている。

祖父母宅も我が家と同じように全壊しているが津波が入り、我が家よりももっとひどい。道路に大きく崩れ落ちた瓦礫を敷地内に戻してもらったため、ぐちゃぐちゃだ。
地震が来る前は遺品整理のために大切なものをいくつか取り出したりしたが、まだ猶予があると思い、全然片付いていなかった。
祖父母と共に過ごした時間を残す写真を見つけられない。
記憶が祖父母との時間を辿れる唯一だ。

そういう状況で、今、SOLIDEMOの「Hello, Again 〜昔からある場所〜」を聴いたわけだが、ずっと泣いていたし、聴き終わった今も泣くのを止められない。もう2時間くらい泣いてるね。泣く元気があっていいと思います。
モノに誰かとの想いを込めて大切にしてきた私にとって、モノ自体を失くした今は何を大切にすればいいのか心の拠り所が見つからないのだけど、この曲が祖父母との思い出を繋いでくれる。  
私はこの曲を聴くときに祖父を思い出し、また祖父が大切にした祖母を見ていた。祖父を思い出すと必ず近くに祖母がいる。
祖父母と過ごした過去を今に持ってきて共に1秒を重ねていると思うと寂しさは薄まる。

私が能登にいる大きな理由として、それぞれ生まれた場所は違ったが祖父、祖母共に能登で一生を過ごしたからだ。
いろんなものを見て知ったが、享保以前から能登で生きてきた先祖がいて私たちがいる。末端であり、外部との交流も少ないのであろうが、ここで暮らしてきた人が継いできた街で私は生きている。
街の姿は時代に合わせて変化し続けてきたので同じものはないとしても、昔からある場所というのは変わっていない。
祖父母が長く歩いた人生の場所である能登を私は私なりにゆっくりと歩む。

この曲を聴くと泣いてしまうから聴きたくないという気持ちもあったんだけど、SOLIDEMOがどのように歌ったのか気になって動画を再生した。
やはり涙はすぐ溢れてきた。言葉に込められた感情が歌になって耳に届いたときに心が反応する。ただ聴くができない。
一曲の時間に込められた心を感じるとBGMになんてできなくて、私も音楽に心を向けて聴くぞと姿勢を正す。
音楽が私の心に触れてボロボロと涙として溢れた。
大好きな曲で苦手な曲なのは変わらない。この曲がくれる愛しい時間も変わらない。
そして手島章斗さんへの大好きは止まらない。
自分があって、その前に音楽があって、音楽に近寄ることを目標に生きているんだけど、今後も素敵な音楽を追いかけて明日へと歩む日を続けていきます。

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