3月8日

じいちゃんが死んで、もうすぐ一ヶ月経とうとしている。

2月は短い割に、色々なことがあったのでいつもより長い気がした。

葬式ではあまり泣かなかった。おばあちゃんや父親が泣いてる姿を見て、切なくなった時には涙が出た。火葬されて骨になった姿を見ても、じいちゃんにもう会えないという実感はイマイチ湧かなかった。

その実感が湧いたのは、1週間後だった。
休みの日、実家に線香をあげに帰った。バスと電車を乗り継ぎ、平日の昼間。
バスにも電車にもじいちゃんがたくさんいた。バスに置いていかれそうになり杖を振りかざして走るじいちゃん、隣の若者の会話にイライラしているじいちゃん、うたた寝をするじいちゃん。

生きて、動く、よそのじいちゃんたちをぼんやりとみていると、私のじいちゃんは歩いたり、話したり、走ったり、そんなことがもうできないのだと、頭ではわかっていたはずなのに、それが目の前で実際に起きたようで、突然、涙がぼろぼろと出て止まらなかった。自分でもなんで今なのかよくわからなかった。

今ばあちゃんは、1人では広いあの家に住んでいる。

亡くなってから、じいちゃんの声を聞いたらしい。
夜、寝る前に戸締り確認をしているときに「誰や!」というじいちゃんの声を聞いたばあちゃんは、まだじいちゃんが寝れないんだろうと“リン”を叩いて「寝るよー」と言って寝かせてやったよ、と笑って話した。


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