見出し画像

生F態

生F態
I. Science and Fiction

 最近は、三時間を超過する映画の鑑賞にすら
体力の衰えを感じるようになったけれど、
SF映画だけは僕の眼を惹きつけ、退屈さを忘れさせてくれた。
平凡な暮らしとは無縁の現実離れした物語や
世界の危機に立ち向かう救世主に、僕は憧れていた。
僕のこれまでの人生には喜劇も悲劇もなく
ただそこに在るのは、変わり映えしない日常だけだった。

 エンドロールが流れると
僕は沈み込んだ腰を上げ、壮大で大迫力なサウンドを
全身で浴びながら、ふらついた足取りで、
フロアライトに薄く照らされた段差を降りて
スクリーン出口を後にした。
ロビーの電光掲示板には 「本日の上映は終了しました」
というテロップが映し出されていた。
レイトショーはいつも閑散としているけれど、
公開から二週間ほど経過していることもあってか、貸切状態だった。

壁に張り付いている広告を横目に歩いていると
先月鑑賞したジャズを題材にした
アニメーション映画のポスターが小さな電球に照らされていた。
あの作品こそシアターの音響で観るべき作品だよなと、ふと思った。
最近はすっかりアニメーション映画に魅了されている。
きっと実写よりも、現実から遠ざかっているから
いや、現実から眼を背けさせてくれるから、なのかもしれない。
最新の映画は物語の展開も映像美も本当に素晴らしいけど
やっぱり古い映画にしかない空気感も
21世紀を生きる人間にとってはとても新鮮で。
僕は娯楽に溢れた時代に生まれてきて
本当によかったと思っている。
そう、本当によかった。

シャッターの閉まったポップコーン売り場を横切って
動作が停止したエスカレーターをぎこちなく降りる
出口の自動ドアもどうやら反応しないので、
両端にある分厚い扉を身体の重心を使って
ゆっくりと開け放つと、外からじめっとした
ペトリコールのような匂いがもわっと漏れ出した。

凝り固まった背中を伸ばし、肺一杯に外気を吸った。
いまにも雨が降り出しそうな気配だったが、
帰宅する前に、一服したくなった。
映画を観た後、外にある喫煙スペースに寄るのがルーティンだった。
  商業施設の裏口を通り抜けると、
暗がりにひっそりと透明なアクリルで囲われた喫煙スペースがある。
日付が変わろうとしている時刻に立ち寄る人などいないので
僕はため息を大きく漏らしながら、ベンチに座った。
ポケットから一本のシガレットを取り出して
コンビニの百円ライターで火をつける。
ボゥー。
この時期は湿気ていて、おいしくない。
それに三時間作品はやっぱり堪えるよなと改めて思いつつ、
首を上を向け、夜空を眺めた。
月が円盤のような雲に覆われていくのが分かった。
「かえるか」
とまた重たい腰を上げた。
すると、どこからか幻聴のようなものが聞こえた。
「お前さん、おいらが見えるのか」
映画で大音量を聴いたせいか耳鳴りがしたのかもしれない。
「なんだ、やっぱり気のせいだったか
日本語とやらは、本当にややこしいな。」
気のせいではない。暗闇の草むらの方に、
目を光らせたカエルがこちらを覗いていた。
「もしかして、君が喋ったのか…」
真緑に黒模様の動体は、頬を膨らませたり萎ませたりしていた。
頬の動きが止まる。
「ああ、そうさ。透明化していたというのに。」
少し声のトーンが下がる。
「本当に?」
僕の声が少し浮つく。
「なんだかお前さん、あんまり驚いていないな」
エメラルド色な眼は、ひとつ瞬きをする。
「いや、驚きすぎて、表情が表に出ていないだけで」
いや彼のいう通りだった。
小柄な体型、カエルに対して脅威を感じるはずもなかった。
「いや待て、ここの住人は、人類以外の動物が
喋ることに慣れているというのを文献でみたような…」
文献とはなんだろうか、小説か漫画でも読んだのだろうか。
「君は何者なの」
僕は少し、非現実的なこの状況に興奮していた。
「おいらかい、そうだな、地球外生命体とでも言っておこうか」
「地球外生命体?」
僕は咄嗟に呟いた。
「どこから来たの、何が目的なの、どうしてカエルなの」
「おいおい、なんだその質問攻めは」
正直、僕はテンションが上がっていた。
夢でも見ているのかもしれない
でも地球外生命体に遭遇するのが
僕の憧れのひとつなのは間違いなかった。
「憧れだったんだ」
「そ、そうか。変わった人間だな」
「あのー、もしかして僕って選ばれし人間だったり?」
「いや、別に。そこにいたただの人間だろ。」
「そ、そうですよね、なんかごめん」
「おいらは、この星の人類とやらが、
脅威になりうるかの調査にやってきたんだよ」
「もしかして、敵なの?」
息を呑んだ。
「いや、敵にするまでもなかったというべきか…」

カエルは地球へやってきてからのことを話してくれた。
彼は北国から中東を旅して、仏国に行き着いたが、
そこで繰り広げられる人間同士の争いを目の当たりにして、
人間の致命的な欠陥を知ったのだという。
彼からしてみれば、地球という惑星で内戦が起こっている限り、
地球外へその矛先が向かないであろうということ。
人間の倫理観が欠如しない限り、
科学技術の発展が抑制され続けるのだという。
つまり彼らの文明には到底及ばないし
ほっといても今後訪れる地球滅亡の危機に
人類は立ち向かうことが出来ずに滅びゆくのだと言う。

「話が壮大で分からないけど、それってまずいんじゃ…」
「お前さんには関係ない話だろう、たった数十年で
肉体から精神が離れ、宇宙に漂い続けるエーテルになるのだから」
「救う方法はないの?」
「ないこともないが、何故おいらが
地球に住む人類を救う手助けをしなくちゃならないんだ?」
「そんなこと言わないでよ、フロッグ!」
「ふ、フロッグ?」
「そう、カエルだからフロッグ」
「日本語から英語に翻訳しただけやないかい」
「日本語はややこしいからね」
「それもそうか」
「どうか地球を救ってください」
「そうだな、地球という惑星が救うに値するかを教えてみろ」
「ど、どうすれば、才能もない自堕落な生活をした人間だよ」
「じゃあ普段通りの生活をしてくれればいい、それで判断する」
「もしかして一緒に生活をするの」
「それでもいいが」
「フロッグを連れて歩くのは、ちょっと…」
「だろうな、ではお前さんの片目を借りよう」
フロッグはジャンプして僕の右目に飛びついた。
「うわっ」
「網膜をハッキングする」
「えっ」

アクリルで囲われた喫煙スペースが眩しい閃光で覆われる。
「これでよし、これでおいらは、
お前さんの網膜から映し出された映像を
共有する事ができるし、テレパシーを送ることもできる。」
「まじか」
「まじよりのまじ」
フロッグはどこでそんな日本語を覚えたのだろうか。
ぽつっぽつ。雨が突然、降り始めてきた。
「そういえば、お前さんの名前を聞いていなかったな」
「僕の名前はサイだよ」
「じゃあ、サイよ。改めて聞こう。
この地球を、人類を救うに値するかを証明してみせろ。」
「そんなの簡単だよ、この国は、この星は
ここに住む人類はきっといい人たちばかりだから」
「本当にそうだろうか」
「それに…」
「それに…?」
「家に帰ったら、好きな映画を教えてあげるよ」
「はい?」
「つまりフロッグにSF映画の魅力を伝えることで
”人類滅亡の危機に現れる主人公に俺はなる”
みたいな展開になればいいなって」

フロッグは口を開けたまま
首を傾げていた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?