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都市のファンタジー

昔から「都市のファンタジー」という概念について、考えている。

私は、宮崎駿監督の「となりのトトロ」が好きだ。引っ越したばかりの家にワクワクする感覚から始まって、徐々に不思議なことが起こり、実に自然に、シームレスに、奇妙で素敵な異世界へと導いてくれる。何度も観ているが、そのたびに好きになる映画だ。

でも、一方で、この映画を最も楽しめる人は、私のような都会育ちの人間ではないとも思っている。きっと人生経験のなかで、田舎の風景を通過したことがある人の方が、自分の実感や記憶も呼び起こされながら、より立体的に、この映画を味わえるのだろう。田んぼ沿いの道、木造の二階建ての家、井戸、森の中にある神社。そういったものに郷愁を持てる人だ。田舎暮らしではなくとも、たとえば親戚宅が田舎にあって、何度か泊まったことがある‥というような人もいるだろう。羨ましい。

私は生まれてこのかた、ずっと都市で暮らしていて、親戚も都市にしかいない。そんな人間には、想像しきれない領域がある。私にとって、トトロの世界は、実感から離れた、完全なるフィクションだ。私は、実際の田園風景を見ると「となりのトトロのようだ」と、この映画を例えに出す。でも本当は、順序が逆のはずだ。観客の原風景に田園があって、それをもとにファンタジー性を付与したのが、この映画であるはずなのだ。

だとすると、私のような都市で生まれ育った人間に、本当にフィットするファンタジーはあるのだろうか。それが存在するとしたら、どんな形をしているのだろう。私は「都市のファンタジー」という概念を、あるときから意識しだした。

昔の世界は、もっと朦朧としていた

また話は変わるが、糸井重里さんが引用していた、吉本隆明さんの言葉が、ずっと印象に残っている。「昔はもっと朦朧としてた」という言葉だ。

【糸井】ずっと昔の人は、不安定であることがふつうだったんです。つまり、源氏物語の時代の人たちには、ほんとうにおばけがいたんです。

(中略)

たとえば、夜道を歩いてたときになにかが、「後ろから、ひたひたとついてくる」ような気がするとき、現代人にとって、それは気のせいなんだけど、平安時代の人たちは、それを決められないはずだと。

任天堂公式サイト  社長が訊く『ニンテンドー3DS』記事より引用

この言葉のことを、ずっと考えている。平安時代に生きた人にとって、とらえきれない超自然的なものは、間違いなく、もっと日常の近くにあったのだろう。サイエンスがない時代、それらは、世界が不明瞭だからこそ存在できた。

幽霊画

それに対して現代の都市はどうだろう。現代の都市は、全方位に対して、解像度が極端に高すぎる。不明瞭なところがない。調べて正体が分からないものがない。全てが朦朧とは程遠い。街の端から端まで、人為を介さないものは存在していない。そんななかでは、幽霊を信じようとしても、きっと自然科学の知識が邪魔をするだろう。


ピーテル・ブリューゲル『死の勝利』(1562年)

「朦朧としたもの」は、不安感だけに限らない。16~17世紀、人が次々と高熱で死にゆく恐怖を絵画に描く際には、死神がモチーフとしてよく用いられた。そのとき死神は、人々の中に存在していたといえる。だが今となっては、その恐怖の正体がペストという感染症だと分かっていて、それを防ぐには、祈祷やまじないではなく、衛生管理が必要なことを皆が知っている。そこに未知への恐怖はない。そうなった今、病床の人間の横に、死神が立つ姿を見るのは難しい。

でも一方で、人間にとって、夜道の不安感が完全になくなったわけではない。それは、うっすらと存在している。夜道で犯罪に巻き込まれる恐怖とはまた別の、この世とあの世の、境界の曖昧さを目にするような恐怖。その意味では、今も「おばけ」はいる。ただそれは、皆が知る、古典的な幽霊の形をしていないだけなのだ。

他にも、かつては神と呼ばれたもの。占いと呼ばれたもの。呪い、予知、救世主、伝説、陰陽、憑依、鬼、パラレルワールド、UMA、超能力、タイムリープ‥。一部はオカルトとして、陰謀論や都市伝説のような形で、かろうじて表出しているが、その量は減った。世界の解像度が高すぎるのだ。もともとあった「朦朧としたもの」は、それだけではないはずだ。

本当は、サイエンスとテクノロジーでは説明しつくせない、世界の隙間のようなものが、他にも、まだあると思っている。正確に言えば「自然科学の支配する物理的世界」には存在しないが、「人間の心象風景」の中には存在する。

そのギャップを埋める概念に、私は「都市のファンタジー」という名前だけをつけて、頭の片隅に置いていた。現代の都市にも、ゆらぎや軋みの隙間から生まれるような、不安定な奇譚は存在すると思っている。巨大な力ではなく、もっとマイクロな力。まるでずっとそこにあったかのように、自然に、異質なものが隣にいる。そういう感覚。

かつてのファンタジーは、人の手がついていないことで朦朧としていたが、都市のファンタジーはそうではない。都市のファンタジーは、人為の上書きを過度に繰り返した結果でできあがった、誰のものでもない、所属不明の隙間なのだと思う。重ね書きを繰り返して、原形をとどめていない、ストリートアートの断片のようなものだ。そういう感覚のものを、ずっと探している。

都市のファンタジー

昨年、生成系AI技術に出会って、もう少し「都市のファンタジー」というテーマに向かいあってみたくなった。「誰のものでもない、所属不明の隙間」を作るのに、AIは向いている。そこから生まれるものは、間違いなく、誰のものでもない。

「2024年のライブカメラ」

今回「2024年のライブカメラ」という動画を作った。実際のライブカメラ映像を元にした、ショートムービーだ。YouTubeにショート動画として公開した。映っているものが何を意味しているのかは、私自身にもよく分からないが、都会のなかに潜むファンタジーを探すための工程の一環だと思ってほしい。

今後も都市のファンタジーを捉えるために、習作を重ねてみようと思う。ときに、なにか見当違いのものを作ってしまうこともあるかもしれないが、しつこく歩き回っていれば、どこかの隙間に迷いこめるかもしれない。

動画はこちら:
https://www.youtube.com/playlist?list=PLMWxI50W-896YdGrD9MC1WW7Vs7D72xN9


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【参考文献】
となりのトトロ
https://www.ghibli.jp/works/totoro/

「昔はもっと朦朧としてた」
https://www.nintendo.co.jp/3ds/interview/hardware/vol1/index8.html

幽霊画
https://maidonanews.jp/article/12606808

ペストの頃の死神
https://gendai.media/articles/-/73779?page=3


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