「人間」という本質と、外殻としての「人間」

寝てたら三連休が水泡に帰しそう!なんてこったー!

最近は寝始めると際限なく寝てしまいます。それこそ半日とか、酷いと日中ほぼ寝てます。たまにあるくらいならいいですが、毎週毎週こうだと平日働く甲斐も無いってもんです。

前置きはこのくらいで。

さて前回投稿では「人間」という言葉の指すところについて区分けをしました。生物種としてと、そこから一歩踏み込んで人間という属性として…の2種類です。今回投稿では後者の方にスポットを当てます。


最近、こういう言葉を耳にしませんか?

「男女である前に一人の人間」

「ちゃんと一人の人間として扱え」

リのつく人とかフのつく人、後は…女にいいカッコしたいダッセークソメンズが使いますね!

それと同じくらい、こういう言い方も聞きませんか?

「同じ人間なんだから差別は良くない」

「人類みな兄弟、共通の人道的正義に照らして生きよう」

これはどちらかというとリの人達が好きな言い回しですね、教科書とかにも【宇宙船地球号】とか大仰な単語の下に使われてたりもします。

それで、です。

この前半と後半の2つの例において、「人間」という単語が指している場所が違うのはわかりますか?

どちらも大分類では前回投稿で取り上げた「社会的な人間」のものです。

しかし、その下位分類において微妙に指すもの、意味するものが違ってきます。


属性の前にある「一人の人間」という外殻

ではまず前者の方から。

「男女である前に」ここがミソですね、まず人間は微生物とか菌類では無いので雌雄の別れた生物種です。これは『事実として』です。

しかしです、この言い方だとその生物種としての人間の前に一枚フィルターのように別の「人間」という言葉が差し込まれていますね。

もうひとつも同様です、人間個人につく属性(性別や容姿、話し方や挙動etc)を見る前に何か「人間」という物を見ろという言い方です。

これに限らず、結婚報告なんかの文面でも「一人の人間として尊敬し合える」だなんて、まるで「男女とか関係なしに判断をして結婚したんだ!俺達はそのへんの猿とは違う!」とでも言いたげな節回しとして出てきますね。これもこれでなかなかにおかしな言い回しなんですが。

とりあえずです、現代において人々は何か一枚外套や外殻のように「人間」と呼ばれる何かを纏っている、という認識は割と一般的な物かと思われます。

この使い方のメインの戦場はなんと言ってもセクハラ分野でしょう。「人間」という外殻を脱いだ覚えは無いのにその下にある「性別」という物を見られている、という所に不快感を覚え怒りや悲しみを顕にしているわけですね。異性に言い寄る人や悲しき非モテを指して「相手を人間扱いしてない!(だからモテない、気持ち悪がられるんだ!)」というのも、耳馴染みのあるフレーズではないかと思います。

一旦外殻の話はここで置きましょう。


等しく共通した内面としての「人間」

さてお次は後半の言い回しですね、こちらはなかなかに罪深くて傲慢な物だと思いますよ。

前回取り上げた概念をより特化させた感じですね、「人間として生まれたからには同じ価値観と正義を持っているはずだ」という考え方です。

人間として生まれ落ちた赤ん坊の段階から「正義」や「道徳」はその中に備わっていると主張したいわけです。教育とはあくまでそれを明文化、補強するものであると。

この主張に倣えば子供は何もしなくても理性的に正しく育ち、寧ろ教育や躾はそれを妨げる異物であると結論づけられます。

この内面にある「本質」と言えるようなものは人種や民族が違っても同じである、という捉え方が一般的でしょう。その上にその人種や民族特有の価値観やらが乗っているだけで、それを取り除けばわかりあえるはずだと言いたいわけです。

プラトンのイデア論とかのような物、といえばいいでしょうか。我々の外観を取り払った先には何か普遍的な、例えば魂とでも言うべき本質が先天的に存在していて、その上に後天的な外観や価値観、言語が纏わりついている状態であると捉えているわけですね。

それでですが、こちらには少しばかり批判的な事を言おうと思います。

この考え方、非常にキリスト教的というか一神教的ですよね。

人間という存在が生まれ落ちるにあたって何かしらの高次性を備えて生まれてくる…というのは創世記のアダムとイヴの失楽園を前提とした認識でしょう。

元々多神教…それどころかそのへんの物全部神様居ますな神道的な価値観や、神すら存在せず人間の獣性を抑え込み涅槃に至ろうとする仏教が生活様式の基盤にある日本には非常に相性の悪い考え方であると言わざるを得ません。

それに赤ん坊が育つ過程を考えれば、赤ん坊というもの自体が非常に獣的である事は疑いようの無い事実といえるでしょう。大人になっても猿みたいな人間だっているんだから尚更です。

この考え方自体が普遍的な物ではなく特定の価値観の中から生まれたバイアスまみれの物であるというのはなんとなくわかっていただけるでしょうか。

前半の「外殻」についてもそれなりに考えはありますが、そちらを取り上げるとちょっと読むには長くなり過ぎるのでここでは控えて…また別個に記事として投稿します。


というわけで、社会的な価値観としての「人間」の使い分けについて簡単ではありますがまとめてみました。

文献も何もなく、雑多にまとめているだけなので参考文献や先行研究をふまえてやればもう少し面白くなるんではないかなと思います。思うだけです。

今回の記事はここまで、お相手は最近記憶も味覚も怪しくなってきたイモイさんでした。

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