間の文化
散歩しながら、昨日のゴルフの反省。
『間』について考えた。
日本人は間の文化を大切にしている。
間を取る、間が悪い、間が大事、間に合わない。
人間という漢字にも人と間は使われている。
人と人の間が人間。
ゴルフならアドレスした時の打つ間の取り方。
間は距離とタイミングを表している。
日本人は濃厚な接触を昔からしない民族。
欧米のようにハグはしないし、ほっぺたを合わせ合う事もしない。
常に一定の距離を置いて、間に入った時に会釈をする。
マナーで言うところの人間(じんかん)距離を大切にしてきた。
都市に人間が集中する現代になり、満員電車が人間距離を奪った。
好んで間を詰めるのではなく、物理的に間が詰まり、人の発する熱気や体臭を浴びる。
今回のコロナ禍においてもソーシャルディスタンスと言うけれど、本来の日本人の文化に置いてはソーシャルディスタンスは普通に取れていたはずである。
心理的な間を殊更に煽ぎ立てる事で、日本文化の良さである本来の間が損なわれている気がしてならない。
間と気を感じる日本人のDNAが色んな文化生み出した。
日本間では襖や障子という簡単な衝立を外せば、一間が二間にも三間にもなり、広い座敷が出来上がる。
また、襖や障子から漏れ聞こえて来る話は聞こえても聞こえていないふりをしなければならないのが日本人のマナーだった。
壁に耳あり障子に目ありではないが、人払いという言葉もあり薄い衝立では人の声は聞こえる事を前提に密談や商談は行われてきた。
西洋建築様式が日本の建築物にも取り入れられ、物理的に音や声はシャットアウトされるようになった。
この事で本来の日本人が持つ間を感じる良さが損なわれているのかも知れない。
本音と建前という言葉には音と建という字が使われているが、これも日本人の文化を捉えた表現だと思う。
プロ野球が開催されたが、無観客で行われている映像を見るとボールをバットで弾き返すカーンという音、スパイクが土を跳ね返す音、キャッチャーがピッチャーの投球を受けた時のキャッチャーミットの音など真剣勝負の雰囲気が漂い、見ていて緊張感が伝わってくる。
野球、ゴルフ、など静と動の間のある競技が日本人は好きなのかもしれない。
間は日本人には大切。
漫才の間、落語の間、講演の間、沈黙という間など日本人として静と動を感じていたい。
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