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コインランドリー39

後期の授業が始まり、3年から始まるゼミの登録申請があった。
僕は勉強には期待していなかったので、ゼミも深く考えず、少林寺拳法部の部長の本田先生主催の商法のゼミに登録申請した。
部の先輩の江田先輩も所属されており、永田君と2人同じ本田ゼミに申請した。
少林寺拳法部の全日本大会の前々日にゼミの面接があった。
僕は志望動機らしいものは語ってみたが、先生も少林寺拳法部に在籍していんる事はご存知なので、落ちる事はないだろうとたかを括っていた。
当然、合格した。
人気ゼミは落とされることもあるらしいがそんなゼミを志望するほど、意欲は高くなかった。

別名体育会ゼミで柔道部から先輩が2人、同期では硬式テニス部から2人がゼミに参加することになっていた。

全日本大会も黒田君と組んで演武に出場したが、予選で敗退。
期待の同期の高木君と山田君は予選は通過したが、入賞には至らなかった。
武道館のアリーナに立てることが唯一の思い出になっていた。

その後は野球の早慶戦コンパを経て、早稲田祭が控えていた。
今年は2年である我々が中心となって焼きそば「少林軒」を運営した。
僕はニュー鳥美喜で鍛えた味覚を生かして、旨い焼きそばを作ることに注力した。
永田君と松下君のコンビが客引きを担当して、それなりに売上は上がり、その売上で1、2年生でコンパを開催して盛り上がった。
合コンの話をつけていたようだった。

早稲田祭が終わった翌日の月曜日は後片付けなのだが、どうしても起きる気にならず、サボってしまった。
この辺が自分の甘さであり、信頼を無くす理由になる事はわかっていたが、どうしても行く気にならず、アパートでダラダラと過ごしてしまった。
本当は早稲田祭にKさんを招待出来たら楽しいだろうなあと思っていたが、その実現は難しいものだった。

部活動とバイトは真面目に行っていたが、何となく精神的に物足りなさを感じて過ごした。

11月の最終週に生協のレコードフェアがあったので、兄貴にも購入を頼まれており、相談してレコードアルバムを思い切って大量に購入した。
購入したアルバムは
●ディープパープル Live in Japan
●ジャクソンブラウン 孤独なランナー
●フォーリナー ダブルビジョン
        栄光の旅立ち
●ロバートブラウン ザ プリンシプル オブ モーメント
●ビリージョエル イノセントマン
●RCサクセション Live
洋楽は余り詳しくなく、兄貴から教わっていた。
兄貴のお金で買ったものはカセットデッキでカセットテープに録音して聴いた。

12月は行事が多くて、忙しく過ごしていた。
少林寺拳法部の早慶戦、本田ゼミのクリスマス会、その後は昨年も参加した少林寺拳法部のメンバーがほとんど参加する大丸のお歳暮商品の梱包のバイト。並行して夜はニュー鳥美喜のアルバイトだった。

ニュー鳥美喜ではお世話になった板前の常世田さんが来年から陸上自衛隊に入隊されるので、年末に送別会が開かれた。
常世田さんが使っていたラッタッタの原付きを安く譲って貰うこととなった。
7万円位で購入したものを1万5千円で購入した。

年末のバイトでは10万円を稼ぐことを目標に頑張った。
毎年、実家へのお土産にニュー鳥美喜でみんなが購入することになっていたアンコウの肝を購入した。
年末の慰労会も無事に終えて、31日の朝に新幹線で帰省した。

お正月の三ヶ日は毎日、Kさんと会った。
5日まで冬休みだったが会えるのは三ヶ日のみだったので、一緒に初詣に行き、喫茶店で語った。
相変わらず、多くを語らない彼女だったが、僕は大学生活の出来事を夢中に語っていた。
彼女からは毎日の仕事の様子を聞いたが、大変さだけが印象に残った。彼女は今年の夏から自動車教習所に通っており、半年かかって免許を取得していた。
教習所の学費は当然自分が働いた貯金で支払っていた。
流石に車は購入出来ないので、通勤は相変わらずバスである。

学生と社会人。
同じ歳なのに生活する環境が違うと考え方や見ているものが全く違う。
遠距離恋愛に限界があるとは考えたくなかったので、お互いの気持ちが途切れないように努力することを僕は会うたびに彼女に語っていた。
郷ひろみの「よろしく哀愁」の歌詞に出てくる「会えない時間が愛育てるのだ」と言う思いを語っていたのだが、彼女としては疑心暗鬼だったのだろうと思う。

6日は土曜日で授業はなかったので、7日の日曜日まで実家にいて、また、ハイウェイバスの新大阪駅に向かうバス停で2人は手を振って別れた。

僕の切ない思いを乗せてバスは高速道路を走って行った。

続く

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