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コインランドリー42

3年の後期が始まった。
少林寺拳法部の夏合宿が終わり、新幹部となった我々はなんとか大会での成績を収めようと頑張った。
9月15日の関東大会では山田、高田、松下の三人掛け演武が二位、団体演武が5位、1年の女子二人が級拳士の部で優勝という結果が残せたのだ。
続く10月14日の全日本大会でも三人掛けと1年女子は入賞を果たした。
この二つの大会で入賞者を出せたことは大きな自信となった。

大会で盛り上がった後の11月1日から5日までの早稲田祭では3年生は関わらないので、この期間に僕は東北の旅に出た。
僕は一人で31日の朝に列車に乗り、福島を目指した。
福島でユースホステルにでも泊まるつもりだった。
今回、同期の高田君がバイクで一人旅に出ており、秋田県の工藤先輩の実家で落ち合うことになっていた。
僕の計画では1日は秋田県に入り、工藤先輩のご実家、2日は青森県に入り、河田先輩のご実家、3日は岩手県に入り、佐藤先輩のご実家に泊めてもらい、4日の夜行列車で東京に戻る計画だった。

福島に向かう列車の中で、地元のおじさんに「にいちゃん、学生さんか?まあ飲めや。」とワンカップを渡されて一緒に飲んだ。
福島の五色沼に着き、沼を見ながら、散策している時に、若いお兄さんから声をかけられた。
「東京からですか?」
「はい、そうです。」
「今夜はどこに泊まるんですか?」
「まだ、決めてないのですが、ユースホステルにでも泊まる予定です。」
「それなら、うちに来なさいよ」と誘われた。
「私は山形大学の学生で、一年留年して、来年卒業なんです。東京で働く事が決まってます。よかったらうちに来てください。」
「いいんですか」
「遠慮なく。」
ということで、その学生さんの車に乗っけてもらい、山形市内の彼の実家に泊まることになった。
晩ご飯にはお母さんの手作りの豚カツを頂き、ビールで乾杯した。
離れにある彼の部屋で泊まることになり、彼からいいものがあるからと初めて裏ビデオなるものを見せて貰った。
「好きに見て、休んでくださいね。」
と言われて一人にされた。
噂の「洗濯屋のケンちゃん」という裏ビデオを堪能した。
翌日、お礼をいい、山形駅まで送ってもらい、秋田駅を目指した。

工藤先輩は休暇を取ってくれて、僕達二人を男鹿半島のナマハゲを見に連れて行ってくれ、夜は実家できりたんぽを頂いた。

翌日は青森駅まで行き、河田先輩の実家に高田君と泊めて貰い、青森の魚と日本酒を頂いた。
河田先輩の二人の妹も我々を歓待してくれてトランプで盛り上がった。

次の日は岩手県の一関市の佐藤先輩の実家に伺い、焼肉をたらふく頂いた。

東北の小旅行で東北人の暖かさ、優しさを感じたのであった。
当時は東北人は寡黙な印象を持っていたが、みんな明るく元気な人達であった。
旅を通じてその土地を訪れることで、新しい発見があることを改めて感じた。

年末までバイトと授業の相変わらずの日々が続いた。
年が明けるといよいよ4年生となる。
そして就職活動が待ち構えているのであった。
僕は就職という二文字を頭に置くことをなるべく避けていた。
自分にとって働くとはなんだろうと思い始めていたからである。
焼き鳥屋さんで働いたことで板前さんに憧れた。
手に職をつけることへの憧れだった。
しかし、一方で安定した仕事につかないとKさんとの将来について語れないのではないかという不安もあった。
恋愛と結婚。
まだまだ先だと考えると同時に既に働いているKさんとの将来を意識する様になっていたことも事実である。

大学生活の先にあるもの。
僕は森鷗外の青年の一説を改めて思い出しながら、年末を迎えようとしていた。

続く

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