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コインランドリー40

新しい年を迎え、Kさんとまた遠距離恋愛は始まった。
「恋愛とはなんだろうか?」
そんな答えのない禅問答のような思いが僕には付き纏っていた。
女性を好きになることは男性として当たり前の行為だが、手の届くところにないものは果たして恋愛なのか?僕は恋に恋してるのだろうか?中学生3年の時に少し付き合った?と言えるのかどうか好きになった女の子はいたが違う高校にそれぞれが進学して自然に消滅した。その時は恋に恋していたのだろうと思っていた。今は彼女と付き合い始めた高校3年の秋から浪人時代を経て、交際期間は4年目に入っている。僕としては1人の女性を愛すると言う気持ちに拘りたかった。

実は浪人時代に読んだ夏目漱石の「三四郎」の中に「Pity’s akin to love」という一節が出てきて「かわいそうだたほれたってことよ」と訳されていた。直訳すると哀れみは恋に近しである。これを読んだ時に僕は思春期に好きになる女の子はなんか不幸な生い立ちだったり、苦労をしている女の子なんではないかと思った。
それはかなり驕った考え方なのだが、なんか少し陰のある女性に惹かれるのは確かなようだった。明るく屈託のない女性も好きではあったが、どこか陰があり、芯がしっかりした女性が好きだった。
Kさんにはその陰を感じたし、実際に付き合ってみて、自分の境遇に対してはある種の諦念があり、自分で選択出来ない未来を夢見るよりも、今をしっかり生きると言う強さを感じた事が、僕を惹きつけたのだ。

僕は甘えられる両親がいたし、自分の願いも叶えられるよう支えてくれたので、今こうして大学生活を送れていた。
そんな親の愛のもとで生きていたことに改めて感謝しなければならないことをKさんと付き合って強く感じていた。
その思いはまさに「Pity’s akin to love」ではないかと「三四郎」を読んで感じたのだった。

そんな気持ちを抱えながら、日常の学生生活に戻り、少林寺拳法部の練習が始まり、1月15日の成人の日は恒例のOB現役戦と追い出しコンパが開催された。
今年は昨年のようなビギナーズラックはなく、予選で敗退し、決勝までは残れなかった。
すぐに後期試験が始まり、試験が終わればスキーツアーに参加することになっていた。
今年はマイスキーを購入することにしており、年末のバイトで貯めた資金で、YAMAHAのスキー板とストック、サロモンのスキーブーツを買った。
試験が終了した金曜日の深夜バスで3泊4日のスキーツアーに出かけた。

スキーツアーが終わってから、アパートに戻ると大阪から高校の同級生の生田さんが休みを取って上京しているという手紙が来ていた。
ホテルに連絡して、新宿で一緒に飲んだ。
大学時代に付き合った彼氏とはうまくいかず別れたということだった。
そんな彼女の辛い思いを感じながら、話を聞いていた。
ホテルに泊まっているということだったが、何故か僕のアパートに来たいということになり、アパートに連れてきた。
電気ごたつで缶ビールを飲みながら、彼女の日常生活の話や僕の日常生活の話をした。
話しながら悶々と僕にも衝動が襲ってきたが、電気ごたつで2人の間を仕切って、寝ることにした。
当然眠れず、ドキドキしながら朝を迎えた。
「彼女のこの行動は何を求めているのか?彼女の期待らしきものに応えるべきなのか?いや、そんな期待はない筈だ?」などとその時は自分の衝動を抑えるのが精一杯だった。
翌日、彼女を鷺ノ宮の駅まで送り、手を振って別れた。

そんな煩悩の中で、バイトに専念した。
四国の春合宿開始前の土曜日と日曜日の一泊二日をKさんと大阪のホテルで一緒に過ごした。
一緒にいるだけで言葉はいらず、安心感に浸れることが恋愛なのかもしれないとその時はつくづく感じて過ごした。
日曜日に一緒に田舎に戻った。

翌日は彼女は仕事、僕は香川県の多度津の本山の春合宿に向かった。

今年は合宿終了後に四国旅行を計画していた。
僕の敬愛する坂本龍馬の銅像のある高知の桂浜に行きたかったのだ。
同期の坂上君と2人旅をすることになり、計画を練っていた。

合宿終了後、僕達は高知県出身の後輩の田村君の実家に泊めて貰らった。
ご両親が高知の皿鉢料理でもてなしてくれ、高知の日本酒酔鯨は美味かった。
田村君に翌日に桂浜に連れて行ってもらい、坂本龍馬の銅像に対面した。
大きな銅像は迫力満点だった。
龍馬の当時の思いを想像しながら、僕の将来を想像した。
「一角の人物にならなければ…」と思うと今の自分の不甲斐なさを嘆くしかなかった。
桂浜で過ごし、その後、田村君の親戚の土佐清水市に行き、親戚の家に泊めてもらい、足摺岬まで足を伸ばした。

翌日は田村君とは別れ、坂上君と2人で愛媛県松山市に向かった。
松山駅までの予讃線の中で、桂浜で買った絵葉書にKさん宛に葉書を書いた。
「四国旅行の後はそのまま上京するので、元気でやってください」という内容だった。
松山駅についてすぐにポストに投函した。
道後温泉に入湯し、正岡子規の生家を訪ねた。
翌日、松山市内を観光し、在来線で大阪まで戻り、寝台特急銀河で上京した。

今年も4年生の卒業式に出て、成績発表を確認して、また、スキーツアーで苗場に行った。

好きなことをした後には気楽な学生生活を満喫している自分と忙しく働いている彼女の姿を想像しながら、
「僕は好きな女性を守れるだけの護身術と精神力を身につけるために少林寺拳法をやっている。加えてもっと多くの教養や強い生きる力をつけるために今は修行をしているんだ!」と自分に言い聞かせるのだが、日常の怠惰な生活に流されてもうすぐ大学3年生になろうとしていた。

続く

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