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東京優駿。ナリタブライアン。

今週末、”競馬の祭典”日本ダービーが行われる。

過去にいくつか印象深いものがあるが、
今回は1994年、ナリタブライアンの勝った第61回について書きます。


ビワハヤヒデの弟。

ナリタブライアンはビワハヤヒデのひとつ下の弟で
その兄はすでに3歳クラシックで活躍していた。

ビワハヤヒデは皐月賞とダービー2着と惜敗したものの、
ナリタブライアンが函館2歳Sを6着する頃、
”前哨戦”の神戸新聞杯を完勝、
そしてデイリー杯3歳ステークスを3着した翌日、
菊花賞を圧勝する。

ブライアンのレースで私が初めて「あれっ、すごいかも」と思ったのは、
この”デイリー杯”だ。

左から3頭目がナリタブライアン。

今映像を見ると何てことはない印象だが、
「ビワハヤヒデの弟」、
そして父が新種牡馬だから
「血統的に注目していた」という感じにとどまっていた馬が
「もしかしたら本当に強いかも」と思ったのを確かに覚えている。

競馬四季報。


この頃本屋で立ち読みした「競馬四季報」で
ナリタブライアンを調べたような記憶がある。

あのような比較的高い書籍を定期的に買う習慣はなかったが、
競馬好き、しかも初心者としてはなんとなく気になる存在、
大げさに言えば憧れのようなものがあった。

ナリタブライアンは、(繰り返しになるけど)
話題の新種牡馬ブライアンズタイムの子で、
母が名種牡馬ノーザンダンサーの血を引くパシフィカス、
ビワハヤヒデの弟だ。
文句のない、自分好みの血統だった。

そしてもう一頭、この立ち読みで偶然目をつけた馬がいた。
父トニービン、母ダンシングキイ(その父ニジンスキー)の2歳。
つまりエアダブリンだ。

エアダブリン
ちなみ同馬騎乗時の岡部騎手は激しめのアクションをしていたのが印象的。

特に母系を見るにつけ
「これは走るに違いない」と思った。

何事にもワクワクしてしまう初心者ってかわいいね、とか言いたいとこだけど、
まさかこの2頭で翌年のダービー1,2着を占めるとは思わなかった。

成長

さて、”競馬初心者/自称血統評論家”の私の思惑通り、
デイリー杯3歳ステークス後のナリタブライアンは
京都3歳ステークス1着、
そしてG1朝日杯3歳ステークスまで圧勝してしまった。

朝日杯3歳ステークス

記憶がすごくあいまいな話で恐縮ですけど、
確かフジテレビの番組で「今度のダービーを占う」みたいな企画が1994年(かな?)にあって南井騎手が出演された。

そこでゲスト(井崎脩五郎さんとかだったかな)があまりにもナリタブライアンの名前をプッシュしないので、
ついに南井さんから
「3冠取れると思うんですけどね…」みたいな強気な発言があったのを覚えている。

もちろん、自分も首を上下に激しく同意した。

共同通信杯4歳ステークス

こうなると居ても立っても居られないのが若い競馬初心者。

兄・ビワハヤヒデが京都記念を圧勝した翌日、
降雪のため延期された東京競馬場の共同通信杯4歳ステークスを見に行った。
もちろん目当ては我が”未来の三冠馬”ナリタブライアンを見るためだ。

月曜日ということもあってパドックもかなり前で見ることができた。
もちろんレースも。

当たった単勝馬券のオッズは微々たるものだったけど、
夢みたいな経験だった。

4馬身差、単勝1.2倍。

レース前のパドックに陣取った私は
馬主でも調教師でもないくせに
断然1番人気の、それほど大きくない黒鹿毛に向けて
「頼んだぞ」みたいな熱い視線を送ったのを覚えている。
懐かしいな。


”未来の三冠馬”はレース直線、
決勝線のほぼ延長線上に陣取った自分の眼の前を、
他の9頭を引き連れて「あっ」と言う間に通り過ぎ去った。
1コーナーへ向けて流すナリタブライアンの後ろ姿は
雪のせいかかなり眩しかった。

その後スプリングステークスも叩き(1着)、
皐月賞で無事一冠を手に入れたナリタブライアン。

1枠1番が若干心配だったけど、
終始積極的にレースを進めて、
終わってみれば従来のコースレコードを塗り替え3馬身半差の圧勝だった。

東京優駿

ダービーに関してはここで細かいことを言う必要はないだろう。
8枠17番から5馬身差の圧勝だった。

全然頭数は違うんだけど、
当時”マル外”マルゼンスキーの主戦だった中野渡騎手の発言を地で行くようなレースぶりだったように思う。

28頭立ての大外枠でもいい。賞金なんか貰わなくていい。他の馬の邪魔もしない。この馬の力を試したいからマルゼンスキーに日本ダービーを走らせてくれ”

5馬身差勝利のナリタブライアン。2着はエアダブリン

さて、このレース、
ナリタブライアンとエアダブリンの2頭を
半年以上も前に”予見”していた私は儲かったでしょうか?

答えはNO。

血統が好きで、
純粋な気持ちで競馬四季報を立ち読みしたころの気持ちはどこへやら、
この2頭の馬連などを買うことはなかった。

自分って愚か者だなとつくづく思う。

今年のダービーの予想


ここは競馬初心者の、純粋な心をおろしてみよう。

ナリタブライアンといえば「シャドーロール」。
当時は今ほどファンに知れ渡った馬具ではなくて、
ブライアンが一気に広めたと言っていいだろう。

出走予定馬の中でシャドーロールを装着する予定の馬がいた。

シックスペンスだ。

ナリタブライアンも勝ったスプリングステークスを勝っているのも良い。

こんな予想で当たるなんて、都合良すぎるか。

シャドーロールの”怪物”

さて、東京優駿後は晴れて三冠、暮れの有馬記念も勝った3歳時。

年が明けて阪神大賞典の圧勝で明るい未来しか見えなかったのだが、
私にとっての「ナリタブライアン」は突然どこかへ行ってしまった。

股関節を痛めてしまった三冠馬に対して
「もう力いっぱい走れていないんじゃないか?」という疑念が最後まで消えなかった。

あの強いナリタブライアンが勝ち馬から離されてゴールするのを
どう見ればいいのか分からなかったんだと思う。

今でも語り草になっているマヤノトップガンとの一騎打ち(阪神大賞典)は確かに興奮したけど、最後まで他馬に圧倒的な差をつける、あの強い姿を取り戻すことはなかった。

高松宮記念4着のナリタブライアン(1番左)。
これが引退レースとなった

種牡馬として活躍馬を出すことはなかった。
8歳という若さで死んでしまったのだから無理はないだろう。

競走馬時代の様々なストレスなど夭逝の理由を挙げればきりがないが、
もしかしたら、もともと長生きができるような馬ではなかったのかもしれない。


思えば「シャドーロールの怪物」の4歳以降は既に”怪物”ではなかった。

足元の影に怯えて白いシャドーロールを付けた若駒は
古馬になるとケガに悩まされ、(おそらく)痛みにも襲われ、
そして何度も負けた。
ファンの失望も、もしかしたら、伝わったかもしれない。

あの”デイリー杯”後から私に信じることを教えてくれるかのような強い勝ち方を何度もしてくれたナリタブライアン。

ケガから復帰してから勝てなかったレースのあと、
彼はどんな気持ちだったんだろう。
もう一度勝ちたいとか、悔しいとか思っただろうか。

1994年東京優駿の決勝戦を真っ先に飛び越えた時の
大歓声をふと思い出すようなことがあっただろうか?

答えは分からないが確かなことは
ナリタブライアンは私が一番好きな日本ダービー馬だということだ。

30年前の感動をありがとう。



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