2024/7/21

仕事に関することはあまり書く気になれないのだが、実は昨日今私が働いている会社の社長とサシで会食をすることになり、今日ぐらいいいかということで三ヶ月間続いた禁酒を破った。ワインを二杯飲んだ程度で、大して酔いもしなかったが、これは一大事と思い記録することにした。社長とは色々話したが、ここで記すべきは彼が「68年」の東大闘争における体制側の関係者の関係者だったということだろう。これ以上の詳細は書けないが、彼は49年生まれの団塊世代=全共闘世代だった。オールディーズの音楽が好きらしく、今度ライブハウスで会社のパーティをやるそうだ。もしかしたら私も演奏することになるかもしれない。まあ、これを最後に酒はしばらく飲まないだろう。

そんなことはどうでもいいと言えばどうでもいい。昨日の記事は公開から五年が経った「天気の子」に関するものだったが、乗じて久しぶりに「天気の子」をフルで観た。改めて凄い作品だと思った。セカイ系主義から転向した今なお、「天気の子」には異様な情念を感じる。 2019年の私が本作に入れ込んだのには明確な理由がある。今はまだ公然化できないが、とにもかくにも当時わたしは帆高とほとんど似た情況にあり、「天気の子」はまさに私のために作られた映画だった。本作はまた、新海誠によるセカイ系の総決算であり、恐らくは最後の総括であった。セカイ系のための最後の讃歌だったのである。詳しくは昨日の記事を読んでほしい。前言の通り穴だらけの未完成品だが、セカイ系論、「天気の子」論として悪くない出来だと思う。

あの2019年から五年が経った。五年の間に私も随分変わった。セカイ系主義からは転向したし、社会人生活や鬱病や金欠を経験して一般的に言われる所謂「大人」に少し近づいたような気がしないでもない。この世の中の構成要素が朧げながら見えてきたようにも思う。これまた病理化になるが、ADHDの人間は定型発達者と比べて精神年齢が5〜10年幼い傾向にあるらしい(正式な学説ではなく、精神科医の間で流布している話)。それで言えば私は最近やっと二十歳前後になった感覚がある。今まで長い長い思春期を過ごしてきて、ようやく青年期を迎えたという実感がある。無論、これは単なる個人的な感覚の話に過ぎず、実際に他と比べてどうなのかはわからない。「大人」になれなくても別にどうでもいいが、この状態になったことは重要なことと受け止めて生きていくほかないだろう。

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