2024/7/13

昨日はGensenkanの新曲をリリースした。先月初台ノアにてsans visage上山さんにレコーディングして頂き、ミックス、マスタリングまでお願いしてできた曲。七曲録ったので今年の秋にアルバムとしてリリース予定だが、今回の新曲はその先行公開である。曲について、あるいはアルバムのコンセプトについてはまたいずれセルフライナーノーツとして文章にしようと思っているので(既に書き終えている)、ここで詳しくは語らない。だが、ショボskramzを標榜していたこれまでのGensenkanとは全く異なるものになったはずである。

私はこの一年ほどでいわゆる「ショボskramz」を自分で積極的にやろうという気が失せてしまった。理由はいくつかあるが、その一つはmoreruを媒介にして流入してきたであろう自分よりもずっと若いskramzリスナーが大量に現れたことである。彼らのことを悪く言うつもりは全くないし、むしろ歓迎すべき事態だとも思うが、持ち前の逆張り精神も相俟って、もはやskramzは自分の居場所ではない、skramzのことは彼らに任せて自分はもっと別のことをやろうと思うようになったのだ。

Ungulatesがskramzという語を使うようになったのも大きい。sans visageの中川コウ氏が主宰しているということもありあまり悪く言う気にはなれないが、私はUngulatesのやり方や発信方法にあまり納得がいっていない。skramzやエモに彼らがツイート等で表現するような楽しさはない(諧謔的な「笑い」の要素は存在するが)と思っているし、そのようなやり方で私が好きだったskramzが発信されたり消費されたりするのは本当に嫌だ。

エモオタクを一体どれだけの人が聴いただろうか。japanese role playing gameやMalonやiwrotehaikusaboustcannibalisminyouryearbookやatmosphereholocaustの思想的意義、そしてその達成をどれだけの人が理解しているだろうか。私は今のskramzを取り巻く情況には疑念と不信感しかない。無論、彼らがそれでいいと思っているなら構わない。私やエモオタクのskramz解釈は相当に歪んだものであるだろうし、そのオタク性を誇大に受け止めて仕立て上げたものに過ぎない。私が間違っていたのだろう。だが私は今さらそのskramz解釈を「訂正」(©︎東浩紀)するつもりはない。私は私で別のことをやる。それだけのことである。

アルバムリリースまでまだ時間がある。それまで新曲「イデオローグ」を聴いてお待ち頂ければ幸いである。解釈は無論、リスナー諸氏に委ねる。

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